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note.171 SIDE:G

「それじゃ……いくよっ!」
「うん、頼んだよ!」

 さて、ここから三分。

「じゃあ、契約を始めよう」

 一秒だって時間を無駄にするわけにはいかないね。

「まずは私の根本まで戻りましょう」
「わかった!」

 大妖精の少女に導かれて、まずは彼女の本体である巨樹の根本まで走る。
 あと10歩ぐらいで幹に直接触れられるぐらいのところまできたところで、少女が僕に振り向いた。

「この辺りでいいわね」

 僕も彼女に頷いて、ひとまず上がってしまった息を深呼吸で整える。
 ……ふぅ。これでも、軽く深呼吸数回程度で整うんだから、運動神経ゼロなリアルの僕からするとだいぶマシだよね。純粋な身体能力はVitで持久力上がるらしいから、物理職なら簡単にこんな程度じゃ汗一つもかかないとかになれるらしいけど。
 ともあれ、落ち着いたところで改めて、目の前の巨樹の袂、少し高めに僕を見下ろすような位置に浮いた大妖精の少女と目を合わせる。

「それじゃあ、始めましょうか」
「……うん」

 少女に応えて、杖を構えたところで、

『マスター』

 右肩辺りで浮いていたステラが、すい、と僕の前に進み出る。

『契約の媒体には私を使って欲しい。理由はわからないけど、私の中のどこかで、そうしなきゃいけないって感じるの』
「よくわからないけど、ステラが必要だと思うなら、多分それが正しいってことな気がする。わかったよ、やってみる」
『ん。ありがとう』

 ステラに頷いて、単純に魔力のブースターとして杖を構え直す。
 ステラがそう感じるってことは、彼女の失われた記憶か、本来封じているはずの魔法か、とにかく彼女にとって重要な何かに関わっている可能性がある。僕が彼女に見出された理由を探ることが今の大きな目標の一つである以上、少しでも手がかりになる可能性があるなら試してみるのみだよね。

「じゃあ、いくよ!」

 宣言して、深呼吸を一つ。初めての、本格的な召喚契約……それも、講義の時にも慎重にと注意された妖精との契約……。多少は見知った仲の彼女が相手な分、まだ気は楽だけど……それでもちょっと緊張してくる。
 ……うん、いこう。

「我、是より汝と契約を結ばん。我が魔力を以て汝を見通し、汝が理を以て万象を解す」

 詠唱を始めると、それまでお互いの「信仰」という曖昧な感覚だった少女との繋がりが、ステラの書を通じて、「契約」という一筋の道として明確に形を成していくのが感覚として理解できた。

「以て万象を我らが(めい)の下に従えるものなれば」

 前半部分の詠唱を完了させると、その経路が完全に繋がった、というのがはっきりと感じられた。そして、講義で自分の武器と契約した時にも感じた「扉」の前まで来た、という感覚。だけど、あの時と違って、「扉」の前まで繋がったという魔力の感覚はあるけど、まだ「扉」は開かれていないようだった。

「さぁ、あの日の約束を果たす時よ。私の名前、しっかり考えてきてくれたんでしょうね?」

 大妖精の少女が問いかける。
 もちろん、答えは決まっている。

「初めて君を見た時から、ずっと思ってたんだ。君のその、緑の髪の色、若草みたいですごく綺麗だなって……。だから……君の名前は、『リーフィー』、だよ」

 それは、彼女を一目見た瞬間からずっと思っていたこと。木漏れ日の中で煌めく長い髪の毛が本当に綺麗で……所々の外はねも相まって、まるで新緑の若草のよう……というのが、一番鮮烈な彼女の第一印象だった。だから、彼女に名前を付けるとすればこれしかない、というのはずっと考えていたことだ。
 これが僕の答え……だけど……どうかな。

 内心、心臓バクバクだったけど、それでも視線は外すことなく、彼女の返答を待つ。
 そして、彼女の答えは――

「うふふっ、若草みたいだなんて、随分と嬉しいこと言ってくれるじゃない。この樹を見ればわかるでしょうけど、私をあなたたち人類種の暦に当てはめるなら、多分十万歳は超えてるわよ?」
「えっ、じゅ、十ま……あ、ん、コホン」

 いやまぁ、確かにこの巨樹を見れば十万年単位の年月と言われても十分納得できるけど、さすがに目の前の少女の姿と十万歳という数字が全く結びつかなくて、思わず声に出てしまった……。けど、いくら年月の概念が僕らとは違う妖精と言えど、女性の年齢でどうこう言うのも失礼だったね。……と思って慌てて口を塞いだんだけど、

「そんなに慌てなくても、年齢に驚いたって別に何とも思ってないわよ。確かに人類種の基準に当てはめれば私は女性に見えるでしょうけど、私たち妖精は単に自分が一番好きな姿で過ごしているだけで、あなたたちの認識する生物的な意味での性別なんて概念はないから安心なさいな。クスクスッ」

 当の少女はどこ吹く風だった。
 そ、そっか……つくづく妖精ってやっぱり僕たち人類とは違う概念の生き物だよねぇ……。

「ま、それでも、それこそ十万年は生きてきた私でもまだ若草みたいと言ってもらえるのは嬉しいものね。うふふっ♪ いいわ、受け入れてあげる! 今から私の名前はリーフィーよ!」

 そう彼女が答えた瞬間――「扉」が開かれて、僕からの魔力が受け入れられる感覚……。同時に、武器と契約した時とは違って、僕の中にも彼女からの魔力が流れてくるのがわかる。まるでこの聖域に降り注ぐ巨樹からの木漏れ日のような、心地よく、暖かな魔力……。まさに、十万年という時の中でこの地を見守り続けてきた彼女の有り様そのもののようで、自然と心が安らいでいく……。
 そして、彼女――正確には、彼女の本体である巨樹の「理」で以て世界を「理解」する……! これが……十万年の月日を積み重ねてきた巨樹の……いや、もはやこれは「神樹」とでも言うべき視座……! それから……なんて情報量……流れ込んできた魔力と一緒に、本当に十万年分ぐらいはありそうな……走馬灯にも近い感覚で、巨樹が辿ってきただろう記憶が流れていく。
 この時点でなんとなく理解したけど、これ、僕がこうして今も十万年分の情報量に押し潰されずに平然としていられるのは多分、ステラが契約の媒体としてこの記憶の奔流を受け止めて僕にも耐えられる程度に処理してくれてるおかげだね。

 ……あれ? それはいいけど……この記憶は……? 巨樹のものじゃない、何か別のものが混じって……わ、わああぁぁぁ!? 一気に情報量が増えた!? これ……は……なる……ほど……そうか……。
 どうしてかふと、全てを理解できた。これは、エーテルに刻まれた記憶だ……。十万年の間に世界中を流れ、時に生物に、時に無生物にと形を成し、時にそれを失いながら、世界を巡り、最後にエーテル溜まりであるこの場所に流れ着いて、この巨樹の一部となったエーテルが辿ってきた記憶の残滓……。
 これ、ステラを媒体にしてなかったら間違いなく情報量が多すぎて発狂してたね……。
 そんな情報量にただただ圧倒されていると、

『見つけた。あるべき世界の形。補正励起波長……コード構築……スペルチェック……完了。実行待機中』

 どこからかステラらしき声がして、僕の意識は現実へと戻ってきていた。
 最後の台詞はどういう意味だったんだろう? 世界の形? 補正、波長……なんて?

「今のは……? ステラ?」

 ステラに確認しようとしてみるも、

『ん。後で説明する。今はまず契約を終わらせて』

 と言われてしまえば、まぁひとまず詳しいことを聞くのは後回しにした方がよさそうだね。どのみち、僕抜きで戦っているミスティスたちにも早く合流してあげなきゃいけないし。

「わかった。じゃあ、先に契約を終わらせて、まずはみんなのところに戻ろう」
「えぇ、そうね」
『ん』

 いろいろ気になるところだけど、今は切り替えて詠唱に集中しよう。
 一度細く息を吐いて、残りの詠唱に入る。少女……リーフィーも僕に合わせてくれるようだった。

「「然らば此処に契約は成されん。今此の時より、我は汝に、汝は我に、盟ある限り其の(めい)と銘を捧げん。《召喚契約(サモンコントラクト)》!」」

 瞬間、お互いに「扉」が閉じられる感覚。武器の時と同じく僕から流した魔力は彼女の「扉」の向こうに持っていかれた一方で、彼女から受け取った暖かい魔力の感触もまた、僕の中に残されている。そして、その彼女の魔力に意識を向ければ、彼女の真名となった「リーフィー」の名前と、彼女の召喚に対応するだろう真言が頭に浮かんでくる。そうか、武器の時は非生物相手だったから一方的な感覚だったけど、これがきっと、正しく互いに「名と銘を捧げる」ということなんだね。

 そんなことを思った、次の瞬間――ステラの書から目も開けられない……というかそれすら通り越して、目を閉じても全く無意味な程の眩い光が放たれて、周囲の全てが真っ白く光に呑まれていた。

「え、な、わあぁぁぁ!?」
「きゃっ! 何よこれ!?」

 え、何!? どういうこと!?
 最初はとにもかくにも眩しすぎて、何が何だか何もわからなかったけど……光を浴びる内に、ある感覚が芽生える。これは……どういうことなんだろう……。以前から僕がこのゲームの世界に対して感じていた、他の仮想空間とは何かが違う「ズレ」のような感覚。それが解消された……ような気がする。
 なんて言ったらいいかなぁ? こう、ジグソーパズルで、一応はまってるように見えるけど実は間違っててなんか微妙に隙間ができてたようなところに、正しいピースがはめ直されたみたいな感じ……?
 それと同時に、「ズレ」の違和感の正体も判明する。
 そっか。僕は今までこの「ズレ」の感覚を、「仮想空間にしても現実感がありすぎる」と思っていた。けど違う、逆なんだ。「中途半端な仮想空間っぽさ」が違和感の正体だったんだ。
 あれ? でも、そうすると、この世界……「シティナスフェア」って……?――

 ――そこまで思考が及んだところで、光が収まって、再び意識は現実に引き戻されていた。

「お、終わった……?」
「収まった……みたいね」

 彼女の反応を見るに、契約の結果で起きたものでもないみたいだね。ということは、やっぱりステラが何かをしたってことかな。
 契約で流れ込んできた記憶、ステラの謎、今し方の光に、「ズレ」の解消……なんだか一気にいろんなことが起こりすぎて、いろいろと疑問も思うところもキリがないぐらいに出てきちゃったけど、今はそんな場合じゃないね。なんにせよ、契約は無事に完了できたんだ、まずはみんなのところに合流しよう。

 改めて、大妖精の少女――リーフィーと視線を交わす。

「えっと……その、リーフィー……って、呼んでいいんだよね?」
「えぇ、遠慮はいらないわ。私はもう、あなたの守護精霊ですもの、あなただけのリーフィーよ」

 そう言って、クスリと不敵な笑みを浮かべたリーフィーは、僕の耳元まできて、

「あの時のお望み通り、一生添い遂げてあげるから覚悟なさい♪」

 とんでもないことを囁く。

「ちょっ、ええぇぇぇ!? そ、添いっ……いや、あれはそういうつもりじゃ……っ!」
「あら? 違ったの? そんな、酷いわ〜。それじゃ、この契約はなかったってことで」
「いや、ちょっ、それとこれとは話が別でっ! っていうかそういう意味じゃっ!」
「ぷっ……クスクスッ、あははははははっ! 冗談に決まってるじゃない。あっははっ、あなたってば、本当にイタズラのしがいがあるわね♪」
「……っ! もう、リーフィー!」
「あははっ♪」

 リーフィーが空中をお腹を抱えて転げ回る。
 うぅ……もう顔が耳まで真っ赤になってるのがわかるよ……。本当、こういうところは相変わらずだなぁ……。

「も、もう、早くアイツを倒すよ!」

 顔を背けるのをごまかして、みんなのところに向かおうとして、

「あぁ、ちょっと待って。一つ、渡しておくものがあるのだわ」
「うん? 何?」

 リーフィーに呼び止められる。なんだろう?

「これを」

 そう彼女が右手を空に掲げる。けど、一見して何も起きていなさそうで、思わず釣られて手を伸ばした先の上を見上げる。すると、最初は小さすぎてわからなかったけど、上空、彼女の本体たる巨樹の梢から、小さな光る何かが風に乗ってふわりと落ちてくるのが見えた。
 ふらふらと風に乗りながら、それでも最後は彼女の伸ばした右手の中に収まったそれを、リーフィーは祈るようにして胸の前で両手に包む。すると、そこから一度小さく光が溢れて、すぐに収まった。そうして、両手で包み込まれたそれを、彼女は僕に差し出した。

「受け取って。私の依代よ」
「これは……」

 言われるままに受け取った僕の手のひらに乗せられたそれは、三角形に三つ連なった、小さな白い花だった。一つ一つは親指の先よりギリギリ少し大きいかな、ぐらいの、本当にほんの小さな花。それが短い茎で一つにまとまって咲いている。その咲き方といい、ほのかに感じる香りといい、一番近い印象は、花びらが6枚になった白い桜、というような見た目だ。

「これが君が……この樹が咲かせる花なの?」
「そうよ。ふふっ、驚いた? 案外可愛らしいものでしょう?」
「そうだね。こんなに大きい樹なのに、花はこんなに小さくて可愛らしい……綺麗だね。それに、すごくいい匂い」
「うふふっ、喜んでもらえて嬉しいのだわ。たとえ樹から離れていても、その花は私の依代よ。だから、それを直接身に着けてくれている限りは、私の召喚に術式は必要ないわ。私の名前を呼んでくれればいつでも駆けつけてあげるし、必要ならこの花を通して話もできるわ。どう、便利でしょう? とりあえず、ペンダントにしておいてあげたから、普段の邪魔にもならないはずよ」
「それはいいね。すごく助かるよ。ありがとう、リーフィー。大事にするよ」
「どういたしまして。うふふっ」

 見れば確かに、ツタで編んだような紐が伸びていて、首にかけられるようになっていた。それならまぁ、早速着けてみようか。
 紐の両端を首の後ろに回せば、紐が独りでに動いて結ばれてくれたのがわかった。正直、こういうの目で見ないで結べる程器用じゃないからちょっと助かったかも。
 うん、着け心地も問題ないし、ワイシャツで言えばちょうど襟元の第一ボタンがくる辺りに花があるぐらいの短めのペンダントだから、もう少し長い紐にしてあるオーブのネックレスとの干渉もない。文句なしだね。

「うん、こんな感じだけど、どうかな」
「いいわね、とてもよく似合っているわ」
「ありがとう」

 さて、と。
 今度こそ、受け取るものも受け取ったし、みんなのところに急がないとね。

「よし、それじゃあ」

 後ろを振り返れば、どうもさっきの光があっちまでも届いていたか、あのデカブツトロールが目頭を押さえてのたうち回っていた。その隙を使って、みんなも僕を待っててくれてるみたいだね。……というよりは、さっきの光がすごすぎて僕から説明が欲しいって感じかな? まぁ、なんにせよ、ボスが勝手にダウンしてくれてるのはチャンスだし、復帰する前にまずは合流してしまおう。

「ステラ、リーフィー、行こう!」
『ん』
「えぇ、あんな奴、けちょんけちょんにしてあげましょう!」

 二人の返答を背中に受けて、僕たちはみんなの下へと駆け出した。


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