note.125 SIDE:N
「なら、答え合わせといきましょう」
そう前置きして、ミノリは確信を以て言葉を続けた。
「視界の範囲内と、自分で直接触れているものにかかっている、圧力に干渉して操作する……それがあんたの能力の正体よ」
「……なるほどね? 参考までに、どうしてその結論に至ったのかを聞いておこうか」
あくまでも平静といった調子で問い返したカタギリだったが、ほんのわずか、その右足が後ろに引かれたのを、ミノリは見逃さなかった。
「どうやら図星ってところかしら。いいわ、教えてあげる。まず一つ目」
ミノリは指を一本立てて、言葉を区切った。
「最初におかしいと思ったのは、あんたが嗾けしかけてきた『北』の馬鹿共の挙動よ。最初に鉄パイプで壁を壊してみせた時……あの瞬間には確かに、『加護』と呼べるような何らかの効果が発揮されていた。あいつらもそのことを信じ切っているみたいだったしね。だけど、その後のあいつらとの戦闘では、明らかに『加護』の効果は失われていた。
単純に効果に制限時間があって、時間切れ、と考えることもできたけど、それなら『加護』を与えた張本人であるはずのあんたが、その効果時間を把握もせずにあれだけの人数を使い捨てる意味はない。なら、何か別の要因があったはず」
思い返すように目を閉じて、立てた指をくるくると回しながら言葉を続ける。
「『加護』が切れる前と後、時間経過以外で変化した要素としては、あんた自身があの場にいたかどうか、ぐらいなものよ。その時点で、あの力は、あんたの視覚か一定範囲内か……少なくともあんたの周囲の、ある程度近い範囲でないと発動しないってことまでは察しがついた。
んーで、あとは戦闘中に確かめていった感じかなー。あんたは正面からならどんな攻撃も防いだし、あたしの刀や《氷叢烈華》なら、左右同時や、背後からすら防いでみせた。だけど、一つだけ、回避に回った攻撃があった。それが『背後からのカジマの打撃』。1回目は反撃に転じることで誤魔化そうとしたみたいだけど、2回目、最後のカジマの攻撃は明確に、前に跳んで逃げた。そこで確信できたのよ」
そうして、回していた指をぴたりと止めて、結論する。
「どうしてカジマの打撃だけは回避したのか? この雪の積もった中で、何故かあんたはずっと裸足のままだったことと合わせれば、その答えは、あたしの斬撃や刺突は服を破って直接肌に触れてくるから受け止められるけど、視界の外、かつ、服越しの攻撃になるカジマの打撃に対しては、あんたの能力が発動できないからよ。そう考えれば、さっきここに叩き落した時の攻撃でダメージが入ったのも同じ理屈よね。背中から落ちたせいで服越しになった落下の衝撃に、あんたの力では対処できなかった」
そこで一度言葉を切って、ミノリは二本目の指を立てた。
「二つ目、あんたの能力の具体的な効果について。最初にヒントになったのは……あたしの刀が受け止められた時の感触、かしらね。単純にあんたが肉体をとんでもなく硬くできるとかだったら、弾かれるとか、刃が通らないにしても、表面を滑るとか、攻撃の角度次第でそういう反応があってもよかったはず。でも、あんたを斬った時は全部、触れた場所から即座に氷を砕かれた。
次に違和感があったのは、最初の反撃で吹っ飛ばされた時。あの時あたしは、壁にぶつかる衝撃を全て分散して、すぐに反撃に移れるつもりで背中側の氷を張った。だけど、壁にぶつかった衝撃は、あたしの想定よりも異常にでかかったのよね。あの攻撃がブロック塀をぶち抜くほどとは思わなかったもの。それに、最初に限らず、あんたが壁を蹴って跳ぶ時の速度だけは、他の動作と比べて明らかに速すぎた……。その段階で、刀のことと合わせて、あんた自身を含む周囲の物体の、接触の瞬間に何かしらの手が加えられていたと予測した」
ミノリは人差し指を下唇に当てて、宙を仰ぎながら言葉を組み立てていく。
「それからー……そう、次に違和感があったのは、2回目の、カジマを蹴って跳んだ時の突撃ね。1回目ので防御が難しいと思ったから、あの時あたしはまず回避しようとしたはず。なのに、どうしてかあの瞬間だけは脚が動かなかったのよね。金縛り……と言うよりは、力を入れてるのに何処か違うところに抜けている感じ……。この違和感を確かめるために、《氷双鏡華》でわざと分身への攻撃を誘ったの。で、それを回避させようとしたんだけど、やっぱり脚に力が入らなくてダメだったのよね。ここで、効果範囲内の『接触面』に何か干渉されてるってことに気が付いた。
で、最終的に確信できたのは、ここに叩き落したカジマの攻撃ね。作用反作用辺りに干渉してるなら、あの空中でも完全に攻撃を受け止めて、慣性も0にしてしまえるかと思ったけど、結果は、カジマの攻撃そのものは受け止められても、既に発生している運動エネルギーには逆らえなかった。つまり――」
カタギリを指差して、告げる。
「あんたの力は、あくまで接触面同士に発生している圧力のみに干渉している。視界範囲内と、直接触れている物体に対する圧力操作――それがあんたのラクトグレイスの正体だわ」
「…………フッ……クク……ハハハ、なるほど、素晴らしい!」
不意に肩を震わせて笑い出したカタギリは、開き直った様子で演技めいた余裕を取り戻していた。
「たったそれだけの情報から、このボクの《感圧転化》をそこまで見抜くか!」
「能力に頼りすぎなのよ、あんたは。あたしの攻撃に対しても、わざと回避を挟まれたりしてたら、能力の特定は難しかったでしょうね」
ミノリは肩を竦めて嘯いた。
カタギリの表情から、いよいよ以て笑みが消える。
「……君は危険だ。事によれば、異端の魔女そのものよりも。君には……君たちにはやはり、ここで消えてもらう必要がある」
「いいえ、死ぬのはあんただわ」
冷気を宿した瞳に、一瞬たじろいだカタギリだったが、努めて平静に反論する。
「何を馬鹿な。能力を見切ったところで、物理的な攻撃手段しか持たない君たちでは、ボクの《感圧転化》に勝ち目などありはしない」
しかし、対するミノリもまた、その表情を崩さなかった。
「あたしはあんたの力を見切ったけど、どうやらあんたはまだあたしの《氷華操相》を見切れてはいないようね。そもそもあんたまだ気付いていないみたいだけど、この雪はあたしが降らせてるのよ?」
「何……!?」
「《大瀑布・氷掃崩華》!」
瞬間、ゴッ、とくぐもった轟音と共に、更地一帯の全周から、爆発でも起こしたように、雪が大きく巻き上げられた。
巻き上げられた雪は雪崩となり、瞬く間にその高さを増して、もはや雪の津波とでも表現するべき威容となって、更地の中央のカタギリへと迫る。
「くっ……!? 馬鹿な! こんな馬鹿なッ!?」
カタギリが反応できた時には既に逃げ場などなく、何処を向いても視界は津波に巻かれた粉雪によって白一色に染まっていた。
例え、視界の範囲、直接触れる範囲の雪に対処したところで、その上から間接的に圧し掛かる雪の重みに対処することは不可能――。
唯一、まだ雪が覆っていない、頭上の空へと一縷の望みをかけて、カタギリは上へと跳躍する。
ラクトグレイスを発動し、本来なら反作用として自分の足に返ってくるはずの圧まで全て押し付けて、足元の雪を踏み固める。
雪は押し固められて氷となり、その氷も圧縮によって溶け出して水となる。
そうして、膝をたわませて、全力で跳躍する。
その一瞬の間にすら、頭上に映る曇天は白一色にかき消されていく。
残されたわずかな光に、必死になって手を伸ばした。
「ようやくだ! ようやく神より祝福を、この力を授かったんだ!」
だが、目の前で、最後の光は白く閉ざされて、
「オレはまだッ! こんな――」
一点に収束し、衝突した雪の津波に呑まれて、その台詞の先を聞くことができた者はいなかった。
カタギリの姿が呑まれたところで、カチコチ、パキパキと、それまでとは異質な音を立てて、雪津波は動きを止める。
舞い上げられていた雪煙も程なくして晴れると、そこにあったのは、更地全体に裾野を広げた、20mはあろうかという氷山と、その頂点付近で、何かに縋るように上へと手を伸ばした格好で氷に閉じ込められたカタギリの姿だった。
その身体は既に、ヒトの形を認識するのが困難な程にブロックノイズで覆われて、そうして見ている間にも、ノイズの割合を増やしつつあった。
「お仕舞いね」
何の感情も籠っていない声で、その様子を見上げたミノリは、もはや興味もないと言わんばかりに氷山に背を向ける。
それとほぼ同時に、ブロックノイズの塊は[SYSTEM ERROR:OBJECT DELETED]のエラーコードに変換されていた。
「さよなら」
それだけ告げて、ミノリは髪に手櫛を入れる。
それと連動するようにして、氷山は一瞬にして砕け散る。
後に残ったのは、雪が消えて地肌を晒した一面の更地だけだった。