note.013 SIDE:N

 ある日の休日――
 「高坂 大樹」ことマイスは、自身の密かな趣味である、トラッシュエリア探索に興じていた。
 その日は、以前に見つけてから探索を続けている、遠堺市の「行政区」のほぼ全域が含まれる大型のトラッシュエリアを気の向くまま彷徨って、彼にとってはいつものように、通った道筋をマッピングしたり、気に入った場所をスクリーンショットに収めたりして過ごしていた。

 トラッシュエリアとは、ある種の「楽園」だ。
 法律的にはグレーゾーンであり、あまり人に言える趣味ではない。
 が、むしろだからこそ、誰にも邪魔されることのない「楽園」。
 少なくとも、マイスはそう考えていた。
 そしてそれ故に、この日起こったイレギュラーは、彼にとっては全くの想定外だった。

 路地の合間の一画を、いつも通りにマッピングしながら歩いていると、不意に目の前の横道からパタパタと誰かが走ってくるような足音。
 「えっ!?」という疑問が口をついて出るより先に、勢いよく横道から角を曲がってきた足音の主と衝突する。

「きゃっ!?」
「うわっ、ごめんなさ……って、え、人!? えっ!?」

 完全に反射だけで謝ったマイスだったが、頭は完全にパニックを起こしていて、何が起こっているのか、一瞬理解ができていなかった。
 ただ、相手が自分と同年代か、少し年下に見える少女であることだけはなんとか認識できた。
 肩の少し下ぐらいまで伸びた栗色のセミロングを揺らしながら、つぶらな、という表現がしっくりくるその目に涙を浮かべて、息せき切って捲し立てる。

「ご、ごめんなさいっ! あ、じゃなくて、えっと、そのっ! こんなところで何してるんですか! あなたも早く逃げてください! 私、今追われててっ! ここにいたらあなたも巻き込まれます、早く!」
「え、えーっと……? ごめん、少し落ち着いて? いまいち話が……」

 「見えてこないんだけど」、と続けようとした台詞を掻き消して、少女が走ってきた横道の奥から鋭い男の声が響いた。

「オラァ、見つけたぞ、メスガキィ!」

 明らかに殺意を含んだ剣幕に、思わず肩を震わせて横道を覗き込むと、黒いシャツにカーゴパンツ、全身にジャラジャラと金属のアクセサリーを纏った、いかにもという雰囲気の細身の男が、通路の奥をこちらに迫ってくるところだった。

「あぁ、追い付かれちゃいました! ごめんなさい! 早く逃げて!」

 事情はまだ飲み込みきれなかったが、尋常ではない男の剣幕と、少女の焦りから、男に捕まるのは不味いことはすぐに察せられた。

「よくわからないけど、ひとまず逃げよう!」
「えっ!? あっ、ちょっと!? 待ってっ!?」

 咄嗟の判断で、ほとんど無意識的に少女の手を引いて、マイスは走り出す。

 横道の角を曲がった男は、それまで姿のなかった何物かが少女の手を引いていることに気づいて舌打ちする。

「……チッ、あまり表で大事にはするなっつぅ命令だったから適当なトラッシュエリアに囲い込んだっつーのに、ネズミが一匹紛れていやがった」

 予定外の事態に、唾を吐き捨てながら苛立ちを隠さない男だったが、一旦思い直して舌なめずりする。

「ヘッ、まぁいい。逃げ回るしかできねぇネズミが、一匹二匹増えたところで変わりゃしねぇ」

 呟いて、ほくそ笑んだ男は、余裕を保った足取りで、少女を追うべく再び動き出した。

 ――――

 少女の手を引いたマイスは、自分が元来た路地を、出入口として使っているセキュリティホールに向けて走っていた。

「ちょっ、ちょっと! あのっ! そうじゃなくてっ!」

 引かれるままに後ろを走りながらも、少女はマイスから手を離そうと抗議する。

「待って! そうじゃないの! 追われてるのは私だから、あなたは関係なくてっ! だから、私のことは放っといて逃げてって言ったのに!」

 しかし、それでもマイスは手を離さない。

「あんな状況で、君だけあの場に置いてなんか、行けるわけないじゃないか! 大丈夫、僕は自分でここに入ってきてるから、出口も知ってるよ、ついてきて!」
「違うの、そうじゃなくてっ……きゃあっ!?」

 少女が突然、走ったままで身を屈める。
 と、同時に、自分たちが走ってきた少し後ろの場所を、壁から何かが突き抜けてくる。

「うわっ!?」

 その壁を抜けてきた「何か」は路地の地面に着弾かと思うと、小さく爆発を起こした。
 爆風に煽られて足を取られそうになるものの、なんとか立て直したマイスは、思わず後ろを確認する。
 すると、再びすぐ後ろの壁から「何か」が飛んでくる。
 それは白い光でできた球体のように見えた。
 球体の通り道になった壁の部分は、そこだけがくり貫かれたように綺麗に円形の穴を覗かせていて、球体は地面に着弾したところで爆発する。

「くっ……これって、ラクトグレイス!?」
「そうなの! だから私っ、あなたを巻き込みたくなくてっ! お願い、逃げて! このままじゃあなたも一緒に殺されちゃう!」

 ラクトグレイス――「施錠による祝福」と呼ばれる、ラクターとなってログアウト不可能になったアバターデータに時折現れる特殊能力。
 ようやく、少女が自分だけを逃がそうとしていた理由を理解するマイス。
 だが――

「ハッ! 今更逃がすわけねぇだろ? このクソネズミがァ!!」

 背後で三度の爆発。
 その光弾でくり貫かれた穴から男がすぐ後ろに追いついてくる。

「ヤバい、急ごう!」

 マイスは少女の手を強く握りなおして、走る速度を上げる。

「そぅら、どこまで逃げられるかなァ?」

 男の周囲に、先ほどまでよりは幾分小さい光弾がいくつも生まれて、逃げる二人に向けて乱射される。

「っくぅ!?」
「きゃあああっ!」

 男はどうやら、二人を(もてあそ)ぶように、わざと狙いを外しているらしく、マイスと少女は右に左にと爆風に煽られながら逃げ惑うしかなかった。

「ハハハハハッ、踊れ踊れェ!」

 途中、幾度か路地を曲がって撒こうと試みるも、その度に壁をくり貫いて突き抜けてくる光弾によって、簡単に近道を作られて、すぐに追い付かれる。
 そうして、幾度目かの角を曲がったところで――

「ヤバっ、データ破損!?」
「嘘……!」

 その通路の先は、半ばから空まで含めた空間全体がブロックノイズのように分解されていて、その先は、アンテナを繋げていない旧世代のテレビのような砂嵐状態の、上も下もない空間だけが続いていた。
 トラッシュエリアにはよくある、破損した空間データ。
 どうやら、光弾から逃げるのに必死になっている内に追い込まれていたらしい。

「キヒヒヒヒッ! また面白れぇぐらい綺麗にハマってくれたなぁ、オイ?」

 背後から、男が下卑た笑いと共に現れる。
 マイスは、咄嗟に少女を背後に庇って、男と対峙した。

「なんで……どうしてそこまでしてくれるの……? 私が巻き込んじゃっただけなのに……」
「どうして……どうしてだろうね?」

 戸惑う少女の問いに、マイス自身も自問する。
 そもそも、普段のマイスはこんなに自らを犠牲にしてまで、他人の危険に飛び込むような勇気ある人間ではない。
 それがどうして今、ここまで自分の身体が動いたのか、自分でも理解はできていない。
 内心は今も、できることなら今すぐ外部モニターモードに切り替えてリアルの身体に制御を戻して、ゼウスギアを外して強制ログアウトしたい気持ちで一杯だった。
 現に身体は恐怖に支配されて、膝が震えだすのを隠すことすらできていない。
 第一、何の力も持たない自分が、この状況で、ラクトグレイスを相手に一体何が出来るというのか。
 だけど、まぁ……――マイスは思う。

「だけど、まぁ、こういうのにきっと、理由なんて要らないんじゃないかな。すごく使い古された言い方だと思うけど……ただ助けたいから助ける、それでいいんだと思う」

 口にしてみて、その答えは自分でも驚くほどに、心のどこかにストンと嵌ったように思えた。
 腑に落ちる、とはこういうことかな、と、頭のどこかで冷静に考えている自分を自覚する余裕すら生まれてきていた。

「ハッ! クソネズミが、一丁前にヒーロー様気取りかよ」

 男が、そんなマイスの態度が気に入らないといった様子で、上に向けた右の掌に、バスケットボール程の大きさで光弾を生み出す。

「オイ、クソネズミ。俺の目的はそこのメスガキだけだ。そこをどいたら、今ならテメェだけは見逃してやってもいいんだぜェ?」
「断る!」

 男の最後通牒に、マイスは毅然として即答した。
 その答えに、わずかに片眉を吊り上げた男は、もはや苛立ちを隠すこともしなかった。

「ハン! ならまとめて死ねェ!!」

 男が大上段から叩きつけるように投げる動作で光弾を射出するのと、ほぼ同時に、マイスの意識は刹那の間、引き延ばされた。

 両手を広げて、少女に向かうはずの光弾を受け止めるつもりで立ちはだかる自分の身体。
 引き延ばされた思考は、頭のどこかで「これが走馬灯とかそういうやつなのかなぁ」などと場違いにも暢気に考えていた。
 しかし突然、横から何か大きな衝撃を受けて、抵抗も出来ずに斜め後ろへと突き飛ばされる。
 尻餅をつく形で突き飛ばされたせいで、ゆっくりと下に下がっていく視界の中、今まで自分が立っていた位置に、新たに立ち塞がったのは、ほんの数瞬前まで自分が守ろうとしていた少女の姿で――

「ダメェーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 少女の渾身の叫びで、引き延ばされていた時間が急速に戻ってくる。
 そこからの一瞬の出来事は、あまりにも劇的すぎて、何が起こったのか、しばらく理解ができなかった。
 光弾が少女に接触する寸前、目の前で、突然現れたポリゴンのワイヤーフレームのような立方体に囲まれる。
 次の瞬間、フレームは光弾ごと、ディスプレイの電源を無理矢理切断した時のような、プツンと切れるエフェクトを残して完全に消滅。
 同時に、少女の目の前には、[ログ取得:空間情報]の文字と、フレーム出現の3秒前の時刻を示すシステムウィンドウが数秒の間表示されて、フレーム同様に唐突に消えた。

「……ハ?」
「え……?」
「へ……?」

 男も含めて、誰も何が起きたのか理解しきれず、しばしその場にポカンと固まる以外の反応を返すことができなかった。
 その場から、最初に再起動して乾いた笑いをあげたのは男だった。

「ハ……ハハハ……何だ……何だよ……何だって? ラクトグレイス? 覚醒したってのか。この土壇場で? ハハ……オメェ、漫画じゃねぇんだぞ……。しかも、何だ今のは。ログの取得? 空間情報だと……? 仮想空間上の構成データに直接干渉して、過去のログを取ってきたってのか!? 馬鹿げてる……」

 男もおそらく、何が起こったのか理解できずに、一度思考が冷静になったのだろう、奇妙に落ち着いた様子で、今し方発生した現象への推論を口にする。
 が、その理解で確信を得たのか、男の言葉尻に再び怒気が籠り始める。

「ふざけるなよ!? そんな……それがラクトグレイスだと!? そんなもん、もはやラクトグレイスの域を超えてるじゃねぇか!! 貴様、貴様一体、何者だ!?」

 男は半ば気圧されたように、少女に指を突き付けて喚き散らす。
 少女はと言えば、まだ自分の身に何が起きたのか理解しきれず、混乱するばかりだった。

「ハハ……ハハハ……馬鹿な……そんな馬鹿なことがあってたまるか!! 死ねェ、このクソガキがァ!!!」

 勝手に自己完結に至ったらしい男は、突如激昂して、自分の周囲に無数の光弾を一瞬で生み出す。

「ハハハハハハハハッ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええぇぇぇッ!!」

 ほとんど男の姿を埋め尽くすほどの量で発生した光弾が、少女に向けて殺到する。

「嫌ーーーーーーーーーーーーっ!!」

 目の前に広がる絶望的な光景に、少女はただ目をつぶって身を縮めることしかできなかった。
 しかして、まるで少女を守ろうとするかのように、現象は再び発生した。

 光弾が一つ一つ、少女に当たりそうな位置から順に、次々にワイヤーフレームに囲まれて、少女の周囲に現れる数秒前を示すウィンドウと共に消滅する。
 その光景に、男も目を見開いて、追加の光弾を生み出して射出していく。
 だが、フレームの生成ペースの方が明らかに目に見えて速く、最初のうちは少女の目の前付近で消失していた光弾の波は、段々と男の方に押し返されるようにして、その飛距離を縮めていく。

「クソッ! クソッ! クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソォォオオオーーーーーーーーーーーーァ!!! 畜生! 畜生め!!」

 ついに、光弾が男の目の前、ほとんど射出と同時に進む間もなく消されるようになった段階で、もはや発狂に近い叫びを上げた男は、両手を頭上に掲げて、残った光弾を全て一つの巨大な光弾に収束させる。

「こんのクソッタレがァァァ!! 死ねぇぇぇええええええぇぇぇぇぇ――」

 だが、男の叫びは最後まで続かなかった。
 頭上の光弾ごと、男の立っている空間が全て、ワイヤーフレームで囲まれる。
 男もどうやら、それを認識したのだろう、最期は驚愕の表情を浮かべて――

 ――消失。

 同時に少女の目の前に現れた、一際大きなウィンドウに映されたログの取得日時は、15分前の時刻を示していた。

 15分前……どう考えても、男がいた位置には誰もいない。
 つまり、先程の男の推測が正しければ、男のいた位置の空間情報は、男の存在ごと、「15分前の誰もいなかった状態の空間情報」で上書きされてしまった、と言うことなのだろう。
 男のリアルの意識がどうなったかなど、もはや知る由もない。
 ラクトグレイスを使っていた以上、男もラクターであったことは間違いなく。
 そこから考えれば、よくて「デリート」といったところだろうか。

 あまりにも怒涛の展開の連続で、全く追い付いていなかった思考がようやく戻ってきたマイスは、冷静になった頭でそんな推論を立てつつも、呆然とした面持ちのまま、ふらふらと立ち上がる。
 それと入れ替わるようにして、男のいた空間を見つめたまま、肩で息をしていた少女が急にふらりと倒れた。
 慌ててマイスが駆け寄り、なんとか地面に頭を打ちつける前に抱き留める事には成功するものの、少女は完全に気を失ってしまっているようだった。

「大丈夫!? えぇー……ど、どうしよう……」

 思わず辺りをキョロキョロと見回してしまうが、当然ながらトラッシュエリアのど真ん中であるこの場所に、助けを求められる人などいるはずもなく、マイスは途方に暮れる。
 そもそも、最初の出会いからして、あまりにも咄嗟の事すぎて、マイスは少女の名前すら聞いていなかったことに、今更ながら気が付いた。

 こういう状況でラクター絡みとなると、普通であれば、警察か病院に引き渡して、ラクター患者のリストや本人の口から身元の確認なり、事情聴取なり、というのが一般的ではある。
 だが、ラクトグレイスが絡むとなると、また話が別になる。
 一度ラクトグレイスを発現してしまったラクターは、多かれ少なかれ、その能力を巡って争いに巻き込まれることも多く、また、ラクトグレイスを用いたネット上での犯罪行為も増加の一途を辿っているため、警察でも専門の部隊が立てられている。
 そして、その専門部隊の任務には、そういった争いを嫌うラクターや能力者の保護も含まれてはいる。
 しかしながら、現状においては、その部隊が抑止力、あるいは保護として機能できているとは言い難いというのが実状だ。
 結果として、ラクトグレイス能力者の身の安全の確保手段は自衛が確実とされていて、能力者が警察に助けを求めることはほとんど意味がないというのが共通認識だった。

 その辺の事情を抜きにしても、彼女に発現したラクトグレイス――と呼んでいいのかどうかもわからない能力は、マイスの知るそれと比べても、あまりにも異質すぎる。
 確かに、ラクトグレイスは超常の力ではあるが、マイスが知る限りそれはあくまでも、火や水を操るだとか、決められた条件下で特定の現象を起こすだとか――仮想空間上の物理演算の範囲内で使える、一種の魔法のようなものだった。
 しかし、今し方少女が起こしたのは、仮想空間を構成するデータそのものへの干渉。
 過去を参照し、現在に上書きする、仮想空間そのものの再構築(システムロールバック)
 完全に、マイスの知るラクトグレイスの能力で実現可能な範疇を超えている。
 おいそれと警察に駆け込んだりして、彼女の存在を表沙汰にするべきではない、とマイスの直感が告げていた。

 そうなると、この状況で頼れる相手は極端に限られる。
 だが、マイスにとって、それは幸いにも0ではなかった。
 問題は、気絶してしまった少女をどうするか、ということだが……。

「……おぶっていくしかないよねぇ、これ……」

 思わず、ため息交じりに呟くも、それで状況が変わるわけもなく。
 完全に気絶した状態の仰向けの人間を、頭や首筋を安静に保つよう気を付けながら、背負えるようにうつ伏せの状態にひっくり返して、背中に乗せる、という作業に思いの外四苦八苦して、無駄に体力を消耗すること5分。
 どうにか少女の身体が背中にしっかりと乗ったことを確認して、既にへとへとになりながらも、マイスはようやくその場を立ち上がる。

「よし、と……とにかく、まずはジッパチ、かな」

 そう、誰にともなく呟いて、マイスは独り、静寂の戻ったトラッシュエリアを歩き出した。


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