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note.008 SIDE:G

 スライム5匹、なんとかなった……。

 数秒、剣を振り切ったままの残身から「ふぅ」と一つ息をついて姿勢を正し、ミスティスはもう一度剣を振り払ってから鞘に戻した。
 その姿に思わず見惚れてしまって、僕が一瞬立ち尽くしていた、次の瞬間――。
 ふにゃり、と彼女の表情が崩れたかと思えば、盾をその場に取り落として、

「ふへえぇぇ……怖かったぁぁ〜〜〜……」

 その場に頽れて、そのまま大の字に寝転がってしまった。
 まぁ、彼女が感じただろう恐怖感はわかる。
 何しろ、ここのスライムって、個体差はあるけど、普通に僕たちの身長ぐらいの高さはあるぐらいには大きいから、人間ぐらいは普通に丸呑みできる大きさがあるんだよね。
 実際、最初の戦闘ではミスティスも押し潰されかけたわけだし。
 それが一度に五匹ともなれば、もうそれだけで視覚的にも結構な威圧感がある。
 後ろにいた僕も思わず焦って一緒に逃げ出したぐらいなんだから、目の前で、しかも明確に自分にタゲが向いた状態で追い回された彼女の恐怖は推して知るべしだ。

 ……というか、僕も正直……

「ふぅっ……はぁ……疲れたぁ……」

 集中の糸が一気に切れたことと、直前の全力ダッシュとで、どっと疲れが押し寄せてきて、堪らず僕も寝転がる。
 そうして、二人してちょうど頭側で向かい合わせになって、大の字で息を整えて。
 視界には、木々の梢の隙間いっぱいに、いっそ馬鹿馬鹿しいぐらいに青い空が広がっていて。

「……くすっ」
「ふふふっ」
「あはははははははっ!」

 どちらともなく、二人揃って、意味もなく笑う。
 一頻りそうして笑い合って。
 だけど不意に、ミスティスが落ち込んだように溜息を吐いた。

「はぁ〜あ〜……なんだか情けないところ見せちゃったな〜……。もっとカッコイイおねーさんを見せたかったのにー」

 なんてまた言ってるけど……

「いやいや、絶対言うほど年上じゃないよね。多分僕と同い年ぐらいだよね?」

 堪えきれずにツッコめば、

「むー、プレイ時間的に先輩なんだから、細かいことはいーのー!」

 頬を膨らませるミスティス。
 けどそれも、一瞬の間の後には笑いに変わって、またお互い笑い合う。

 ……と、そこでふとミスティスが、コロンとうつ伏せに体勢を変えると、両手に顎を乗せて、僕の顔を上から覗き込むように、その笑みをいたずらっぽいものに変えて、

「そういえば〜……呼・び・か・た♪ ようやく『さん付け』外れてくれたねっ!」
「へ? えっ、あ……」

 指摘されて、自分でも初めて気が付いた……。
 無我夢中でやってる間に、いつの間にか呼び捨てになっちゃってたのか……。
 自覚してしまったことで、急に気恥ずかしさで顔が熱くなってくる……。

「えぇっと、いや、だから、その、あれは咄嗟だったからでっ! さっきのはその、えっと……」

 あぁもう何言ってるんだろう僕は……。
 顔が赤くなっているだろうことが自覚できてしまうだけに、悪循環でさらに気恥ずかしさがこみ上げてくる。
 っていうか、思わず僕もうつ伏せに転がって反論しちゃったけど、そのせいでほぼ至近距離で真正面から彼女と向かい合う形になっちゃって……ち、近い近い近いっ!?

「ぷっ……ふふっ……あははははははっ!」

 そんな僕の様子がよっぽど可笑しかったのか、ミスティスが仰向けにお腹を抱えて笑い出してしまった……むぅ……。

「そんなに笑うことないじゃないかぁ……」
「ごめんごめん、あはっ。けど、私にはホント、そんな遠慮とか要らないんだからね?
 ってことでぇ……せっかく呼んでくれたんだから、もう『さん付け』禁止ねっ!」
「えぇ〜……そんなぁ……」

 僕の反応に、ミスティスはまたクスクスっといたずらっぽく笑う。
 うぅ……これはまた慣れるまで大変そうだなぁ……。

 諦めの溜息を一つ吐いてから、照れ隠しの意味も含めて、仰向けに戻ってから彼女に背を向ける形に身を起こす。
 疲労回復と顔の火照りを鎮める意味を兼ねて、ポーションを一息に呷る。
 ふぅ……エーテルが満ちる感覚と、スポーツドリンクにも似たほのかな甘酸っぱさが心地いい……。

 その後ろでミスティスも土埃を払いつつ立ち上がって、

「それにしても……」

 と、取り落とした盾を拾いながら、言葉を続けて、

「前衛役ってあんなプレッシャーの中で戦ってたんだねぇ……正直ソンケーするよ」

 盾を一旦背中に背負うと、少し大袈裟に肩をすくめてみせた。

「あれ? 結構手慣れてるように見えたけど……」
「へ? ううん、初めてだよ? 私の1st、ハリケーンシューターだからバリバリ遠距離だし」
「えぇぇ……すごい自信満々に前衛やるって言うから、てっきり慣れてるものと思ってたのに……」

 純粋に思った疑問をぶつけてみれば、こちらもポーション瓶の栓を抜いて飲みかけていたミスティスは、あっけらかんと答えた。

「まぁ、ハリケーン入ってるから多少は接近戦もやるけど、あくまでソロ用の1対1前提だよ。完全なタンク役は今回が初めてかな」
「え、でも、さっきのスライムをまとめたのとか、すごい慣れてるように見えたのに……」
「あぁ〜、あれねー。アレはサークルトレインって言って……まぁ、この手のMMOだと基本のプレイヤースキルの一つなんだよ。最短距離で真っ直ぐ向かってくるだけの単純なAIのMobなら、あぁやって敵の集団の周りを大回りにぐるっと回ると上手いこと1ヵ所にまとまるんだよね〜。
 ……と言っても、基本的に一昔前までの、俯瞰視点からコントローラーとかマウスとキーボードで動かすタイプのMMOでのテクニックで、まさかVRのこのゲームで生身で実践するハメになるとは思わなかったけど」
「ははぁ……なるほど」

 適当に宙を指差した腕を円を描くようにぐる〜っと回しながら、そんな解説をしてくれるミスティス。
 その「一昔前」がよくわからない僕としては、とりあえず適当に頷いておくしかない。

 ちなみに、彼女が言った「ハリケーンシューター」というのは、このゲームに存在する上位職2種類をひとまとめにして1つの職業にする「ジョブエクステンド」システムで組み合わされた上位職の名前だ。
 このゲームで最初から選べる、ソーディアン、アーチャー、マジシャン、クレリックの4つの下位職は、それぞれ5つずつの上位職に派生できる。
 それら合計24種類の基本職と、エクストラスキルから無数に派生するエクストラジョブを、装備品に紐付けすることで、装備切り替えによって職業ごと即座に切り替えての多彩な戦い方ができる……というのが、一応HXTのウリの一つとされている。
 けど、職業によってステータス補正もガラッと変わっちゃうから、例えばソーディアンからクレリックみたいな、あまりにも極端な切り替え方をすると、感覚的な自分の身体能力もかなり大きく変わってしまう。
 だから、戦闘中にあまりコロコロと切り替えてしまうと自分の身体の制御が追い付かなくて、逆に危険なんだよね。
 それに、ソロならまだともかく、パーティーを組んだ時にそういう極端な切り替えを頻繁にやってしまうと、パーティー内での役割分担が曖昧になっちゃうから、連携も取りにくくなる。
 そこで、それをある程度カバーしてくれるのがジョブエクステンドというシステム。
 上位職20種類とエクストラジョブの中から、任意の2種類の職業を選択して、1つの職業としてまとめることができる機能だ。
 職業名は一定の命名規則で組み合わされた名前になって、ステータス補正は選択した2つの内どちらかをメイン職、もう一方をサブ職として、メイン職の補正をベースに、サブ職の補正がある程度加えられる。
 もちろん、スキルや装備は両方の職業のものを全て使うことができる。
 さらに、メイン職とサブ職に同じ職業を設定することで、ステータス補正を倍化して1つの職業に完全に特化する、「ダブルエクステンド」というシステムもあるんだよね。
 結果的に、上位職を複数取得して自分の戦闘スタイルがある程度固まってきたら、適切な職をエクステンドして、職業の変更はパーティー内の分担とか、必要な状況に合わせて切り替える、というのが一般的になっている。
 戦闘中に切り替えるにしても、メイン職は固定して役割を維持したまま、サブ職を切り替えることで戦術の選択肢を増やす、って程度が普通かな。

 「ハリケーン」は、あえて至近距離で弓と剣を切り替えながら戦うアーチャー系上位職「トルーパー」をサブ職に設定した時の名前。
 「シューター」は、同じくアーチャー系上位職で、純粋に弓の扱いに特化したアーチャーの正統進化職、「ハンター」をメイン職に設定した時の名前だね。
 ハリケーンシューターだから、基本はハンターとしての弓での中遠距離戦で、接近された時の対抗手段にトルーパーを選択してるってところかな?
 本人の言う通り、バリバリの遠距離構成だね。

「っていうか、つまりほとんど弓特化じゃん。あの前衛役への自信はどこからきてたのさ……」
「あははっ、このゲームでは初めてってだけだよ。タンク役自体は他のネトゲでそこそこ経験あるからね〜。そりゃゲームによって手段は違うけど、やるべき役割の基本は一緒だよ。スライム森はそーゆー基本ができてればやれる場所だし」

 思わず少し呆れ気味になってしまった僕の指摘も、さして気にした様子もなくミスティスは笑って答えた。
 なるほど、さすがになんの根拠もなく引き受けたわけでもないのね。

「いや〜、でも、さすがに前時代のインターネットとVRの生身じゃ勝手が違うね〜、てへへ。やることは一緒でも、なんて言うか、リンジョーカンが違うよねリンジョーカンが」

 なんて、ポーションの残りを一気に飲み干したミスティスは、少しバツが悪そうに舌を出しつつも、カラカラと笑った。

 仮想空間技術によるVRネットワークが全世界で構築された今の時代、単に「ネット」と言えば、仮想空間ネットのことを指す。
 けど、旧世代のテキストベースによる「インターネット」のインフラ自体は今も現役で残ってるんだよね。
 何しろ、1世紀近くかけて積み上げられてきた膨大なWebページのデータベースはそれだけでも様々な用途に使える立派なビッグデータだし、未だに根強い匿名性にも人気がある。
 何より、ちょっとしたメールや画像、動画のやりとりだとかのテキストベースの通信インフラとしては、やはりインターネットに一日の長があるのだ。
 それ故、インターネットは、仮想空間技術全盛期と呼べる現代にあっても、重要な基幹通信インフラとしての地位を失っていない。
 ミスティスの言う「他のネトゲ」はそういう、インターネットを利用したサーバークライアント型とかの、コンソールタイプのゲームだったってことだね。

「さっ、気を取り直して、そろそろ次行くよ〜っ! サークルトレインが通用して、さっきのフレアボムがあるんなら、2、3匹ぐらいならまとめてやっちゃっても平気だろうし、もっとガンガンいってみよ〜!」

 すっかり元気を取り戻したミスティスが、すらりと剣を抜き放って言う。

「えぇぇ……それ、ホントに大丈夫?」
「ヘーキヘーキ! 5匹まとめられたのに今更2、3匹ぐらい、なんてことないって!」

 う〜ん、まぁ……実際5匹がなんとかなったわけだし、なんとかなる、かな?


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