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note.015 SIDE:R

 帰宅後。
 すぐに自室に籠って、ラフな部屋着に着替えた僕は、通学鞄から、手のひら大ほどの、1ヵ所に半球状のレンズが飛び出たカメラのついた球体型のデバイス――「ゼウスギア」を取り出す。

 Zone Extension and Unreal Synthesizer(領域拡張及び仮想空間統合装置)――通称「ゼウスギア」。
 フルダイブシステムによる仮想空間ネットワークにアクセスするための、バイザー型デバイスだ。
 形状記憶素材によって、普段はこんな風に、球体型に小さくまとめて持ち運ぶことができる。
 半球状に飛び出たカメラは、展開するとちょうど真正面に来る位置に配置されていて、これによって、フルダイブ中の事実上意識のない状態での外部の危険を検知したり、ダイブ中やバイザーをつけたままの状態でも外部の様子を確認したりできるようになっている。
 授業でも、理科の実験をシミュレーションで済ませたり、ローカルサーバーに世界遺産だとか歴史上の史跡なんかのVRデータをロードして「実地」で授業したり、みたいな使い方で取り入れられてるから、普段から学園にも持ち歩いているんだよね。

 ちなみに、「レイヤード」と「ワイヤード」、二つの仮想空間ネットワークは関連用語がギリシャ神話をベースに名付けられていることから、両者をまとめて「オリュンポスネットワーク」と呼ばれている。

 時刻は14時25分……ちょっと早いけど、まぁちょうどいいかな。
 ゼウスギアを装着して、楽な姿勢でベッドに横たわる。
 バイザーの右耳の後ろ辺りにある電源スイッチを入れれば、前時代のディスク媒体が回り出した時のような、キュゥゥ――……ンという音と共に、真っ暗な視界に小さく赤いフォントで[STAND BY]と文字が浮かび上がって、ボイスコマンドのスタンバイ状態が起動する。

「ログオン・レイヤードモード」

 レイヤードネット接続のためのボイスコマンドが認識されると、赤い[STAND BY]表示が緑色の[LOG-ON MODE:LAYERED]に変わると同時に、視界が開けてから、ログオンの表示は数回点滅して消える。
 一見すると、さっきベッドに寝転んだそのままの視界を映しただけの部屋の天井が見えているだけだけど、既に脳から身体に伝わるはずの信号はゼウスギアによって全て割り込まれて、僕の意識はAR情報として投影されているアバターに移った状態になっているはずだ。
 とりあえず起き上がって、今まで寝ていたベッドを見れば、そこには最初に寝そべった時の姿勢そのままの形をした薄青いマネキンのような人型が置かれていた。

 レイヤードネットは要するに、「自分自身がAR情報になって、ネット経由でリアルにアクセスしている」状態だ。
 接続直後は当然、自分が元居た位置から始まるわけで。
 そうすると、元居た位置にそのまま存在する本来の自分の身体を、アバターとして外から見るっていう……言ってしまえば、幽体離脱みたいな光景から始まることになるんだよね。
 これがまぁ、結構なんというか、気持ち悪いんだよねぇ、感覚的に……。
 なんというか、自分が自分じゃなくなったような気分になるというか……。
 これを気持ち悪いと感じる人は多いようで、精神的負担の軽減のために、レイヤード接続中の自分の身体はこんな風に、体型の輪郭だけをなぞって身体的特徴を全て消去した、青いマネキンみたいなテクスチャで覆われるようになっている。

 さて、と。
 システムメニューを開いて、アバターの見た目に適当に私服をセットする。
 こういうところはほとんどゲーム感覚だよね。
 便利な時代だなぁ、とはつくづく思う。
 一応、鏡で確認はするけど、まぁ、特に考えずに普段から使っている私服のプリセットの1つをそのまま適用しただけだから、別にどうということもないね。

 もう一度システムメニューを開いて、「アドレス」メニューから「ブックマーク」を呼び出す。
 これだけ見るとまるでテキストベースのインターネット時代みたいなコマンドだけど、話は簡単だ。
 レイヤードもワイヤードも、AR情報ネットワークを基にしてリアル世界を完全再現してるわけだから、経度と緯度を使って座標が一意に定められるんだよね。
 この経度と緯度をそのまま並べた数字が「IPアドレス」の役割を果たしていて、例えば「35.40.34.4:N139.44.48.5:E」とアドレスバーに打ち込むと国会議事堂前に出たりする。
 で、地名や住所を「URL」とすることで、特定の地点に楽にアクセスできるわけだ。

 今回はブックマークから待ち合わせ場所にした「遠堺駅前公園南口」を選ぶ。
 瞬間、周囲の景色がほんの一瞬のホワイトアウトを挟んで、指定先の駅前公園へとワープした。

 駅前公園はそのまま、「遠堺駅前公園」という名前の、文字通り遠堺駅の北口駅前すぐに広がる公園だ。
 まぁ、この手の公園としては珍しくなく、街路樹の並木道やら、広い芝生のスペースやら、待ち合わせにちょうどいい、時計が置かれた広場や、噴水やら誰の作品かもわからないような謎のオブジェがあったりと、観光スポットとしては特にこれといって目立つものもないけど、遠堺の市民にとっては定番の憩いの場になっている。
 芝生の広場を横切る遊歩道の街路樹は桜なので、春先にはちょっとしたお花見スポットになったりする。
 今回選んだ南口は、正面がすぐに遠堺駅の北口になっていることもあって、駅を出た位置からすぐ見える場所に時計があって、それを目印とした待ち合わせ場所として使われることが多い定番スポットの1つだ。

 軽く周りを見回すと、すぐに私服姿の小倉君が目に留まる。

「やぁ、来たね」
「あ、小倉君。早いね」
「何、僕も来て1分経ってないさ」

 そこへ、九条君と塚本さんもほとんど同時にシフトしてきた。

「おぅ、全員揃ってんな」
「やほー」

 九条君は私服に着替えてたけど、塚本さんは学園の制服姿のままだった。
 まぁ、うちの学園の制服、可愛いからね。
 遠学は私立で、割と自由な校風をウリにしてるので、私服登校OKになってるんだけど、指定の制服が可愛いことも女子を中心に評判で、制服の着用率は6割ぐらいと結構高いんだよね。
 今の塚本さんみたいに、普段から私服代わりに常用してしまっている人も多いぐらいだ。

 ボタンに沿った飾りフリルと、広がった袖口にもフリルのついた白地のブラウスに、正面を茶色の紐で編み上げて閉じる、胸を強調するように胸のすぐ下から吊る形のコルセット風の明るいベージュのボディス。
 ジャケットに近い丈の鮮やかな赤のボレロは、前は大きく開きつつ首元で留めるタイプで、肩口は外側に大きく張り出したランタンスリーブと呼ばれる型。
 その張り出した部分には、繊維として布地に編み込める回路素子「ナノプロセッサーカーボン」で構成されるウェアラブルデバイス「サーキットライン」によって、着用中だけ発光して浮かび上がる校章が縫いこまれている。
 そして、袖口から肘の少し下、下腕部の外側3分の2ぐらいまで深く切り込みが入っていて、切り込み部分は黒い紐でゆるく編み上げが入っていることで、ブラウスに合わせて袖口が広がっている。
 その袖口は返し袖になっていて、裏地は黒に、細い金色の縁取りがされている。
 スカートはボレロと同じ赤地に黒のタータンチェックのフレアスカートで、内側に白地のスカートがもう1枚と、更に内側に白いレース地のフリルが重ねられた三重構造になっていて、その三重構造故に、自然とふんわり広がったシルエットを形作っていて、側面はボレロと同じく深く切り込まれて編み上げで留められているので、下の2枚目の白地が見えるようになっている。
 加えて、首元には赤地の中央に黒のストライプが1本通ったレースのリボンがつく。
 全体的に赤・白・ベージュの明るい色合いでまとまっていて、そこかしこのフリルでふりっふりのふわっふわなんだよね。
 塚本さんのライトブラウンのロングヘアにもよく似合っていると思う。

 ちなみに、このボレロは夏服で、冬服は藍色に近い紺色のブレザーになる。
 ブレザーの方はそれほど凝った装飾はないものの、肩口の校章型サーキットラインと、ブラウスに合わせて下腕部の袖が広がるように赤い紐で編み上げ留めされた切り込みに、折り返されて裏地の臙脂色に金の縁取りが見える袖口のデザインは共通だ。

「んじゃ、早速行こうぜ。……で、どっち行きゃいいんだ? 高坂」
「案内するよ。ついてきて」

 うん、それじゃあ、出発しようか。


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