note.013 SIDE:R
「黄昏の欠片」と聞いて……単語ではないんだけど、一つだけ、そう呼べるものに心当たりがあった。
けど……う〜ん……これをここで言ってもいいものかどうか……。
「う〜ん……でもなぁ……う〜ん……」
「なんだ? なんでもいい、ちょっとでも気付いたなら教えてくれ」
まぁ……僕もここまで言いかけちゃったしね、今更教えないわけにもいかない、か……。
「じゃあ、ちょっと……。う〜ん……でも、ちょっとこれはあんまり大きな声では話しにくいかなぁ……。グループチャットでいいかな」
「おー? 何々? そんなになんかヤバげな話?」
「まぁ、ちょっとね……」
うん、これはちょっとあんまり人に聞かれるのはよろしくない話かなぁ……。
というわけで、新しくチャット用のARウィンドウを作って、許可した人だけに見えるグループモードに設定して、三人を招待する。
>んで、ここまでしなきゃいけないようなヤベぇ話ってなんだよ?
>えっと、みんな、「トラッシュエリア」とか「アングラ」って知ってるかな?
>あー、聞いたことはあんな
>あたしも知ってるー
>なんか空間データの古いキャッシュとかを不法占拠して使ってるゴロツキみたいな連中の溜まり場とかそんなんだっけ?
「トラッシュエリア」とは、塚本さんの説明通り、仮想空間データの古いキャッシュや使われなくなったバックアップなんかが、セキュリティホールやバグでアクセス可能になってしまっている場所のこと。
そういった空間データの一部は、出入り用のバックドアが確立されて、ゴロツキやチンピラのような連中や、ハッカー、クラッカーたちの溜まり場として不法占拠されていて、そういう場所は「アングラ」と呼ばれて、ネット上の様々な犯罪行為の温床として、ラクターと並ぶ現代の社会問題の1つとなっている。
>そう、それ
>実は、この遠堺にもアングラがあるんだけど、
>僕はそこに、たまたまセキュリティホールか何かで迷い込んじゃったことがあるんだ
>マジ!?それヤバくね!?
>なるほど、大っぴらに話せないのはそういうことかい
>うん、まぁ、本当に自分でもわからない内に迷い込んじゃっただけで、
>その時は、なんとか誰かに見つかる前に出口を見つけてすぐ逃げたんだけど…
>マジかよ…
……実のところ、半分は本当、半分は嘘だ。
最初は偶然で迷い込んだまでは本当。
だけど、実際には内部で人に遭遇しているし、もっと言えば、少しばかり縁あって、今に至るまでちょくちょく入り浸っている。
まぁ、もちろん、学校にバレたらいろいろと不味いわけで、僕だけの秘密だけどね。
>あー、まぁ、一旦置いとこう
>で、その話と黄昏の欠片がどう関係してるんだ?
>そのアングラの中で1ヵ所だけ、環境データが夕暮れ時と朝焼けで固定されたエリアっていう、変な場所があったんだよね
>夕暮れ時と朝焼け?
>うん
>えっと…境橋があるでしょ?
>おう
>僕がそこに入ったのは昼間だったはずなのに、
>境橋でちょうど区切って、東側1区画だけが朝焼けで時間帯が固定されてて
>反対の西側1区画だけは夕暮れで固定されてたんだ
>だから、橋の上から見た時だけ、辺りが全部黄昏時になってて
>東と西のどっちを見ても両方に太陽があるっていう、変な場所になってたんだ
>なるほどな
>確かに、「黄昏の欠片」としか表現のしようがねぇ
>でしょ?
>境橋の周りだけがそうなってたから、なんだかそこだけ妙に記憶に残ってて…
僕たちの住む遠堺市は、山脈のちょうど西端に位置する、南側が海に面したベッドタウンだ。
山脈の最西端を形成する、標高200m程度の「境山」で市の東側が南北に分断されていて、そこから東に向かって山脈が連なっているから、人が住んでいる部分は全体としてはちょうど「C」の字の形をしている。
このCの字に沿うようにして川が流れていて、川はそのまま市内を東側へ抜けて、隣の市で海へと注がれている。
「境橋」は、この川を市内で渡している橋の1つで、市の南側、少し南西寄りの位置を南北に繋いでいる。
そして、この市内全域を利用した大規模アングラは、「遠堺パッチワークス」と呼ばれている。
拠点とする住人からは、「遠堺パッチワークス」→「遠パッチ」→「トーパチ」から、通称「トーパチ」、もしくは「108」、「ジッパチ」などと呼ばれる方が多い。
その中で唯一、「夕暮れと朝焼けが向かい合った」形で時間帯が固定されている謎の領域は、通称「トワイライトゾーン」と呼ばれている。
何故境橋を挟んだその区画だけがそんな設定になっているのか、起源も目的も一切不明で、長くジッパチに出入りしている人でも出自がわからないらしい。
僕が「黄昏の欠片」と聞いて、具体的に思い当たるのはここしかなかった。
>ふむ…よし、そこちょっと行ってみようぜ!
>えぇっ!?
>おいおい、本気かい?
>えー…やめといた方がよくない?
>学校にバレたら大変だよ!?
思わず声に出してしまいそうになるのをなんとか堪えつつ、九条君に視線を向ける。
小倉君と塚本さんも似たような表情で、九条君に目をやっていた。
>あたしは反対かな
>アングラってゴロツキとかチンピラみたいな奴らの溜まり場なんでしょ?
>絶対危ないって!
>僕も流石に賛成はしかねるね
>入って、中でトラブルを起こさずに帰ってこれる保証がない
>僕もそう思うよ
>言い出した僕が言うのもなんだけど、あんまりオススメはできないかなぁ…
う〜ん……やっぱり、言わない方がよかったかなぁ……。
なんとか諦める方向に話を持っていかないと……。
>第一、アングラになんてどうやって入るつもりなの?
>僕が迷い込んだのは本当にただの偶然で、きちんとした入り方なんて誰も知らないよ?
>あー、そうか
>う〜ん…そりゃ詰んでるな…
>行こうにも、入る方法がわからないんじゃどうしようもない
>残念だけど、今回は諦めた方が賢明だと思うよ、ナオ
>やっぱダメかなぁ…
>高坂、本当に何も知らないのか?
>知らないよ
>あの時はただ、いつの間にか周りの人とか、そこにあったはずの物とかが消えてて、
>それで何かおかしいって気づいただけだったからね
>うん?じゃあ何でそこがアングラだって気が付いたんだ?
>人が消えたってだけなら、ただのトラッシュエリアの可能性もあったわけだろ?
>それは、何かおかしいって気づいてから、まず最初に大通りに出ようとしたからね
>そしたら、なんかもう明らかにアレな感じの人ばっかり集まってたのが見えて、慌てて見つかる前に引き返したよ
そこまで送信して、僕はチラリと視線だけで九条君の様子を伺う。
これで諦めてくれればいいけど……。
>んー…やっぱ詰んでるかー…!
>チクショウ、ようやくあと少しで初めて具体的な形のある黄昏の欠片に手が届くってのに…
>まぁしょうがねぇ
>無理言ってスマンな、高坂
>サンキュー
>いいよ、僕こそあんまり力になれなくてごめん
>何、気にすんなって
ふぅ……なんとか諦めてくれたっぽいかな……。
内心で胸をなでおろす。
まぁ、下手にみんなを関わらせるわけにはいかない手前、なんとか誤魔化したけど……。
実際のところどうかと言うと、僕は既に割とあの界隈の人たちとも顔見知りな程度には入り浸ってるんだよね。
と言っても、本当にただお互い顔見知りって程度で、頻繁に会話するほど仲がいいのはほんの数人だけなんだけどね。
それでも、それなりに面識はある人がほとんどだし、あの人たちの大半は、駅前区画を中心とした時間帯が夜で固定されたエリアに屯しているだけだから、実はジッパチに入ってトワイライトゾーンまで行って帰ってくるだけなら、僕が一緒に行く分にはなんの危険もないんだよね。
もちろん、学校にバレたらヤバいって意味での危険性は変わらないんだけど、それも結局、そもそもジッパチの存在自体が屯している住人たち以外にはほとんど知られていないから、大した問題にならなかったりする。
「っかー! でもやっぱ悔しいなー、ようやくずっと探してきた案件に初めて手が届きそうだってのに!」
それでもまだ完全には諦めきれないのか、九条君はARウィンドウを消して、頭を振った。
「まぁ、今回はそういうモノが確かに実在しているってことがわかっただけでも収穫としておくべきだと僕は思うね」
と、それに応じて小倉君が肩をすくめる。
そこへ、塚本さんが何かを思いついたように、少し声を潜めて割り込んできた。
「んー……でもさ、そーゆー場所がアングラに実際にあるってことはー……もしかして、3つ目の、何のことかわかんないけどラクターの人たちが探してるっていうのは、ある程度正解だった、ってこと?」
その一言で、全員がハッとなって、小声で顔を突き合わせる。
「ふむ……元々は、この遠堺のアングラにそういう場所がある、という話で、噂として広まる内に背びれ尾ひれがついてラクターが探してるという話になった、という推論は、確かに十分成り立つね。
黄昏の欠片と呼べる何某かが存在すること、そしてアングラが関係する、という意味ではラクターとも関わりが深い。この二点で話の大枠としては一致している」
アングラがどうしてラクターに関係するかと言えば、ラクターの持つ「感染性」に起因する。
この「感染性」には、今のところ明確な医学的根拠がなく、一般には認められていない。
けれど、「感染性」があるとしか思えないぐらい明確に――特に、ある条件において顕著に――ラクターの周囲では新たなラクターが発生しやすい、という事実は経験則として広く知られている。
そのせいで、あまり良いことではないとはわかっていても、ラクターの存在に恐怖感や忌避感を持ってしまう人も多く、アングラは行き場を失ったラクターが行き着くスラム街のような場所としても機能している、というのが実情なんだよね……。
「だとしたら、やっぱ『黄昏の欠片』ってのはその妙な区画のことを言ってるってわけか?」
「でも結局、他の噂との関連が全く不明だ。これを『黄昏の欠片』の正体と認められるのは、あくまでも3件目の噂だけと見るべきだろうね」
まぁ、確かにそう考えれば、ラクターの噂だけは話がつながるんだけど……。
そうだとしても、まだ僕としてはちょっと疑問が残ってるんだよね。
「う〜ん……でも、そうだとして、どこから話が伝わったんだろう? そもそも、僕は迷い込んじゃったから知ってたわけだけど、みんなは今まで、この遠堺にアングラがあるなんて話、聞いたことある?」
「言われてみれば、聞いたことないわね、そんな話」
「確かに。俺たち探偵部でガキの頃からこの街のいろんな噂を集めてきたけど、そんな話は一度も聞いたことがねぇ」
「考えてみれば、それもそれでまた不思議な話だね。この治安のいい街にそんな犯罪者の溜まり場みたいなものが存在するだなんて、どこかで一度ぐらい噂になってもよさそうなものだけど」
それについては、意外と単純な理屈なんだよね。
「僕もそう思ったから、後で少しだけ、危なくない範囲で調べてみたんだよね。それで聞いた話なんだけど……どうも、この街のアングラっていうのは、そういう本気でヤバいような人たちの拠点というよりは……なんて言えばいいかな、ほら、こう、よくいるじゃん、夜中のコンビニ前で屯ってる不良グループみたいな」
「あぁ……あぁいうね……」
「うん、話を聞くに、要するにこの街のアングラっていうのは、あぁいう場所の延長線みたいなものらしいんだよね。集まってる連中は自分たちの縄張りとして身内同士で固まってればよくて、他の人にアングラのことを教えたりとかはあんまりしないみたい」
「なるほど、だからあぁいう連中と関わりのない俺ら一般人には話が伝わらないってわけか」
「そういうこと」
三人がひとまず納得したところで、また塚本さんが新たな疑問に気が付いたらしい。
そして、それこそが僕にとっての、この噂の最大の疑問だった。
「じゃあ逆に、この話だけなんで外に出てきたの?」
「そう、僕がわからないのはそこなんだ」
と、そこまで言って、全員が考える構えに入ろうとしたところで、昼休みの終了を告げる予鈴が響いた。
「あー……一旦タイムアップだな。しょうがねぇ。まぁ、今日この4限で最後だし、終わったらまたな」
「うん」
軽く挨拶を交わして、三人ともそれぞれの席に戻っていく。
う〜ん……これは確かに、僕としてもちょっと疑問が湧いてきちゃったなぁ。
さっき言った通り、ジッパチの住人は、ほぼ9割方が地元のチーマーグループの集まりみたいなもので、まぁある意味では身内だけで引き籠っているような状態に近い。
その性質上、誰かが意図的に情報を漏らしたとは考えにくい。
確立されたバックドア以外にはかなり強固なセキュリティが施されていて、穴が発覚すれば随時更新もされているから、最初に僕が迷い込んだ時のような、偶然のセキュリティホールでもない限りは、誰かが外から入ってくることもほとんどない。
というか、僕も何度か実際行ってみたことはあるけど、トワイライトゾーンって、確かに見た目は目を引くけど、本当にただ環境データが固定されてるだけで、そこに特別な何かがあるってわけじゃないから、そもそもジッパチ内でもほとんど話題にならないんだよね。
多分、この噂のことをジッパチの住人に話したところで、ろくに相手にもされないだろうことは容易に想像できるぐらいには。
となると、本格的に噂の出所がわからない。
まぁ、一番妥当な結論としては、たまたまトワイライトゾーンに関係あるように見えるだけで、実際は全く関係ない、他の「黄昏の欠片」の噂と同じく根も葉もないデタラメって可能性……かな。
けど、なんだか考えれば考えるほど、噂とトワイライトゾーンが完全に全くの無関係とは言い切れなくなってくるような気になってしまって、結局、4限の授業はほとんど頭に入ってこなかった。