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note.142 SIDE:G

 さて、と……。
 ひとまずの騒動は一件落着となったけど……。

「えっと、これからどうしよう?」
「んー、時間もちょっと遅くなっちゃってるし、一度お昼ご飯にしない? 情報集めはその後もっかいってことで」
「あー、そうだね。それがいいかも」

 システムメニューを確認すると、時刻は13時を回ってしまっていた。
 なるほど、緊張の糸が切れたこともあって、すっかりお腹が空いている。
 一度それを自覚すると、一気に空腹が進んできて、お腹が鳴りそうになるのがわかる。
 これはもう、とにかく小腹を満たさないことには調べ物にしてもちょっと集中できなさそうだね……。
 そんなわけで、一旦図書館を出ることにする。

 っと、その前に……。

「ステラは本に戻るか、ちゃんと地面を歩いてもらえると助かるかな。そのまま浮いてると……その、すっごく周りから目立っちゃいそう」
「ん。平気。私を認識できる人は、私とマスターで決められるよ」
「え、そうなの?」
「私の姿は私が許可した人と、マスターが認識してる人には見えてるけど、他の人には――こう見えてる」

 ステラが一瞬目を閉じる、と、

「あ、あれ?」
「わ、すごい。いるのはわかるのにステラが見えない」

 途端に、ステラの存在が認識できなくなる。
 ……いや、ちょっと違うかな。認識自体はできている。
 ぼんやりとそこに「誰かがいる」ということは認識できる。
 だけど、そこに焦点を合わせられないというか、意識を向けることができないというか……。
 かなり頑張って目を凝らしても、ただの背景としか思えない。
 例えるなら……そう、「人混みの中ですれ違う知らない他人」だ。
 「人がいる」とは認識するから、最低限ぶつからない程度に避けよう、とは感じるけど、それ以上は気にも留まらないし、何を思うこともないモブ、そんな感覚。

「なるほど、これなら周りのことは気にしなくてよさそうだね」
「ん。大丈夫。任せて欲しい」

 その返答と共に、術を解いてくれたのか、元通りステラを認識できるようになる。
 そういうことなら、とりあえずは安心だね。

「よーし、じゃあお昼にしよー♪ いいところ知ってるんだー、ついてきて!」

 ミスティスに連れられて図書館を出る。
 まぁ、実際ミスティスなら王都のお店はいくらでも知ってるんだろうから、間違いはないだろうね。

 外に出て、まず感嘆の声を上げたのはステラだった。

「わぁ……これが今の時代の外の世界……! 久しぶりの陽の光……何百年ぶりかな。何千年ぶり? どれぐらいかなんて忘れちゃったけど。ふふっ」

 ここまでどちらかというと表情が乏しいように見えたステラが、嬉しそうにくるりと回って、僕を振り返って微笑む。
 その動きに合わせて、彼女の長い髪がふわりと風に乗って広がる。

「私を連れ出してくれて、本当にありがとう、マスター」
「あ、うん、どういたしまして」

 元々人形のような、完成された美とも言うような造形を持つ彼女が微笑むと、まるで女神が降臨したかのような、得も言われぬ美しさがあって、思わず一瞬反応が遅れるほどに見惚れてしまう。
 これにはミスティスも見惚れてしまっていたようで、少しぽーっとしていたところでハッとなって、

「あ、と、とりまいこっか! こっちこっち!」

 と、ちょっと誤魔化すように先導し始めるのだった。
 まぁ、気持ちはわかるよ、うん。
 ステラの美しさってなんというか、性別とか超越したところにあるから、そんな彼女が微笑んだらそれはもう、目を奪われちゃうのは男女関係ないよね。

 ともあれ、改めてミスティスの後についていく。
 あれ……そういえば、これは先に確認しておかないと。

「ところで、ステラって食事はできるの?」

 さっき館長も言ってたけど、あくまでもステラの本質は書物だもんね。
 見た目人の姿とは言え、人と同じように物を食べていいのか……その前に、そもそも食事という概念があるのだろうか……?
 ミスティスがどこに向かっているのかまだわからないけど、飲食店に行くとなると、お店に来たのに一人だけ食べないとかかなり違和感出ちゃうからねぇ……。
 なんて心配になったんだけど、

「ん。食事……食べる事。大丈夫。食べたら魔力とフォトンに分解できる」

 どうやら杞憂だったみたいだね。

 大通りを東に進んでいたミスティスが曲がったのは、だいぶ冒険者区寄りではあるけど、どっちかというとまだ居住区という感じの場所にあった路地。
 場所を知っていれば冒険者も来れないことはないけど、知らなければそもそも存在すら気付かれないだろうし、さりとて居住区としてもかなり端っこで、周辺住民以外はあんまり近寄らないんじゃないだろうか、という絶妙な位置。
 そんな場所にあった路地を一本入った先、大通りからでは見えない程度に奥まった位置にあったのは、一見して周りの民家と変わらない、こじんまりとした一軒家。
 だけど、家の前まで着いてみれば、確かに窓際にはメニューの書かれた小さな黒板がかけてあって、お店になっていることがわかる。

「えっ、こんなところに……。えっと、このお店は?」
「私の1stからの顔馴染みのプレイヤーがやってるお店なんだー。あ、安心して。雫の事情なんかも知ってる内の一人だし、そーゆー話を外に漏らすような人じゃないから。ここならステラのことも、どこで注目されてるかわからない適当なNPCの店なんかよりよっぽど安心できるよ」
「なるほど、そこまで言うなら信じるよ。わざわざありがとう」
「いーのいーの」

 そっか、人の姿になれる魔導書なんて、明らかに異質なユニークレアだもんねぇ。
 今後は下手に目立つといろいろ面倒なことになりそうだから、こういう隠れ家的な場所はありがたい。
 確かにこの立地なら第三者の邪魔はまず入らないだろうし、ミスティスの1stからの付き合いの人でそこまで信用されてるってことなら、安心してよさそうだね。
 僕じゃそこまで頭が回ってなかったのに、何も言わなくても気を回して人目を避けられる場所を選んでくれたミスティスに感謝だね。

「じゃ、入ろ〜」
「うん」

 ミスティスがドアを開けると、カランコロンと上についた鈴が鳴る。
 中もやっぱりこじんまりとまとまってる感じで、カウンターで仕切られた半分が調理スペース、もう半分には4人掛けの小さなテーブル席が2つとカウンター席が4つだけのシンプルな配置だね。

「やっほー、ミスター♪」
「いらっしゃい。って、おや? 声でわかったけど、チカちゃんなのかい? 本当に?」
「そだよー!」
「2キャラ目を作ったということか。随分と可愛らしくなったねぇ」
「えへへー」

 「ミスター」と呼ばれた店主らしき人物は、ワインレッドのざんばら髪にニコニコ笑顔を浮かべた、二十代前半ぐらいに見える爽やかイケメンの好青年といった雰囲気の男性だった。
 カウンターの向こうでいかにもなコック帽を被って洗い物を終えたコップの手入れをしていた姿はシェフ然としていたけど、割とラフなワイシャツにシックな色合いのベストと蝶ネクタイという出で立ちは、コックというよりバーテンダーを思わせる感じだね。

「それで、そちらは新しいお客さんを連れて来てくれたのかな?」
「うん! あ、紹介するね。この人が店主のミスター・ビスト・ロー! 私の1stの初心者脱出したぐらいからの付き合いの料理人だよー」
「いらっしゃいませ。本日は当店『ル・ビストロ』へ、ようこそお越しくださいました。ご紹介に預かったビスト・ローだ。よろしくね。この通り、皆からは『ミスター』と呼ばれることが多いから、そう呼んでくれて構わないよ」
「は、初めまして、マイスと言います。こっちはステラです。よろしくお願いします」
「ん。ステラ。よろしく」

 ひとまずお互いの自己紹介を済ませる。
 ビストロからそのまんま人名っぽくもじってビスト・ローさんなんだね。
 わかりやすいキャラ名だ。

「いやぁ、僕はミスターとは名乗ったことはないんだけどねぇ。誰が言い出したんだっけこれ」
「誰だったっけー? でもなんか気付いたら自然とミスター呼びで定着してたよね」

 あー……まぁ、なんとなくの第一印象だけど、気持ちはわかる気がする……。
 なんというかこう、ミスターと呼ぶのがしっくりくるような……なんて言ったらいいんだろう、落ち着き?包容力?大物感……?なんか違うかな……まぁ、ともかくそんな雰囲気がにじみ出てるというか。

「おっと、せっかく初めて来たお客さんをいつまでも立たせてちゃいけないね。さ、どうぞ好きなところに座って。メニューはそれね」

 促されて、適当にカウンター席に着く。
 さてさて、メニューはどんな……あれ?

「ビストロってなんかこう、フレンチ?とかイタリアンみたいなのでなんとなく想像してたんですけど……思ったより普通ですね」

 うん、なんていうか、もっとこう……カルパッチョとか?小洒落た感じのが並ぶイメージかと思ったら、まぁフレンチトーストとかパスタとかそれっぽいのも確かにあるけど、チャーハンとか餃子とかラーメンとかカレーとかハンバーグとかも普通にあって、下町の大衆食堂感がすごいんだけど……。
 唐揚げとか豚カツとか焼き魚とか和食の定食メニューまであるし。

「あっはは。初めて来るプレイヤーのお客さんは大体そう言うんだけどね。ビストロというのは元々フランス語で『大衆食堂』ぐらいの意味合いの語だからね。僕自身、リアルじゃ今はフランス料理でやってるからこの名前にしたんだけど、僕の料理人生の始まりは元々某ファミレスの厨房スタッフからなんだよ。だから、昔取った杵柄ってやつでどんな料理でも一通りはいけるのさ。それに、せっかくのゲームなんだし、リアルのジャンルの括りに拘ってレパートリーの幅を狭めるのももったいないだろう?」
「なるほど、それは一理ありますね」
「それと、料理のバフ効果的にも味や使う食材のレパートリーが多いに越したことはないんだよね。ま、この話はまた後でしてあげよう。まずは注文を聞くよ」

 なんかイタリアとごっちゃになっちゃってたけど、ビストロはフランス語か。
 フランス料理に拘らないのはゲーム的にも何か意味があるってことなんだね。
 その話も気になるけど、実際お腹もすいてるし、まずは何か頼もうか。
 何がいいかな。

「じゃー私塩ラーメ〜ン♪」
「僕はチャーハンセットにしようかな」
「ん……。この、オムライス……っていうのは何?」
「おっと、そうか。予想はしてたけど、ステラお嬢さんはこっちの世界の人だね? リアル世界の料理もかなり浸透はしてきたけど、まだ知らない人も珍しくないからね。説明するよ。オムライスはトマトを煮詰めてピュレにしてから味を整えたトマトケチャップで味付けしたライスを焼いた卵で包んだ料理だよ。上にさらにトマトケチャップをかけて食べるんだ」
「ん。それにしてみる」
「かしこまりました。塩ラーメン一つにチャーハンセット一つ、オムライス一つね。それじゃ、少々お待ちくださいませ、っと」

 僕たちの注文を受けて、ミスターが早速調理に取り掛かる。
 ネギとか細かく刻み始めてるからチャーハンからやってるのかな。
 リアルではフランス料理でやってるって言ってたから、多分リアルでもお店やってるってことだよね。
 フランス料理でお店が開けるぐらいなら味は保証されてるようなものだろうし、出来上がりが楽しみだね。


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