note.014 SIDE:N

 少女を背負ったマイスは、遠堺唯一の大規模アングラ「遠堺パッチワークス」、通称「ジッパチ」の、行政区の一画にある、リアルでも歓楽街になっている雑居ビルが(ひし)めく通りに程近い裏路地を歩いていた。
 アングラであるジッパチに初期から存在する、チンピラやゴロツキといった類の人間が最も集まりやすい夜間区画の中にあって尚、ほとんど人通りのない路地裏を、少女を背負った重い足取りながらも、マイスは迷うことなく進んでいく。
 そうして、幾度か路地を曲がった末に辿り着いたのは、とある雑居ビルの裏手にある非常階段だった。
 古ぼけた鉄骨階段を上り、3階の勝手口をノックする。

「カジマさ〜ん、いますかー?」
「おぅ、どしたぃ」

 マイスの呼びかけに、通りのいい野太い男の声が答える。
 一拍空けてドアが開かれると、筋骨隆々の巨体に、真っ赤なTシャツにド派手なアロハシャツ、オリーブグリーンの短パン、角張った輪郭のしゃくれた顎と、目つきの鋭い三白眼に、掘りの深い顔、根本から先端に向けて黄色から水色へとド派手にグラデーションしたモヒカンという、「古い不良漫画か何かに出てくるようなテンプレ的チンピラ」としか表現できない、強面の男が顔を覗かせた。

 「カジマ」と呼ばれたこの男こそ、ラクトグレイスに関してマイスが頼れる、数少ない「伝手」の一人だった。
 この雑居ビル3階に構えた事務所を拠点として、探偵と情報屋を合わせたような仕事で生計を立てている彼は、見た目こそ威圧感ある古臭いスタイルのチンピラだが、実際には情に厚いお人好しな性格で、その人柄に加えて、ジッパチに2人だけ存在するラクトグレイス能力者の1人であるが故に、ほとんどなし崩し的に、ジッパチの三大勢力圏の一つである「南」の取りまとめ役のような立ち位置についている。
 マイスとは、トラッシュエリアの探索中に偶然のセキュリティホールでジッパチに迷い込んでしまったところを助けてもらって以来、度々交流を深める間柄になっている。

「マイスか、何しに……って、何だ? その後ろの嬢ちゃんは何でぃ?」
「詳しいことは中で話します。とりあえずこの子を寝かせてやってください」
「……どうもただ事じゃなさそうだな? まぁ、入れや」
「はい、ありがとうございます」

 マイスの声音に何事かを察したカジマは、彼を招き入れると、扉を閉じて鍵をかけ直す。
 次いで、部屋の奥の間仕切りで仕切られた個室スペースに移って、少し崩れていた窓際のベッドを簡単に整えてから、マイスを招く。

「とりあえずこんなもんでいいだろ。どれ、よこしな」
「はい」

 と、背を向けたマイスから少女を抱え上げると、ベッドにゆっくりと降ろして布団をかけてやる。

 そうして、改めて事務所スペースに場所を移してから、来客用のソファーに向かい合って座る。

「んで、何があった? あの嬢ちゃんは何だ?」
「それが――」

 マイスは、少女と出会ってからここに来るまでを掻い摘んで説明した。
 トラッシュエリアに迷い込んでいた少女が、ラクトグレイス覚醒前の段階から何者かに追われていたこと。
 追手に追い詰められた土壇場で少女のラクトグレイスが覚醒して命拾いしたこと。
 覚醒した少女のラクトグレイスが、自分の知る限りラクトグレイスとしてあまりにも異質な力であったこと。

 そこまでを一通り話し終わったところで、少女が目を覚ました。

「ん……ぅ…………ふぇ……?」

 見慣れない場所に、状況が呑み込めていないのだろう、身体を起こしてボーっと辺りを見回したところで、カジマと目が合い。

「ひぇやぁああぁぁぁ!? ごめんなさいごめんなさい私何もしませんからぁぁぁ!?」
「あー、スマンスマン、驚かせちまったな。別に何もしやしねぇから、落ち着いてくれ、な?」

 被っていた布団をきつく掴んで、怯えきった表情で、枕元の部屋の角まで必死に身を引いて縮こまる少女。
 カジマは、どうどう、と抑えるように両手を広げて少女を宥めようとする。

「大丈夫だよ。確かにちょっと見た目は怖い人だけど、この人はいい人だから」

 彼女の前に寄って宥めるマイスの姿を見て、どうやら助けてもらったらしいことを理解したのか、少女はこくこくと首を縦に振って、なんとか落ち着きを取り戻したようだった。

「はは、すまねぇな、目覚めたのがこんなむっさいおっさんのベッドで。まぁこの事務所じゃ他にゆっくり寝かしてやれる場所がなかったもんで、勘弁してくれや」

 少しでも少女の緊張を解こうと、彼なりにできる限りの優しい声音で語りかけながら、カジマはモヒカン以外は綺麗に剃り上げられた頭の後ろを掻く。

「あ、い、いえ、その……た、助かりました、ありがとうございます……」

 少女は、まだ少し怯えた様子で、か細いながらもなんとかそれだけ喉から絞り出した。

「あー……まぁ、オレの見た目が怖ぇのは……しょうがねぇ、追々慣れてもらうとして……。とりあえずコーヒーでも飲まねぇか? あぁ、無理して起きなくていいぞ、そのままそこで座っててくれ。……あー、いや、嬢ちゃんはもっと何か甘いもんの方がいいか。あーっとー……ちょっと待ってな。えぇっと、この辺に確かココアの粉が……あれぇ?」

 来客用のマグカップを手に取ったはいいものの、コーヒー豆の瓶を掴みかけたところで、慌てて聞き直して、よくある男の一人暮らしの見本のような散らかりっぷりを見せる事務机周りを何やらごそごそと探し始めるカジマ。
 強面のモヒカンが、マグカップを手にわたふたするその姿が可笑しかったのか、少女はくすりと笑いを漏らした。

「ふふふっ、ありがとうございます。後で、お礼に部屋掃除でもしますね。随分と散らかってるみたいですし」
「あー、いやー……その……ナハハ、スマンな、嬢ちゃん。こんなところにおっさん独りで住んでると、どうにもサボり癖がついちまってなぁ。すまねぇが、やってくれると助かる」

 と、バツが悪そうに再び頭の後ろを掻いたカジマだったが、ふとその笑みを強くして、

「しっかし、ようやく笑ったな、嬢ちゃん、ガハハッ! やっぱり年頃の女の子ってのは、そうやって笑ってんのが一番だぜ、なぁ? マイス! ガハハハハ!」

 豪快に笑いながらマイスの背中をバシバシと叩く。

「ちょっ、痛た……なんでそれで僕を叩くんですかカジマさん!」
「ワハハ、スマンスマン、やりすぎたな、ガハハ!」

 そんな二人のやり取りに、少女は今度こそ抑えきれないとばかりに笑い出す。

「ふふっ、あははははっ、ご、ごめんなさいっ、けどなんだか可笑しくってっ。あははははっ」

 少女が初めて見せた心の底からの笑顔に、二人は一度顔を見合わせると、同じく満面の笑みを少女に返した。

「そうだ、それでいい。女の子は笑ってる顔が一番いいぜ」
「うん、そうだね。僕も、その顔の方が好きだな」

 そう告げられた二人の言葉に、少女は目尻に溜まった涙を拭いながら、

「……はいっ!」

 と、顔を綻ばせた。

 そこで、思い出したように事務机に目を向けたカジマが探していたものに気付いて、ゴミをひっくり返す。

「おっ、あったあった。ちょっと待ってな。ココア入れてやるから」
「はいっ」

 今度は少女も怯えることなくカジマに返答する。

「あ、僕ももらっていいですか? ここまで来るのにへとへとで……」
「おう、ちっと待ってろ」

 少女が笑顔を見せたことで、それまでの緊張の糸が切れたのか、自分の喉もカラカラに乾いていたことを、マイスはようやく自覚する。
 追加のカップとココアを用意しにカジマが事務所スペースに離れたところで、マイスの疲労の原因を察したのだろう、少女が口を開いた。

「あの、あなたがここまで運んでくれたんですよね? その、すみません、ご迷惑をおかけして……ありがとうございます」
「あ、うん、どういたしまして。そんなに気にしなくてもいいよ。僕がそうしたいと思ってやったことだし、ね」

 膝を抱えて申し訳なさそうにする少女に、マイスは頬を緩めて慰めた。

「えっと、ここ、いいかな」
「あ、はい、どうぞっ」

 少女の許可を得てマイスがベッドの反対端に腰掛けたところで、、カジマが湯気を立てるマグカップを両手に個室スペースに戻ってくる。
 たっぷりのココアを注がれたそれを受け取って、マイスと少女は二人似たような仕草で、ふーふーと息を吹きかけて冷ましてから、温度を確かめるように飲んで一息ついた。

「ふぅ……温かいものはやっぱり落ち着きますね。ありがとうございます」
「ありがとうございます、カジマさん」
「何、これぐらいはいいってことよ。まぁ、急ぐような理由も別にねぇ、慌てねぇでゆっくり飲みな」
「はいっ」

 それから、カジマも椅子と一緒に自分のコップにコーヒーを入れて持って来て、しばしゆったりとした時間が流れる。
 そうして、マイスと少女が飲み終えたカップを、個室スペース奥にあるキッチンの洗い物置き場に放り込んだカジマは、自分の椅子に改めて座り直すと、少女を怯えさせない程度に、気持ち真面目な表情に切り替える。

「さて、んでだ。そろそろ嬢ちゃんのことをいろいろ教えてもらいてぇんだが……話せるかい?」
「あ、そう言えば僕たち、まだ君の名前も聞いてない……」
「そうだな。まずは自己紹介からといくか。まぁ、坊主が何度か呼んでっからもうわかってっかもしんねぇが、オレはカジマってんだ。よろしくな、嬢ちゃん」
「僕の名前はマイス。改めて、よろしくね」
「あ、はい。私はユイリィと言います。マイスさん、カジマさん、改めて、よろしくお願いします」

 二人の自己紹介に、少女も応えて、行儀よくお辞儀をする。

「んで、マイスの坊主とぶつかったところからは寝てる間に坊主に聞いたんだが、何でまたトラッシュエリアなんかで追われてたんだ?」
「それが……よくわからないんです……。レイヤード接続だったはずなのに、いつの間にか周りから人とか車とか消えてて……それで、不安になって誰かいないか探してたら、いきなりあの人に襲われて……」

 そこまで思い出したところで、そこから先の出来事を連鎖的に思い出してしまったのだろう。
 俯いて頭を抱えたユイリィの顔がみるみる蒼褪めて、呼吸は荒く、目の焦点が合わなくなっていく。

「それで、マイスさんと会って、一緒に逃げて死にそうになってでもマイスさんがたすけてくれようとしてあのひとがそれでわたし……わ、わた、し……あの人を、あ……ああああああああ! 私はっ、わたしがっ消しっ……てっ……ぅっぷ……!」
「お、おい嬢ちゃん! 落ち着け! しっかりしろ!」
「大丈夫!? 落ち着いて!」

 パニック状態で捲し立てて、過呼吸とフラッシュバックで胃液を戻しそうになったユイリィを、慌ててマイスとカジマは落ち着かせようとする。
 吐き戻しそうになるのをなんとか堪えたのは、彼女なりの最後の意地だったのか、上を向いて口元を抑えたユイリィは、息も絶え絶えに、

「す、みませ……ッ……あの、トイッ……レ……」
「あぁ、そこの奥の扉だ」

 カジマが指差した扉に、ユイリィは必死の表情で駆け込んだ。

「……まぁ、無理もねぇ。ラクトグレイスでのデリートじゃ、実質殺しちまったようなもんだ。それを不可抗力とは言え、あんな嬢ちゃんがやっちまったんだ、正気でいられるわけがねぇ」
「……ユイリィさん、大丈夫でしょうか……」
「さぁな……。だが、こればっかりは自分で乗り越えるしかねぇ。はっきり言っちまえば、こいつはラクトグレイスに覚醒した者の宿命だ」
「……」

 今度こそ本気の、真剣な顔を見せるカジマに、マイスはそれ以上何も言うことができなかった。

「『施錠による祝福(ラクトグレイス)』……『祝福』なんて誰が名付けたのか知らねぇけどよ。こいつぁ祝福なんかじゃねぇ。『呪い』だよ。覚醒した人間を終わりのない戦いへ向かわせるための、な」

 やり切れない表情でカジマが俯いたところで、ようやくユイリィがトイレを出てくる。
 しかし、その視線は未だに焦点が合わず、表情からは完全に生気が抜け落ちてしまっていた。
 ふらついた足取りのユイリィに、マイスは駆け寄って出迎えると、ひとまずベッドに腰掛けさせて、背中をさすってやる。

「大丈夫? ユイリィさん」
「……あ……マイスさん……。はい、なんとか……ごめんなさい……」
「ユイリィさんが謝ることじゃないよ。むしろ、ちゃんと助けてあげられなかった僕が悪いんだ。僕がきちんと出口まで連れていってあげられたら、ユイリィさんがあんな事する必要もなかったんだから……」
「そ、そんな! マイスさんは何も悪くないですっ!」

 まさか謝り返されるとは思っていなかったユイリィは、少し生気の戻った目で反論した。
 そこに、カジマが諭すような声音で告げる。

「辛いこと思い出させちまって、すまねぇな、嬢ちゃん。だけどな、ユイリィ。ラクトグレイスに覚醒しちまった時点で、遅かれ早かれこうなっちまうことは宿命だ。そんで、もう起きちまった過去は、どう足掻いても変えられねぇ。例えお前のその、『過去のデータを呼び戻す』能力を使ったとしても、だ」

 それまで「嬢ちゃん」としか呼ばれなかったカジマに名前を呼ばれて、ユイリィは思わず真剣な表情のカジマと目を合わせた。
 その言葉の意味は、理解できたのだろう。
 彼女なりに自分のした事に折り合いをつけようとしているのか、怯えた表情こそ見せたものの、カジマの視線から目を逸らすことはなかった。
 そんな彼女に、カジマはもう一度名前を呼んで語りかける。

「だけどな、ユイリィ。お前のやったことのおかげで助かった命が、今ここには二つある。それがお前自身と、マイスだ。お前が行動したからこそ、お前たちは今生き延びてるんだ。お前は確かに、人の命を救った。その事だけは確かな現実だ。だから、お前はそれを誇っていい。お前にはその権利と義務がある」

 言われて、ユイリィはマイスの方に顔を向ける。
 それに応えて、マイスは優しく微笑みかけながら言う。

「そうだね。僕が今こうしていられるのは、ユイリィさんのおかげだよ。それは間違いない。だから、僕は君にお礼を言わなきゃね。ありがとう、ユイリィさん」

 その言葉に、ユイリィは、まだ少しぎこちないながらも、つい先程までとは見違えるような笑顔を浮かべて、カジマと、もう一度マイスの方に向き直って、

「……はい! どういたしましてっ」

 と、精一杯の元気で返事をした。

「まぁ、そういうこった。わかったな?」
「はい。まだ、気持ちの整理は…………ふぅ……ついてないかもですけど……。理解は、しました。納得も……出来たと思います」

 さすがにまだ完全には吹っ切れないのか、途中、胸に手を当てて深呼吸を挟みつつも、しっかりとカジマの目を見返して、ユイリィは答えた。

「なら、今はそれでよし。この話はおしまいだ」

 その様子に、カジマもそう言って、ようやく安堵した顔を見せた。

「でー、んじゃあ、話変えるけどよ。そもそもにして嬢ちゃん、一体どっから来たぃ? オレぁこれでも情報屋の真似事みてぇな仕事してっからよ、ここらじゃ見ねぇ顔だって事ぐれぇはわかるんだが……」
「それはえーっと……あれ……?」

 そこまで言いかけて、ユイリィは再び、先程までとは別種の混乱を見せる。

「どう、して……? 思い……出せない……!?」
「えぇっ!?」
「おいおいおい、こりゃまた難儀しそうだなぁ」

 頭を抱えるユイリィに、反応に詰まるマイスと、思わず額に手をやって頭を振るカジマ。

「えっと……無理に思い出そうとするより、まずは落ち着いた方がいいんじゃないかな。ほら、深呼吸深呼吸」
「あ、えっと、はい。すー……はー……」

 マイスに促されて、数回深呼吸。
 なんとか、ユイリィは落ち着きを取り戻す。

「とりあえず……そうだな、思い出せない事を無理に思い出そうとしなくていい。まずは、覚えてる事と忘れちまった事を整理してみよう。覚えてる事の記憶から何か思い出せるかもしれねぇからな」
「はい……。えっと、アバターネームはユイリィで……本名は思い出せません……。歳は……多分16だと思います」
「ふぅむ……じゃあ、思い出せる最初の記憶は何だ?」
「えーっと……」

 ユイリィは、人差し指を唇に当てて、上を見るようにして記憶を掘り起こす。

「思い出せる限りで最初は、自分がログアウトできないって気が付いた時です。その時いた場所の風景にはなんとなく見覚えがあるので、きっとそこが私の故郷なんだと思います」
「その場所ってのはどんな感じかは思い出せるか?」
「えっと……どこか、森が近くて……町……と言うよりは村だと思います。けど、具体的に何処かわかるようなものは何も……すみません」
「いや、謝るこっちゃねぇ。が、そうすっと……何処か山里ってことかぁ……? ちょっとこの辺りじゃ……あー、境山から山脈沿いに探しゃあ見つかるかもしれねぇが……」
「他に思い出せることはない?」
「最初のそれは覚えてるんですけど……どうしてでしょう、そこから先がなんだか曖昧で……。いつから、どこを、どうやってここまで来たのか……。気付いたらこの街にいて、気付いた時には周りに人の気配がなくて……後はお話した通りです」

 それ以上の事は思い出せないらしく、ユイリィは俯いてしまう。

「あー……医学的な事なんかはオレもよくわからんが、ともかく、ラクターになった時に何かよほどの事があったってことかもな。それこそ前後の記憶が全部吹っ飛んじまうような『何か』が。あるいは、それがつまり、嬢ちゃんに宿ったラクトグレイス、ってことなのかもしれねぇが」

 ほとんどお手上げといった様子で、カジマは腕組みをして唸る。

「わからねぇ事はまだある。あー……ちっとまだ思い出すのは辛いかもしんねぇけど……襲われた男ってのは、完全に初対面なんだな?」
「はい、それは絶対にです。忘れてるだけとかでもないと思います」
「そんで、最初追われてた段階では、嬢ちゃんはまだ自分のラクトグレイスを把握していなかった」
「はい……」
「そこなんだよな。おそらくだが、マイスの坊主と嬢ちゃんの話を聞く限り、ソイツは邪な目的とかじゃなく、何か意味があって嬢ちゃんを追っていた、ように見える」

 そこで、カジマは一旦言葉を切って、深く唸ってから先を続ける。

「だが、嬢ちゃんがソイツとは初対面だってなら、『そういう目的』以外で、嬢ちゃんを狙って殺さなきゃならない程の理由、っつーと……どう考えても、嬢ちゃんのそのラクトグレイス以外にあり得ねぇんだよな」
「でも、私、マイスさんを助けようとするまで、自分にラクトグレイスが使えるなんて知りませんでした……」
「それに、最初にユイリィさんがラクトグレイスを発動した時、あの人もすごく驚いているようでした。『なんでこの土壇場でそんな力を』って。多分、あの人自身はユイリィさんの能力については何も知らなかったと思います」

 ユイリィの主張と一部始終を客観的に見ていたマイスの補足を受けて、カジマは更に推論を重ねていく。

「そうなると、おそらくは組織的な犯行だろう、それもかなりでけぇ組織だ。その男は上からの命令で何も知らないまま動いてたってだけ、と考えるのが一番自然だ。だが、それにしたって問題は、その背後の組織とやらは、嬢ちゃんとその能力の存在を、嬢ちゃん本人ですら気が付くよりも前に、どうやって知ってたのか、ってっつー話になる」
「うーん……」

 情報を整理する程に深まっていく謎に、誰も答えを見つけられずに、しばらくの間沈黙が流れる。

「あー……ヤメだヤメだ。情報が少なすぎて、これ以上は考えようがねぇ」

 思考の泥沼にハマりかけていた場の空気を、カジマが一度切り上げる。

「この話は一旦置いとくとして……問題は、嬢ちゃんをこれからどうするか、ってことだ。一応聞いとくが、嬢ちゃん、これから行くアテなんてのは……ねぇよな」
「はい……この街も初めてですし、他に行くところなんて……」
「それに、相手が組織的だとすると、今後も嬢ちゃんは狙われる可能性が高ぇってことになる。どっかに匿ってやらなきゃなんねぇが……一応オレがラクトグレイスを使えるったって、ここで寝泊まりさせちまうってのもあんまりよかぁねぇよなぁ。嬢ちゃんもこんなむさっ苦しいおっさんと一緒じゃあ、息苦しくってしょうがねぇだろ」
「あ、いえ、そんなっ、私は全然……」
「いやいや、遠慮すんな。嬢ちゃんを預けるのに、オレなんかよりよっぽど適任がこの街にゃもう一人いるからよ」

 「もう一人の適任」と聞いて、マイスの脳裏にはその答えであろう一人の人物が思い浮かんでいた。

「あー……『あそこ』に行くんですか」
「おう、そりゃー『あそこ』しかねぇだろうよ。こんなおっさんと一つ屋根の下よりも、女の子は女の子同士でいられる方が、嬢ちゃんも安心できるだろうしな」

 という、カジマの台詞を聞いて、ユイリィが興味を示し始める。

「あの、その適任の人っていうのは、女の人なんですか?」
「あぁ、嬢ちゃんと似たような歳の女の子だ。そいつもラクトグレイス持ってっから、何かあっても安心だぜ。っつぅか、能力だけなら間違いなくオレよりアイツのが強ぇしな」

 とは言うものの、マイスには別の懸念が拭いきれなかった。

「う〜ん……『あの人』、素直に受け入れてくれるでしょうか……」
「そりゃーオメェ……あれだ、オレらで頑張って説得するしかねぇだろうよ」
「……なんとも気の重い話ですね……」

 と、マイスの懸念に、思わずカジマも若干歯切れが悪くなる。
 その様子に、ユイリィが不安気に、

「えっと……その人ってその、怖い人なんですか?」
「いやー……オレが思うに、根はいい奴だとは思うんだけどな……。なんつぅか、アイツもいろいろ抱えてるみたいで、まぁ、ちょっと拗らせちまっててな……」
「そうなんですか……」
「まぁ、心配すんな。しばらく匿ってもらえるように、オレたちがなんとかすっからよ」
「は、はぁ……」

 少しまだ不安が残る様子のユイリィだったが、

「まぁ、ちゃんと話せばわかってくれる人だとは思うから、そんなに心配しないで」

 というマイスの励ましで、ひとまずは納得したようだった。

「ま、ともかくまずは行ってみっか」
「あ、あの、その前に……」

 早速出発と席を立とうとしたカジマだったが、ユイリィに引き留められる。

「その、お礼のお部屋掃除を……」
「あー……その話、忘れてなかったのか。っつぅか、ホントにやってくれるつもりなのか」
「はいっ。いろいろお世話になったので、せめてそれぐらいはお礼させてください!」

 頭の後ろに手をやるカジマに、力強く頷くユイリィ。

「なら、僕も手伝いますよ」
「そこまで言われちゃあ、家主が他人任せにするわけにもいかねぇな。んじゃ、手分けしてやっちまうか!」
「はいっ!」

 元々がIoTネットワークとAR技術からの派生である現用仮想空間は、必然的に人間の生活空間は一通り再現されており、ある程度リアルに重ね合わせて同期させる前提のものとして作られている。
 加えて、コンソールからの単純操作だけでの「リロード」による衣服や食器等のデータの再利用が感覚的に気持ち悪いという、五感の完全再現がなされている故の人間的な欲求による需要も一部に存在することもあって、独立した仮想空間上でのデータの話と言っても、不要になったものはコンソールから削除コマンドでおしまい、というわけにもいかないようになっている。
 一応、そういった要素を気にしない人のための「オブジェクトリロード」や、所定の「ゴミ箱」に放り込むことで、前時代のGUIコンソール同様に、オブジェクトとしては削除された状態の「一時削除」、そこからARウィンドウによるコンソールからの「ゴミ箱を空にする」の操作で完全削除等、ある程度の簡略化はなされている。
 それでも、いずれにせよ、ある程度の形式的な「炊事洗濯」の作業は必要であり、また、仮想空間上であっても日常生活としてそれらは行う、という人が実際多いのもまた確かなのが現状だ。

 というわけで、事務所内の大掃除が始まったのだったが。
 最初の内は三人で手分けしてやっていたものの、

 掃除――

「もう! ゴミ箱に入れて『空にす』れば終わるものを、どうしてここまで溜め込めるんですか!」

 洗い物――

「洗い物もこんなに溜まって……そもそも、普段からこまめにやらないから数が増えて余計にめんどくさくなるのです! 大体、食器洗い機に入れてオブジェクトリロードすれば一瞬なんですから、それぐらいやってくださいっ!」

 洗濯――

「お洗濯もこの際一気にやってしまうのです! 洗濯機かけておきますから、終わったらせめて干すぐらいは自分でやってくださいねっ?」

 と、不慣れな男二人を差し置いて、結局ほとんどユイリィが一人でテキパキと片付けてしまったのだった。

 そうして――

「はいっ、これで全部おしまいですっ!」
「おぉ……すげぇ、見違えたなこりゃ」

 全ての作業が終わった時には、仮想空間であるが故に細かな埃の類がそもそも存在していないこともあって、部屋はほとんど新築のような輝きすら見せるまでになっていた。
 それを成し遂げたのがほとんどユイリィ一人であったことに、マイスはつい申し訳なさげに謝ってしまったのだが、

「ごめんね、結局僕たちほとんど手伝えなくて……」
「いえいえ、元々私がお礼としてやるつもりだったんですから、これでいいんです」
「ありがとな、嬢ちゃん。ここまで綺麗んなったのなんか、下手すりゃ最初に入居した時以来だぜ」
「はいっ! どういたしまして、ですっ!」

 と、ユイリィはやり切った笑顔で顔を綻ばせた。

「いやしかし、ホントに見違えたなぁ。こりゃあ嬢ちゃん、きっと将来はいい嫁さんになるぞ。なぁ、マイス」
「いや、あの、その点は同意しますけどなんでその話今僕に振ったんですか。本人に言ってあげてくださいよ」

 という、男二人のやり取りに、

「そ、そんな、お嫁さんだなんて私まだそんな……」

 ユイリィは一人、何を想像したのか耳まで顔を真っ赤にして、頭から湯気が出そうな勢いで両頬を抑えて縮こまっていた。

 そんな調子で収拾がつかなくなってきたところで、カジマが手を叩いて一旦話を切り上げる。

「あー……よし、んじゃ、今度こそ出発といくか」

 と、勝手口に向かうカジマに「はい」とそれぞれ答えて、マイスとユイリィもその後を追った。


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