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note.016 SIDE:R

 さて、ひとまず僕の先導で、駅前の道を東へ向かう。
 駅の北口を東に向かうと、市役所と警察署、消防署を中心とした、通称「行政区」と呼ばれるエリアだ。
 それらの行政機関の他は、小さな企業のオフィスなんかが詰まった雑居ビルだとか、ちょっと怪しげな歓楽街じみた通りだとか……この遠堺の中では比較的背の高い建物が集中しているエリアで、ビルの乱立によって雑多に入り組んだ場所が多い。
 まぁ、アングラへのバックドアなんてものを作るには持って来いの場所だよね。

 駅に程近い位置にある警察署の近くは避けて、一旦横道に折れる。
 人気の少ない通りを突き当りまで進んで、大きめの道に抜けると、しばらく進んでから、また少し小さな横道へ。
 周囲の人の気配を密かに警戒しつつ、その道をしばらく進んだところで、不意に現れる薄暗い裏路地に、迷うことなく入っていく。

「おぉ……なんか早くも雰囲気出てきたなぁ」
「な、なんか怖いんだけど……。いきなり変な人に襲われたりとかしないでしょうね……?」

 う〜ん……まぁ、確かに、そういうような雰囲気漂う場所ではあるけどね。
 実際のところ、この辺は警察署が近いこともあって、かなり治安はいいから、そんな心配は全くなかったりするんだけど……。

「しーっ、あんまり騒がない方がいいよ」
「ひっ!? や、やっぱり……」
「まぁ、ここは『まだ』平気だけどね」
「ま、『まだ』ってことは、この先は……?」
「……離れないようにちゃんとついてきてね?」
「ふぇ……」

 出来ればみんなをジッパチに連れていくのは今回限りにしておきたかったから、後々勝手にここまで来ようとか考えないように釘を刺しておきたかったのと、半分はちょっとした悪戯心で、キツめに脅しをかけちゃったけど……ちょっとやりすぎたかな?
 半ば涙目になった塚本さんは、九条君の腕にしがみついて離れなくなってしまった。

「な、ナオぉ……」
「ハハッ、だ〜いじょうぶだって、リナ。そんな引っ付くなよ」

 まぁでも、これも三人にとってはよくあるパターンなのかな、最後尾を付いてくる小倉君は、やれやれといった調子で軽く肩を竦めただけで、特に何か言うつもりはないらしい。

 まだ日は高いはずのこの時間帯でも薄暗い裏路地をしばらく進むと、不意に、左手に本来は勝手口であろう木造の扉が現れる。
 この扉こそが今回の目的地であるジッパチのバックドアの1つだ。

「到着かな」
「このドアか?」
「うん。あ、開けるのはちょっと待ってて」

 扉の前に一旦みんなを待たせて、僕は一人で路地を更に先へ進む。
 と言っても、そんなに離れるつもりはない。
 目的は、扉の少し先の右手の壁面に設置された、一見すると電気料金のメーターボックスに見える箱だ。
 躊躇なく箱を開けて、内部の電力メーターに偽装されたコンソールに、いくつかの操作を加えて入力可能な状態に切り替えてから、さらに追加の操作でパスコードを入力していく。

「おぉ……すげぇ、マジモンのスパイ映画みたいになってきたじゃねぇか!」

 気づいたら、九条君が僕の背後にいて、食い入るように操作の様子に見入っていた。
 いつから見てたのか知らないけど、まぁ1回2回見た程度で覚えられるような操作でもないから、これは別に気にしなくてもいっか。

 最後に、箱の下に左手をかざしながら、メーターの側面に隠されたスイッチを押せば、ヂッ、というノイズのような音と共に、箱から左手に何かが落ちる感触があった。
 手の中を確認すると、そこには鈍く光る、一見何の変哲もない鍵の姿があった。

「なるほどな、この鍵がないと開かない仕掛けになってるってことか」
「そういうこと」

 正確には、鍵はなくても開くんだけど、この鍵がないとただ単純にこのビルの勝手口として通常通りに中に入れるだけで、これ自体は本当にただの扉でしかないんだよね。
 ちなみに、メーターの方は完全にこの仕掛けのためだけの偽物で、実はあのメーター自体は実体のないARオブジェクトなので、AR情報を非表示設定にするとただ何もない壁があるだけだ。
 もちろん、鍵そのものも完全なARオブジェクトで、それを主張するかのように、鍵の周囲には時折ブロックノイズのような空間の歪みが走っては消えていく。

 改めて扉の前に戻って、鍵をドアノブの鍵穴に差し込む。

「ふむ、随分と手慣れてるものだね」
「まぁ、実を言うとトラッシュエリア(廃墟)探索は密かに趣味なんだよね。こういう手順があるパターンには慣れてるんだ」
「……それ、あまり公言はしない方がいいんじゃないかな」
「言ったのは今が初めてだよ」

 ちょっとスムーズに進めすぎたかな?
 今ので誤魔化せただろうか……。

 ちなみに、トラッシュエリア探しが密かな趣味なのは本当だったりする。
 というよりは、リアル、ネットを問わず「廃墟探索」が趣味と言っていい。
 なんというか、あぁいう、長く人の手を離れて朽ち果てた場所って、そこにかつてあっただろう光景の残滓が残ってたり、植物に覆われて独特の雰囲気を持ってたり……こう、なんて言ったらいいか上手く言葉にできないけど、引き寄せられるような不思議な魅力があるよね。
 まぁ、と言っても、僕は今のところ学生の身分だし、そんなに行動範囲が広いわけでもないから、リアルの廃墟はネット上での画像や再現VRデータの収集がメインで、自分で歩き回れるのは基本トラッシュエリアだけなんだけどね。
 元々、最初にジッパチに迷い込んでしまった時も、トラッシュエリアを探していた途中の事故みたいなものだった。

 小倉君がこの趣味を公言しない方がいいと言ったのには理由があって、実はトラッシュエリア探索ってそれ自体がかなり法律的にグレーゾーンなんだよね。
 というのも、トラッシュエリアへの侵入って要するに、バグやセキュリティホールを使った空間データのバックアップやキャッシュデータへの不正侵入に当たるわけで、この時点でもうだいぶ黒寄り。
 その上、内部には個人情報やらの機密情報がバックアップとして利用可能な状態で残されていたりすることもある。
 明確に悪意を以て侵入して、そういう機密情報を持ち出したりというのが発覚すれば完全に犯罪行為としてアウトになってしまう。
 ただ、そもそもがバグやらセキュリティホールによって偶発的に発生するものだから、通常の手段では侵入が不可能なこともあって、まずトラッシュエリアの存在そのものが誰にも気づかれていないパターンがほとんどなんだよね。
 それに、その性質上、前時代のインターネットにおけるバグやセキュリティホールと同様に、全てのトラッシュエリアを根絶することは事実上不可能と言ってよくて、世界中の全ての生活圏が建物1軒単位でクラウドサーバー化されている現代社会においては、それらをいちいち取り締まっていたらキリがなくなってしまう。
 更には、これも前時代のインターネットに同じく、企業が管理する商業施設なんかのサーバーなどでは、対策の一環としてそういったバグやセキュリティホールの発見に報奨金が出る制度が用意されて実際に成果をあげていたりして、むしろ積極的な探索が推奨されている例もあり、一概にトラッシュエリアへの侵入全てを悪とは言い切れない事情があるんだよね。
 結果として、明確にアウトになるのは内部からの機密情報持ち出しのみで、単なる侵入だけではそもそも発覚することすらほとんどなく、仮に発覚してもお咎めなしでおしまいとなっているのが現状だ。
 まぁ、お咎めはないとは言え、グレーゾーンであることに変わりはないから、あまり褒められた趣味ではないことは確かなんだけどね。
 それこそ、アングラと呼ばれるまでに発展して犯罪の温床になってるような場所もあるわけだしね。

 ドアノブに差し込んだ鍵を、左回りに1周と4分の1回転、そこから右に半回転戻して、鍵が真横になる位置で固定。
 その状態のまま、右手で鍵を抑えて固定して、ドアノブを右、左、左、と捻った上で、「ドア」ではなく「引き戸」として開ける。

「は!? ちょ、え、今どうやった!? え、これ今引き戸みたいに開けたよな? えっ!?」

 うんうん、九条君はいい反応してくれるなぁ。
 もちろん、今のはレイヤード上でのARオブジェクトとしての扉に対する操作だから、実際には何の仕掛けもないただの扉がこんな風に引き戸式で開けられるわけはないし、事実、今もAR情報を非表示にしてやれば、そこには何事もなく閉じられたままの扉があるだけだろう。

「なんか、真っ暗というよりは、真っ黒で怖いんですけど……」

 とは塚本さんの感想だ。
 その通り、扉を開けた先に本来あるべきビルの内装はなく、まるでそこだけブラックアウトしたモニターが埋め込まれているかのような、黒一色の平面があるだけだった。

「さて、いよいよと言うわけだね」
「よっしゃ、テンション上がってきたぜぇ!」
「うぅ〜……まぁ、後はもうなるようにしかならないわよね……」

 と、三者三様の反応の中、僕はこの後に待ち受ける「あるモノ」をつい思い出してしまって、思わず溜息を吐いてしまっていた。

「……はぁ〜……。うん、じゃあ、いこうか……」
「どうしたんだい?何か浮かない様子だけど」
「あー……いやね、うん、入ればわかるよ……」

 小倉君に怪訝な顔をされてしまったけど、僕は深くツッコまれる前にそれだけ告げて、さっさと中へと飛び込むことにした。


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