note.106 SIDE:G
「……わたし、どうにも皆さんの言うところの『リアル』の記憶がないものでして……」
「えっ……!?」
軽い気持ちで振った雑談のつもりの質問に予想外のとんでもない返答が返ってきて、僕の思考は完全に停止させられる。
だけど、当の雫さんは、
「……わたし、皆さんの言うには『ラクター』というもの……らしいですよ? ……わたしはよく知らないのですが」
あまりにも平然と、別になんでもないことのように言ってのける。
「え、えっ!? ラクターって……リアルのネットだけの話じゃ? ログアウトできないってこと!? このゲームから? えぇっ!?」
「まぁ、混乱するよなぁ、これを聞くと」
僕の混乱具合を察したようにオグ君が頷く。
「雫の現状に関しては本当に謎が多い」
「……まぁ、わたし自身よくわかってないことの方が多いですからねぇ」
少し考え込むようなみんなの反応に対して、当の本人だけがあまりにも暢気な……う、う〜ん……。
「えっと、確認するけど、雫さんはプレイヤー……なんだよね?」
「……多分そう……だと思いますよ? ……名前が本名なのは覚えてますし、このゲームのシステム?というのも、皆さんと同じように使えるみたいですし……」
そう言って、雫さんは僕たちにも見えるようにシステムメニューのウィンドウを開いて、パーティーメニューやステータス画面やらを適当に表示してみせる。
続けて、
「……ですが、この通り、わたしはログアウトはできません」
そのまま一番下にあるログアウトのボタンに触れて、確認メッセージをOKする通常通りのログアウト操作をする。
普通なら、ダンジョン内であるこの場所でのログアウトは、周囲にそれを知らせるウィンドウが胸元辺りの高さで四方に浮いて、アバターがその場に残った状態でのログアウトになるはずだけど……。
雫さんがログアウトすると、何故か街中での通常のログアウトのようにエフェクトに包まれて、身体をフォトンが包み込んで……――何も起きなかった。
「えぇー……本当にログアウトできないんだね……」
「……みたいです」
今までこのゲームで明確にバグらしいバグって聞いたことがないけど、これってかなり致命的なバグなのでは……?
「これ、運営には連絡したの?」
「そりゃしたわよもちろん。あたしたちからもしたし、雫本人にも連絡させた」
「何回言っても返答があったことなんて一度もないけどね〜」
当然、と頷くツキナさんに、お手上げとばかりに両手を広げて肩を竦めるミスティス。
「まぁ、仮に返答があったとして、全世界規模で解決できていないラクター問題を一ゲームの運営会社にどうにかしろというのも無理筋な気はするけどね」
「それにしたって、せめて何かしら反応はあるべきじゃない? 調査中ですみたいなテンプレ返答でもいいからさぁ」
「ま、それはそうなんだが……」
当たり前の不満を吐くツキナさんに、オグ君も頭を振る。
HXTの運営会社――名前は「√9 Company Inc.」。
元は軍需産業用のAI・AR技術を研究していたベンチャー企業で、その事業で培ったノウハウを基にエンターテインメント分野に突如進出、軍用に使われる最先端技術を惜しげもなく投入したホーリークロステイルの大ヒットで一躍有名となった新進気鋭のVR企業……と、世間一般には認識されている。
ただ、その来歴の前半分……軍需産業時代に関しては情報が曖昧で、いろいろと謎の多い企業でもある。
その辺りに関しては、軍事の最先端に関わることだから、ほとんどが軍事機密に指定されていて表には出にくい部分も少なからずあるせい、と説明されてるけど……。
ネトゲの運営としての評価は、ゲームはよくてもやはりユーザーサポートの面ではノウハウが足りないか、サポートが杜撰、という話はよく聞くけど、問い合わせに返答がないレベルで酷かったとは……。
「……とは言え、わたしとしては、気がついたらこの世界にいて、以前の記憶も思い出せないので、わたしにとってはこの世界が現実ですし、ログアウトがどうこうと言われても感覚的によくわからないんですよねぇ」
「……と、まぁ、当の本人がこの調子なもんだから、僕らとしてもこれ以上のことは知りようもないし、何も言えなくてな」
自分の問題なのに完全に他人事と言わんばかりの雫さんに、オグ君も額に手をやって頭を抱えるしかなくなってしまう。
なまじリアルの記憶がないだけに、ほとんど前時代に大流行した異世界転生ものみたいなノリで本人が状況を受け入れてしまっているのがある意味最大の問題ってことか……。
「……それに、この身体もそもそも人間ですらないみたいなので、わたしが本当に皆さんと同じパスフィアンなのかどうかもよくわかりませんし……」
「へっ!?」
って、この上更に爆弾を追加してきたんだけど!?
「えっ!? だって、このゲーム、プレイヤーは種族人間で固定じゃ……?」
「……らしいのですが……わたしの種族はこの通り、ハーフのハイエルフです」
そう言った雫さんが目を閉じると、その鮮やかな青い髪が、頭頂部から塗り替えられるように銀髪へと変わっていく。
同時に、髪に隠れていた耳が尖ったことで露出し、額には小さく一本角が生える。
尖った耳に額の一本角は紛れもなく情報サイトの世界観考察用ページの中でわずかに語られていた、エルフの希少種である上位種族、ハイエルフの特徴に一致する容姿……。
そして、この世界での種族混血……所謂ハーフと呼ばれる人々は、それぞれの種族の特性は元の種族より弱まるものの、本人の意思で任意に双方の種族の形質を切り替えることができる、特にエルフと獣人においてその傾向が強く、形質変化で姿形すら変えられる、という話にも一致している。
つまり、雫さんの種族は本当にハーフハイエルフということになる……。
なるほど、魔道具なしで難なく焚き火の火を点けてみせた高精度の魔力操作も、ハイエルフの血が流れているとすれば納得だ。元がエルフの上位種とされるハイエルフであれば、混血で力が弱まったとしても、並のエルフに近いぐらいの魔力操作はできても不思議じゃない。
けど、それは……あまりにも異常だ……。
自身の言う通り、本当に彼女が僕たちと同じプレイヤーなのかもわからなくなってくる。
だけど、葉山 雫という名前が主張の通りに本名なのであればどう聞いたって日本人のものだし、彼女のキャラ名を確認しても、確かに僕たちと同じプレイヤーを示す白文字表記になっている。ログアウト以外は問題なくゲームとしてのシステムメニューを操作できることだって、さっき見せてくれたばかりだし……。
「う〜ん……わけがわからなくなってきた……」
「あぁ。雫に関しては、現状全てが謎としか言いようがない。解決しようにも、何に、どこから手をつけるべきなのかすらさっぱりだ」
確かに、これはもう僕たちプレイヤー一個人でどうこうできる範囲を超えてしまっている気がする……。
となると、あとはもう運営頼みにならざるを得ないんだけど……その運営が全く対応する気がなさそうな辺り、完全に手詰まりだもんねぇ……。
何より――
「……まぁ、わたしのことはどうでもいいんですよ。それより今はデザートです。チカちゃん、お願いしますね」
「ふぇ? あ、あー……う、うん。任せて!」
ここまでの話を本当にどうでもいいという風に流して、ミスティスにホットケーキミックスを手渡す雫さん。
突然の転換に一瞬思考を詰まらせながらも、なんとかミスティスもそれを受け取る。
――この本人の危機感のなさがやっぱり一番どうしようもないところなのかもしれない……。