note.011 SIDE:R

 改めて、僕らは一路お屋敷を目指す。
 予想通り、と言っていいかは微妙なところだけど、そこからの道中では何も起きることはなかった。

 無事にお屋敷に到着した僕たちは、ひとまず右回りに外周を回り込み、南側に面した正面の正門へと回った。
 リアルであれば普段は固く閉じられている正門は、完全に開け放たれていて、閉じられている普段とはまた違った、見る者を呑みこもうとするかのような威容を呈していた。

「おぉ……ちゃんとこうして開いてるところは初めて見たけど、なんつぅか、これはこれでいつもと違う威圧感があるな」
「わぁ、中はホントにあの頃のまんまなんだね〜! ね、早く入ろう!」

 珍しく、ここで一番乗り気なのは塚本さんだったみたいで、もう待ちきれないとばかりに真っ先に門の中へと走っていく。
 その後姿を追って僕たちも門を潜ると、見事な庭園と、どこか荘厳さすら漂わせる、いかにもといった格式を持った、広大な木造平屋建ての日本家屋の姿があった。
 その姿に圧倒されてしまった僕は、一瞬、ここがジッパチの中の10年以上前の再現データであることも忘れて、ただただ立ち尽くすしかなかった。
 敷地内はほぼ全面に砂利が敷き詰められていて、北半分はそのほとんど大半を平屋建ての母屋が占める。
 北東の角には2階建て分ぐらいの高さの、石造りの大きな蔵があり、北西の角は母屋の西の縁側に面して、本格的な日本庭園として整備されているようだった。
 南西側は手入れの行き届いた庭になっていて、おそらく当時のデータそのままなのだろう、一画には木組みの棚が作られて、いくつもの盆栽の鉢が並んでいる。
 そして、南西の角には朱塗りの小さな橋がかけられた池が掘られていて、そのほとりには一本の柳の樹が植えられていた。
 東側は全体が離れになっていて、母屋に似た平屋建ての、北側半分だけが後から増築されたのか、2階建てになっていた。
 正門から正面右にある母屋の玄関までは、緩やかに逆S字を描いて敷石が並べられていて、その上を半ばまで渡った、いつもの南高の制服姿の塚本さんが、くるりとスカートを翻してターンした光景は、純和風の日本家屋に現代的な学校制服というミスマッチでありながら、何故だか妙に絵になっている気がして、僕はしばしの間、見惚れてしまっていた。

「みんな〜、何してるの〜? 早く早く〜!」

 と、一度こちらに手を振った塚本さんは、すぐにまた母屋に向けて敷石を渡って行こうとする。

 そんな彼女の姿に、思わずボーっとしてしまっていた僕に、不意に横から九条君の声がかかる。

「ハハッ、すげぇだろ。やっぱ初めてこれ見るとそういう反応になるよな」
「……へ? あ、う、うん、すごいね」

 確かに、この場所に圧倒されてもいたけど、どちらかと言うと塚本さんに見惚れてしまっていたことはこの際黙っておこう……。
 それよりも、九条君の言い回しが気になって、僕は誤魔化すように話題を変える。

「なんだかさっきから、みんな元々ここを知ってるみたいな感じだけど、ここに入ったことあるの?」
「あぁ、ガキの頃にな。先代の爺ちゃんが亡くなる前は、結構しょっちゅう遊びに来てたんだよ」
「みんな、あの人と知り合いだったってこと?」
「いや、最初はそういうわけでもなくてな」

 九条君は少し懐かしむように語り始めた。

「ほら、この屋敷ってここらじゃ一番でけぇだろ? いっつも塀を外から見てて、やっぱり子供心に中がどうなってるのかってのはどうしても気になってな。俺たち三人で忍び込もうとしたことがあったんだ」
「あの時は大変だったね。確か、あの辺りだったっけ」

 と、小倉君が西側の外壁の一角を指差す。

「そうそう、あの辺の外側から、三人で肩車してな。そん時に、肩車の順番どうするかっつって、女の子のリナに、俺たち二人を引き上げさせるわけにも、支えさせるわけにもいかないっつーんで、結局、オグが一番上、リナが真ん中で、俺が一番下になって、そこまではよかったんだけどな。オグが最初に塀の上に登って、そっからじゃあ、リナを俺が下から押し上げて、オグが引っ張り上げようってなったところで、リナがその時スカート履いてきちまってたもんだから、俺に『絶対上は見ないで〜』なんて言い出して、そんな無茶なー!って……」
「もう! その話はしちゃダメっていつも言ってるでしょ!」

 九条君の語りにくつくつと思い出し笑いが含まれ出したところで、いつの間にか背後に戻ってきていた塚本さんが、顔を赤くして抗議してきた。

「あれ、ホンット恥ずかしかったんだからね!?」
「あー、はいはい、ッくく……」
「もう!」

 思い出し笑いを抑えきれない九条君にそっぽを向いてしまった塚本さんを、宥めにかかった彼を引き継いで、小倉君が話を続ける。

「で、そんなこんなで、なんとか全員で塀に登って、内側に降りたまではよかったんだけどね。まぁ、見ての通り、下一面砂利だったもんだから、足音で速攻バレてね。三人揃って家主のお爺さんに大目玉さ」
「でも、散々怒られたけど、お爺ちゃん最後には、『うちに遊びに来たいのなら、きちんと礼儀を以て、正面から遊びに来なさい』って言ってくれたのよね」

 と、どうにか機嫌を直したらしい塚本さんも話に加わりだす。

「そうそう、それからは、三人でしょっちゅう遊びに行ったもんだ。いい人だったよなぁ、爺ちゃん……」
「怒るとすっごい怖かったけどね」

 懐かしむ九条君に、塚本さんが付け加えて、三人で笑い合う。

「へぇ、あのお爺さん、そんな人だったんだね。僕は喋ったことなかったから、家の大きさとあの厳つい見た目で見て、勝手になんだか怖そうな人って思ってた記憶があるなぁ」

 当時の当主だったお爺さんは、長く伸ばした白い口髭に、老齢さを感じさせない鋭い目つきとガッチリした体格で、袴姿の似合う、厳格な雰囲気を纏っていたのが、僕の記憶にある姿だ。
 常に固く閉じられた屋敷の正門にも、子供ながらにある種の神聖さのようなものすら感じられる気がして、そもそも屋敷自体にあまり近寄ろうとしなかった覚えがある。

「ははっ、確かに、見た目だけだとすっげー怖かったもんな。真面目な顔してる時だと目つきなんかもつり目でギョロギョロしててさ。でも今にして思えば、爺さん、あれで案外子供好きだったんだと思うな」
「そうだね。僕らが庭で鬼ごっことかしてるのを、いつも縁側でお茶を飲みながら、にこにこして見守ってたのを思い出すよ」

 少ししんみりした空気になって、なんとなく話に一段落ついたところで、塚本さんが持ち掛ける。

「ねぇ、中に入ってみようよ。せっかく来たのに、そろそろ立ち話もなんだし、ね!」
「そうだな、行ってみっか!」
「いろいろと懐かしい物も見られそうだね、楽しみだ」
「僕は初めて入るから、別の意味で楽しみだなぁ」
「中もいろいろすげぇから、期待していいぜ!」

 そうして、今度こそ全員で、敷石に沿って母屋へと向かう。
 玄関の引き戸を開けると、まず目に飛び込んできたのは、一番奥で左に折れる形のL字型の、広々とした土間だった。
 すぐ左手には、奥へ続く廊下と、L字の内側に沿った廊下に、囲まれる形で障子仕切りの客間が設えられていて、左に折れた先は台所になっているようだった。

「すごい……」

 何かに導かれるように土間を進んで、奥の台所を覗くと、全体としては現代風のシステムキッチンでありながらも、AR操作可能な今時の家電に混じって、ところどころに昔ながらの日本式の調度が絶妙な調和で配置されていて、特にコンロの隣の、土で固められた伝統的な竈が目を引いた。

「今の時代に、こんな竈が残ってる家がまだあったんだね……」
「すげぇだろ? たま〜に昼飯におにぎりなんかも作ってもらってたんだけどよ、この竈で炊いた飯がまた美味ぇんだわ」
「最近の炊飯器はかなり頑張ってると思うけど、この竈には負けるね」
「うんうん」
「そ、そんなに……?」
「まぁ、ありゃあ、おばさんの炊き方も上手かったんだろうけどな」
「昔に、お爺ちゃんの奥さんだったお婆様に徹底的に仕込まれたんだーって言ってたよね」

 なるほど……竈と一緒に、そういう技術も連綿と受け継がれてきたってわけだね。
 なんとも歴史を感じる話だ。

「客間もすげぇぞ」

 と、靴を脱いで上がっていく九条君に続いて、客間に入ると、

「わぁ、客間でこんなに広いんだ」

 12畳の客間には、長机に8人分の座布団が設えてあり、奥には立派な床の間まであった。
 床の間には、菊の花の一輪挿しの花瓶と、幻想的な雰囲気の山から滝が流れ落ちて川を作る様子が描かれた、水墨画の掛け軸が飾られていた。
 一見すると、どれもそれほど華美な装飾というわけではなく、シンプルなデザインだけど、床の間の細かな装飾や、花瓶、掛け軸、どれ一つ取っても、積み重ねてきた年月を感じさせるような、どことなく壮麗な雰囲気を纏っていた。

「懐かしいね〜、本当にあの頃のまんま」
「だな」

 と、塚本さんに九条君が応えて、小倉君もそれに頷く。

「書斎の方も見に行ってみようぜ」
「さんせ〜い!」

 九条君の提案に乗って、次は奥まった場所にある書斎へ。

 書斎は、他の部屋よりは狭かったものの、それでも8畳分のゆったりとしたスペースはあった。
 けど、四方の壁は全て、ぎっしりと本が詰まった本棚になっていて、スペースの割には圧迫感がある。
 部屋に入ると、古い本に特有の、独特な香りが鼻を突く。
 AR技術全盛のこの時代、紙媒体に触れる機会なんて、もはやあんまりないけど、僕はこの匂いが割と嫌いじゃない。

「ここもまた、なかなかすごいね」
「だろ?」
「AR化されてない紙の本なんて、今やそれだけでもかなり貴重だからね。ここにある本たちが、改築されてリアルで今どうなってるかは知らないけど、もし売りに出されたのだとしたら、相当な値段になっているだろうね」

 小倉君に言われて、試しに本棚から適当に1冊手に取って開いてみると、中身は物凄い達筆の草書体で書かれた、いかにも古文書、といった風情の文章が並んでいて、全く読める気がしなかった。
 確かに、今時はこういう紙媒体の書籍も、有名なものだったり、学術資料として保管されているようなものだと、ほとんどがAR化されていて、外国語はもちろん、こういう達筆すぎる日本の古文書も、本を開くだけできちんと読みやすい現代語訳に直してくれたりするんだけど、この本はそういう処理が一切されてないようで、原文そのままが普通に書かれているだけだった。

 僕が開いたページを後ろから覗き込んだ九条君が、思わずといった様子で吹き出して、

「ふっ、ははは! 爺ちゃん普通に読んでたし書いてたから、俺も大人になったらこんな風に書けんのかなーとかあの頃は思ってたけど、ダメだこりゃ。ははっ、今見ても全然読める気がしねぇや」

 それを聞いて、同じように覗き込んできた小倉君も、

「なるほど、これはお手上げだ」

 と、肩をすくめる。
 そこで、横から覗いた塚本さんが、

「ん〜……これって日誌かな? ほら、一行目のこれ、日付じゃない? 十月二十九日って」

 言われてみるとそんな気もするし、一行目はそこで改行されて、次からしばらく文が続いた後に、一行空けてまた同じように短い一文、本文らしき部分、と続く形式は確かに日誌のようにも見える。
 早々に諦めて他の本を物色していた九条君たちも戻ってきて、どうやら日誌の類らしいことをヒントに、なんとなく解読してみようとしたんだけど……

「ってことはこれは、えーっと……本……日……かな?」
「その下は……『晴』れるって字?」
「間はなんかカタカナっぽいね。本日ー……ハ……晴天ナル……モ……かな?」
「っぽい気はするけど……ダメだな、その先はやっぱ読めねぇや」
「……だね」

 今度こそ全員でお手上げのポーズで軽く笑い合ってから、本は諦めて元の場所に戻す。

「さてと、後は、高坂に『アレ』を見せてやらないとな」
「あぁ、『アレ』ね〜」
「『アレ』って?」
「まぁ、見ればわかるさ。こっちだ」

 何やら意味ありげに顔を見合わせて部屋を出て行こうとする三人。
 よくわからないまま、僕も書斎を出て廊下を戻っていくみんなの後ろをついていく。

 書斎へ続く廊下を少し戻って、途中で来た方向と別の廊下を右に曲がる。
 その廊下を少し進んだ右手にあった障子を開けると、そこは一角が押入れになった、寝室らしき襖仕切りの部屋。
 かと思えば、目的はこの部屋ではないようで、部屋の奥、隣の部屋と繋がった襖を九条君が開け放つ。
 その先にあったのは――

「すごい、囲炉裏がある」

 中央に大きな囲炉裏を備えた、この家でおそらく一番広い大部屋だった。
 更にその奥は縁側になっていて、外からも少し見えた西側の日本庭園のちょうど正面になっていた。

 囲炉裏の実物なんてまず目にする機会のなかった僕は、天井から吊るされた自在鉤や、一段掘り下げられて灰を敷き詰めてある内側の様子を思わずしげしげと眺める。

「実物の囲炉裏なんて、見たの初めてだ」
「庭もすごいぜ。こっち来てみろよ」

 九条君に促されて、縁側に出る。

「わぁ……」

 これは、何というべきか……僕は、それ以上の言葉を出すことが出来なかった。
 手前側は、大小の岩と一面の白砂で表現された、本格的な枯山水。
 奥には、築山や苔むした大岩、いくつかの低木が緻密に配置されている。
 それらを縁取る額縁のように、両側には松の木が植えられ、最奥の壁際に沿って全体を囲むように配置された紅葉は、秋頃の環境データを使ったのだろう、見事な紅葉で景観に彩りを加えていた。

「ここも懐かしいな〜。ねぇ、覚えてる? あたしがここで、お爺ちゃんがいつも飲んでる緑茶を飲んでみたい〜って言い出して、いざ飲んでみたらもう、熱いし苦いしで湯呑放り投げちゃって……」
「あぁ〜、あったあった! あん時ゃ大変だったよなぁ、お茶盛大にぶちまけて、周りはびっしゃびしゃだわ、湯呑は割れちまうわ、お前は服ダメにしちゃうわで。あん時のリナ、大泣きだったよな」
「んもぅ、それは言わなくていいの!」

 九条君の余計な一言で塚本さんが赤面して、そうして一頻りみんなで笑う。

「あはは、それはまた大変だったね」
「そりゃあもう、横で見てた僕らはてんやわんやさ。あの時は、これは怒られるかと思って平謝りでビクビクしてたら、お爺さん、大爆笑してたよね」
「あぁ、そうだったな」
「結局、あの時はしばらく佳苗お姉ちゃんのお下がりを借りたんだっけ。懐かしいな〜、佳苗お姉ちゃん元気かなぁ」

 佳苗さんというのは、お爺さんの孫娘に当たる人で、確かリアルではもう結婚して、改築されたこの家に、今も現当主のおじさん夫婦と一緒に家族で住んでいるはずだ。

「佳苗姉かー。思えば、佳苗姉にも結構世話んなったもんだ。そういやぁもうしばらく会ってねぇよなぁ」
「工事が長かったのもあって、改築された頃には僕らも学校通いで、ほとんど遊びにいかなくなっちゃったしね」
「小学校じゃ、学年変わっちゃうとほとんど交流なかったしね〜」
「俺らとじゃ4つも離れてたもんなぁ。小学校入っちゃうと、1年生と5年生じゃ完全に雲の上だったもんな」
「あー、確かに、小学校だと学年が離れるとなんかそういうところあるよね」

 小学校の上の学年の人に対する雲の上感は、なんとなくわかる気がするなぁ。
 1年生と5年生じゃ、確かにちょっと敬遠しちゃうよね。

「今度、久々に遊びに行ってみっか」
「そうだね」
「うんうん、久しぶりにおばさんのおにぎりが食べたいよ」
「食い意地張ってんなぁ、リナ」
「う、うるさいわね、いいでしょ!」
「あはは」

 と、そんな昔話が一段落したところで、

「あぁ、そう言えば……」

 と、小倉君が何かを思い出したように、囲炉裏のところまで戻ってから腰を下ろす。

「どうした?」
「いやね、この庭はこうして囲炉裏から座って見た時に一番綺麗に見えるんだ、みたいな話をお爺さんがしてた気がしたのを、なんとなく思い出してね」
「そういやぁそんな話もあった気がするなぁ」

 試しにと、僕らもそれに倣って、囲炉裏を囲んで腰を落ち着けて、改めて庭を眺めてみる。

「なるほどな? あん時ゃいまいち意味がわからなくて、『まだ早いかのう』なんて爺ちゃんには笑われたけど、今ならちったぁわかる気がするな?」

 そう言いながら九条君は、片目をつぶって両手の人差し指と親指でファインダーを作って前後させながら覗き込む。

「そうだね。ここから見ると、家の間取りそのもので切り取られて、まるで額に嵌った絵画でも見ているかのようだ」
「奥の紅葉も、なんだか夕暮れ時の空みたい」
「あ〜……なんとなくわかるかも」

 確かに、言われて見れば、家の間取りを額縁として、両側を松の装飾で縁取られて、紅葉の紅は空の色、奥の築山や低木なんかはおそらく遠景の山々を表現しているのだろう、夕暮れ時の野山と流れる川、という構図に見えなくもない。
 なるほど……そうやって見ると、日本庭園、奥が深いなぁ……。
 ……うん、ちょっとこの、日本情緒的な侘び寂びとやらを完全に理解しきるには、僕にはまだ早いらしい。

「つぅか夕暮れ時で思い出した、そろそろ本題の境橋見にいかねぇと、マジで日が落ちちまう」
「っと、そうだね」

 西に面する縁側にもう一度出てみると、まだ赤く染まってこそいないものの、だいぶ日は落ちて、既に太陽は塀より少し上、真正面に見えるような位置まで降りてきていた。

「懐かしすぎて長居しちまったけど、そろそろ真面目に本題といきますか!」
「お〜!」

 というわけで、お屋敷に別れを告げた僕たちは、今回の本題であるトワイライトゾーンへと歩を進めたのだった。


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