note.167 SIDE:G
大妖精の少女が再び先導に立って歩き始める。
その道中。
「あーってゆーかさー、思ったんだけど、一番単純な話これでよくない?」
思い出したようにそう言ったミスティスが、盾の裏にセットしてあった黒蜘蛛の剣を一旦外してストレージに入れると、代わりにさっきの両剣を取り出してセットし直す。そうすると、ちょうど盾の大きさと柄の長さがほとんどぴったりだったこともあって、盾の上下から両端の刃が飛び出した形になる。
「いや、さすがにいくらなんでも安直っていうか、強引すぎない?」
「えーでもほら、これなら盾もダブセも同時に使えるしさ」
と、僕のツッコミもどこ吹く風とばかりに少し前に出たミスティスは、僕たちがそこに追い付くまでの合間で、まるで演舞でも踊るような、手慣れた様子の両剣使いを見せてくれる。本来の戦闘スタイルに近いと言うだけのことはあるね。
えーっとー……なんかそういえば、こういう形の武器がどっかになかったっけな……。えーっと……なんて言ったっけな?……もう少しで出てきそうなんだけど、あー……そうだ、デュエリングシールドだ!
確か一度だけ、作者がこういう中世のマニアックな武器が好きだっていうファンタジー作品で読んだことがあったんだっけ。そういう作者の作品だっただけに、他にもウルミ……だったかな?だとかカランビットだとか、かなり特徴的な描写の武器が多く登場していて、その中の一つとして印象に残っていた。
まぁ、本人がこれで使えると言うならそれでいっか。
とまぁ、そんなこんなで。
それは歩き始めてから本当にほんの数分、巨樹を数本越えたすぐ先だった。
急に視界が開けて、光が差し込む。それまでライトの補助魔法が必要だったような暗さから急に明るくなって、僕たちはみんなしてしばしの間目を瞬かせた。
ようやく目が慣れてきて、翳していた手を外すと、
「んっ、眩し……えっ」
「わぁ〜!」
「こ、これは……」
「これはまた……驚いたな……。いや、もう言葉がない」
まず目に飛び込んできたのは、一面に広がる茶色の壁。最初はまだ目が完全には慣れきってなかったこともあって、スケール感がおかしすぎてそれが何であるか全く認識できなかったんだけど、完全に目も慣れてよく見れば、それがどうも巨大な樹木の幹肌だったとようやく気が付く。
「え、えぇっ!?」
そう認識した上で、周囲を見渡すと……えぇー……こ、これで一本の木なの……!?
うん、もう、なんというか、ここまでに散々見てきたこの森の巨木と比べても、明らかに頭一つどころか二つ三つは大きい……もはや巨木とか巨樹なんて言葉すら生温い、畏怖すら覚える大樹の威容がそこにあった。神々しささえ感じさせるその圧倒的な光景は、信心深い人であれば、その場で膝を折って祈りを捧げていたかもしれないと、特に信仰心とかが篤いわけでもない僕にすらそう思わせるに十分なものだった。
そして、急に開けて明るくなっている理由は、この巨樹があまりにも大きすぎるせいで周囲に他のカスフィウム・デレクシアが生えておらず、陽の光を遮るものがこの巨樹の梢だけになっているからだった。おかげで巨樹の周囲だけは、外縁部のような優しい木漏れ日が溢れる穏やかな空間が広がっていた。そんな中に、普通サイズの木立ができている場所があったり、清流の流れ込む泉があったり、開けてちょっとした草原のようになっている場所さえあるのは……もう外縁部にも増してスケール感がバグりすぎてて遠近感まで行方不明だよ……。
本当にオグ君の言う通り、言葉が出ない光景だ。この壮大さと荘厳さを言語で表せる語彙はちょっと僕の中にはないかなぁ……。
「これが……これが君の本体なの……?」
「えぇ、そうよ。これが『私』。うふふっ、驚いたかしら?」
「お、驚いたどころじゃないよ、これで驚かない方が無理があるって!」
「そう。なら、今回の『イタズラ』は大成功ということね♪」
そう言って、大妖精の少女はしたり顔でクスクスと無邪気に笑ってみせた。
確かに、このサプライズは完全にしてやられたね。
「さて、それじゃあ約束通り、早速契約をしなくっちゃね。まずは私の根本までいきましょう」
ということで、彼女に連れられて木漏れ日の中を進む。
開けた空間に出て、まず最初に感じたのは、あまりにも濃密な魔力とエーテルの知覚だった。
プレイヤーも含めて僕たち人類種は、魔物や高位魔族と違って大気中の魔力やエーテルを直接知覚することはできないのが普通だから、これは実際初めて体験する感覚なんだけど……。う〜ん……この感覚……なんて表現すればいいのか……すっごいモヤモヤする……。いやまぁ、こう言っちゃうと不快なのかと思われそうだけど、気分的にはむしろ爽快なんだよね。見るもの全てが色鮮やかに感じるというか……。別に、単に今のこの風景に対する好奇心の範疇を超えて異常に気分が高揚するとか興奮しているとかってわけではないんだけど、なんだかこう、今なら何をするにも普段よりも勇気とか自信を持って行動できそうな、そんな気分にさせてくれる、不思議な感覚だね。
「ん〜……なんだろこの感覚。なんてったらいいかなぁ? 現実性が高い? 濃い?」
「あー、そんな感じかも」
ポツリと呟いたミスティスの言に同意する。確かに、あえてこの感覚を一言で言い表すのであれば、「現実性が高い」もしくは「精気に溢れている」とか、そんな言い回しがしっくりくる感じがする。
「その表現は言い得て妙ね」
と、大妖精の少女も同意してくれる。
「この場所は、ある意味ではこの森の中心……この森の中でも一番濃いエーテル溜まりなの。それこそこうして、あなたたち人類種ですら認識できる程のね。今感じているそれが、本来あるべき魔力とエーテルの知覚よ。世界を構築している根源たるエーテルの余剰がこれだけ集まっているんですもの、それを人類種の認識で言語化するのなら、『現実性が高い』というのはかなり的確な表現と言っていいと思うわ。
私がこうして人類種並みの自我と身体を手に入れることができたのも、依代がここに生えてくれたおかげでここまで大きく育って、結果としてここに集まってくる魔力とエーテルを独占できたおかげというわけよ」
なるほど、これだけ濃い魔力とエーテルを、ここまで成長するまで……それこそ万年単位で吸収し続けたのだとすれば、本来手のひらサイズの曖昧な存在である妖精がこうまで確固たる存在として確立するのも頷ける話だよね。
「ふむ、そういえば、ここに来てから魔物を見かけないな」
「言われてみればそうね。普通の動物っぽいのはいっぱいいるのに」
とは、オグ君とツキナさんの弁。
確かに、そう言われてみれば、普通の狐や鹿だったり、小鳥やリスみたいな動物の範疇の生き物はたくさん目に付くのに、魔物を全く見かけないね。
その答えは、
「それはエーテルが魔物を形作るより先に、私の依代が全部養分にしてしまっているせいね。
それと、外から入ってこようとする魔物には、私が魔力の認識を狂わせて迷わせる結界を張ってあるの。奴らなんかにここを荒らされるのは御免ですもの。あくまで魔力の認識を狂わせるだけだから、魔力を知覚に使っていない普通の動物やあなたたち人類種には効果がないというわけね」
ということだった。
この場所は彼女の力に守られた、ある種の聖域みたいな感じなんだね。おかげで敵となる魔物もいない、楽園のような穏やかな光景が広がっている。
そんな心安らげる光景の中を歩くことしばし。
さすがのスケール感と言うべきか、思いの外歩かされたけど、ようやく大妖精の少女の本体たる巨樹の下へと辿り着く。
こうして直接触れられる目の前まできて、改めて見ると……本当にただただ凄まじい……!
横を向いても全く端っこが見えなくて、言われなければ本当にただ壁が一枚立っているだけにしか思えない。一応、もうほぼ真横を向いたぐらいまで見て、ようやくなんとかそれが巨大な円柱状になっているらしいことが辛うじてわかるといったところだ。この幹と同じだけの空間を囲んだら、中に小さな村一つぐらいは収まってしまうんじゃないかな。
「…………」
誰からともなく、みんなして巨樹を見上げるけど、誰も一言も言葉を出せなかった。
もう語彙力が消失してて同じことしか言えないんだけど、本当にスケール感がおかしすぎるんだよね……。
「あらあら、全くみんなして。乙女の身体をそんなにまじまじと見つめるものではないわよ」
「お、乙女の身体って……」
なんて、大妖精の少女の言葉で我に返る。
いじらしく裸を見られて隠すみたいな仕草で言うから反応しそうになっちゃったけど、言ってしまえばこっちはただの樹だしなぁ……。いやまぁ、この樹が彼女の本体なんだから、乙女の身体である意味間違ってはない……の……かなぁ……?
「なんてね、冗談よ。クスクスッ。それじゃあ、契約を始めましょうか」
「うん」
そう彼女に頷いて、さぁいざ、と思ったその矢先に。
ズゥン……ズゥン……と、何処からか重い地響きが鳴りだして、周囲の動物たちが一斉に逃げ出していく。
即座に警戒態勢に入った僕たちが振り向いた後ろに現れたのは、
「なっ……どうして……!?」
見たこともない大きさの、一際巨大なトロールの姿だった。
こいつは……この森のボス、ヒュージトロール……!
だけど……
「ちょちょちょ、何こいつ、デカすぎ! ヤバいんだけど!?」
「……! なんてサイズだ……!」
ヒュージトロールにしてもあまりにも大きすぎる……!
情報サイトで読んだ限りでは、ヒュージトロールと言っても体格は普通のトロールの1.5倍ぐらいって聞いてたのに、目の前のこいつは……取り巻きとして普通サイズのトロールも5匹程引き連れているけど、その普通のトロールたちがまるで子供のようにしか見えないような大きさだ。
ミスティスたちの慌てようも無理もない。
「結界があったんじゃないの!? こいつら、どうやって抜けてきたのよ!」
「ここまで力の強くなった個体は私も初めて見るわ。これほどの強さは私も想定していなかったから結界の効果も薄かったでしょうし、あとは単純に、あの巨体の目の高さで目視で抜けてきたのね。おそらく、ここまで散々奴らを蹴散らしてきた私たちを追ってきたのだわ」
大妖精の少女のその言葉を裏付けるように、ヒュージトロールは僕たちを見るなり歩みを速めてくる。
対する僕たちも、奴らに向けて前に出る。
ここなら草原になっているから場所を広く取れるし、何より彼女の本体である大樹を傷つけさせるわけにはいかない。
お互い戦える間合いに立ったところで対峙する。
「――――――!!」
ヒュージトロールが咆哮を上げれば、周囲の大気そのものがビリビリと振動する程の衝撃となって襲い掛かってきて、思わず足が竦んでしまう。
それに合わせて、取り巻きのトロールたちも咆哮と共に棍棒で地面を叩いて威嚇してくる。
取り巻きのトロールだけでも5匹も同時に相手するなんて無理があるのに……こ、こんな相手、勝てるの……?
ちょっとだけ及び腰になりかけてしまっていたところだったけど、大妖精の少女が僕を呼んだ。
「マイス!」
ハッとなって振り向いた僕に、彼女から告げられたのは、予想外の提案だった。
「あなたは先に私と契約をなさい!」
「えぇっ!? 今から!? この状況で!?」
「えぇ、私とあなたの契約を正式なものにできれば、こんな奴ら全部ひっくり返せるのだわ!」
「で、でも……!」
僕が今から契約を優先するとなったら、その間このデカブツと取り巻きたちを僕抜きの三人で抑えなきゃいけないってことだよね!? ただでさえまともに戦えるかどうかもわからないのに……!
そう反論しかけて、しかし、
「オッケー、そーゆーことなら任せてよ!」
それを遮ってそう答えてみせたのはミスティスだった。
乾いた唇を一度舌で濡らしてから、彼女は不敵に笑う。
「……三分」
「え……?」
「三分は確実に持たせてみせるよ。だから、私たちに任せて!」
そう宣言するミスティスに、
「フ、三分か。いいだろう。その話、乗ったぞ!」
「ま、アタッカーが二人ともそう言うんなら三分ぐらいは平気なんでしょ。あたしはどっちにしろ全力で支援するだけよ」
オグ君とツキナさんも口元に笑みを乗せて言い切った。
みんながそこまでしてくれるのなら……僕も信じて覚悟を決めるだけだ……!!
「わかったよ……。みんな、ありがとう。それじゃあ、任せたよ!」
「オッケー! 引き受けた!」
大きく頷いてみせた僕に答えて、不意に目を閉じて、全身を弛緩させたミスティスが一つ、深呼吸をする。
「《コンセントレーション》」
吐いた息と共にその目が開かれて、コンセントレーションの集中状態に入る。と……え、光の……翼……!?
一瞬そう思った程に彼女の背中から膨大なフォトンの光が溢れたと思えば、だけどそれはすぐに落ち着いて、肩甲骨の間、少し下ぐらいの二箇所からピンク色をした炎が噴き出ている、というぐらいに収まる。
すると……
「な、ミスティスが……浮いてる……?」
「これが、天地からの口伝スキルの本来の形っ!」
彼女の身体が完全に地面から離れて、空中で静止するように浮いていた。
見れば、背中以外に足の裏からもフォトンが出ているようで、他にも膝裏の少し下、ふくらはぎ辺りとか、腰元の、ズボンならちょうどポケットがある辺りにも小さな光が玉になって浮いている。ジャケットも腰から下だけが不自然に靡いてるから、多分腰の後ろ側にも同じようにフォトンを出していそうだね。
う〜ん……何か思い出すんだよなぁ……。例えるなら、フォトンの……ブースター……? あ、そうか。これあれだ、ロボットもののアニメとかゲームとか、そういうノリなんだ。その手の作品の人型ロボットが空を飛ぶ時のブースター配置って大体こういう感じだよね。
なるほど、これはこっちの世界の人じゃ発想できないって言ってたのも納得だねぇ。触れた感触がある=フォトンに実体があることはわかるだろうから、フォトンで直接何か物体に干渉する、までは考え付くかもしれないけど、これをブースターとして人が生身で自在に空を飛ぶっていう構想と、そのためのフォトンの放出位置の最適な配置と出力の分配、までくると、ロボットどころか機械文明の下地もないこっちの世界の人じゃまず辿り着かない発想だろうからね。
そして、天地さんがこのスキルを口伝に設定した理由も納得だ。人が自由に生身で空を飛べちゃうスキルなんて……下手に広まったら、この世界の文明レベルからするといろいろな概念が書き換わってしまいそうだもんね。影響が大きすぎて多分大混乱になるんじゃないかな。
「それじゃ……いくよっ!」
「うん、頼んだよ!」
両剣を盾にセットしてしまっている状態だからか、浮かせたソードゴーレムの二本を使って挑発を打ち鳴らしたミスティスが、トロールたちに突っ込んでいく。
さて、ここから三分。
「じゃあ、契約を始めよう」
一秒だって時間を無駄にするわけにはいかないね。