戻る


note.017 SIDE:R

 ヂジッ……ジリリッ――
 自分の姿すら見えない、闇だけが広がる中、耳元で数回のノイズが走った後、数秒のホワイトノイズが流れる。
 それが収まると同時に、唐突に、普段通りアドレスを指定してシフトジャンプした時のような真っ白い空間に放り出されたと思うと、視界が開ける。
 辿り着いたその場所は――

「あ、あれ……? ここって……」
「ありゃ? ここ、境山の展望台じゃん。え、なんで?」

 遠堺市全域を使った大規模アングラである「遠堺パッチワークス」の内部、遠堺市の東側を南北に分断する境山、その頂上にある展望台の、南側に面した展望デッキだった。
 一見、座標バグで飛ばされたようにも見えるけど、あのバックドアは意図的にここに繋がるようになっている。
 これで正常な処理だ。

「ふむ、これはアクセス失敗……?……ではなさそうだね。ここがつまり、既にこの街の『アングラ』と言うわけかい?」
「うん、ちゃんと着いたね。ようこそ……って僕が言うのもおかしいと思うけど、ここが遠堺の『アングラ』だよ」
「ここがねぇ……。なんつーか、なんか拍子抜けだな。見た感じ、リアルと何も変わんねーように見えるけど」

 しばしの間、見慣れたはずの展望台からの、いつもとは微妙に違う景色を物珍しげに見渡していた三人だったけど、最初に違和感に気が付いたのは九条君だった。

「あん? なんか空がおかしくねぇか?」
「あ、ホントだ。普通に晴れてるように見えるけど……なんか、ところどころ空の色が少しずつ違う……?」
「あそことか、見ろよ、あそこだけ四角く切り取ってきたみたいに曇り空だぜ」
「あそこも、晴れてるけど、浮かんでる雲が変な風に真っ直ぐ切り取られてるわ。あ、見て、駅前の方は夜だよ!?」
「そうだね。なんだかモザイクアートみたいだ」

 九条君に続いて、塚本さんたちもそれぞれ見つけた違和感を言い合う。

「街の方も見てみればいいんじゃないかな」

 と、僕に促されて、三人が今度は眼下の街へと目を凝らす。

「ん? んんん? なんだ? こっからじゃよく見えねぇけど、あそこら辺、建物もおかしくね?」
「えー? どこどこ?」

 九条君は何か気が付いたみたいだけど、塚本さんは見つけられてなさそうだね。

「ふむ、ナオが見つけたところじゃないと思うけど、あそこ……」

 と、小倉君が別の1区画を指差して、

「あの辺って空き地だったかな? 普通にその隣の区画と同じような住宅街だった気がするけど」
「あ、マジだ。どうなってんだ?」

 小倉君が指差したその場所は、本来のリアルであれば普通に住宅街が立ち並ぶ居住区の一画になっている場所。
 だけど、この空間ではその場所は、区画整備の途中、家が着工する直前と言った感じの、道路で区分けされたいくつかの更地だけが広がっていた。
 そこでようやく塚本さんが、九条君が最初に気付いた違和感を見つけたようで、

「あ、わかった! あそこ! 建物が右半分しかないよ!? なんでなんで!?」
「本当だ。そうやって見ると、あちこちおかしいぞ? あそこの屋敷、あんな古めかしい感じの建物だったか? つか、よく見たらアレ、俺らがガキの頃の、1回建て替えする前のまんまじゃねぇか」
「あそこのビルも、右半分だけ鉄骨が剥き出しだ」

 そんな感じで、三人で一頻り街を眺めたところで、小倉君がこの空間のカラクリに辿り着く。

「ふむ、そうか、なるほどね。要するに、1区画ごとに適用されているデータのバージョンが全部バラバラ、ということかな」
「そうか! だから空の色も街並みも、全部ツギハギ状態ってわけだ」
「うん、だからここは、『遠堺パッチワークス』って呼ばれてるらしいよ」

 そう、これこそが、このアングラが「遠堺パッチワークス」と呼ばれる所以だ。
 元々このアングラは、それこそ地元の不良グループが自分たちの拠点にするために作った、駅前の、現在時間帯が夜で固定されている区画だけを使った、アングラとしてはありきたりな、極小規模なものに過ぎなかった。
 そこから誰が始めたのか、駅周辺の区画から拡張していく形で、その時々の住人によって好き勝手に区画が追加されていった結果、いつの間にやら市内全域を含んだ、広さだけならそこらの大規模アングラにも引けを取らない規模となり、かつ、区画ごとに拡張を実行した人物も、拡張に使ったデータもバラバラで、今はまぁ……つまるところ、さっき三人が見つけたような、街中がツギハギだらけのカオスが構築されている。

「へぇ〜。それだけ聞くと、なんだかオシャレなネーミングよね」
「そうかな……?」

 まぁ、オシャレかどうかは別にしても、的確なネーミングではあると思う。

 と、一旦話が落ち着いたところで、九条君が件の境橋に視線を移す。

「んーで、あそこが例の『黄昏の欠片』か……」

 見れば確かに、境橋の周辺だけが明らかに空間ごとオレンジ色に染まっていて、ここからでは角度的に太陽は見えないものの、橋からは東向きと西向きの両方に長く影が落ちているのが見えた。
 あの区画が、今回目指す「黄昏の欠片」――ジッパチの住人からは通称「トワイライトゾーン」と呼ばれている場所だ。
 いつ、誰が、何を思って、何故あの場所を、「向かい合う夕焼けと朝焼け」という奇妙極まる環境データで固定したのか、起源も目的も全く不明。
 しかして、単純に時間帯がそこで固定されているだけで、別に特別何かがあると言うわけではないので、現在のジッパチ住人からはほとんど見向きもされていない。

 続けて小倉君が、一度ぐるりと見える範囲の空を一通り確認してから、

「なるほど。確かに、この街の中で黄昏時になっているのはあそこだけだ」

 と、そこで九条君が別の何かに気付いたらしい。

「なぁ、アレ、あそこは何なんだ? もう6月だってのに、あそこだけ雪降ってんだけど」

 九条君が指差した先、境橋から少し北西にズレた居住区の一画だけが、重苦しい曇天に包まれて、ここからでも見える程に白く雪が舞っていた。
 あぁ、うん、あそこね……うん、気になっちゃうよね……。

「あー……あそこはねー……うん、聞いた話だから詳しくは知らないんだけど、どうも、この街で一番『ヤバい』区画らしいって」
「マジかよ……」
「うん、なんか、あそこにだけは何があっても絶対に近寄るなって、かなりキツく言われたよ」

 まぁ、もちろん今思いついた作り話で、実際何があるか……というか、誰がいるのか僕は知ってるんだけどね。
 それを今みんなに言っても特に意味はないし、多分「あの人」もそれを望んでいないと思う。

「何それ、なんかすっごい怖いんですけど……」

 塚本さんは既に九条君の上着の裾を掴んで離さない体勢だ。

「ほほぅ、それはそれで気になるな……」
「えぇ〜……やめてよナオぉ……」

 その九条君は好奇心の方が勝っているようで、塚本さんが涙目になりかけている。
 あー……うん、これはさすがに全力で止めないと……。

「やめといた方がいいよ。最悪、普通に死ぬって言われたし……」

 うん、これは誇張抜きの割と本気だ。
 あの人は怒らせると冗談でもなんでもなく殺されかねない。
 あぁ、ほら、普通に死ぬって聞いて塚本さんが完全に涙目で九条君に抱きついてガタガタ震えてる……。

「や、やめよう、ナオ……あたしまだ死にたくないよ……」
「あー……いやー……あー……ったく、しょうがねぇなぁ……」

 塚本さんに半ば泣きつかれて、ようやく九条君も諦めることにしたようだ。

「やれやれ、リナはビビりすぎだよ」
「ナオが考えなさすぎるのよ!」
「そういう君はそろそろ『好奇心猫を殺す』って言葉を覚えるべきだと思うけどね、ナオ?」
「ぐ……わ、わーってるよ! 俺だってもうガキじゃねぇし、さすがにガチで死ぬのは俺だって御免だ」

 塚本さんが半泣きになったのも効いたのか、小倉君に窘められて、バツが悪そうに反省する九条君。

 まぁ、なんとかあの人には遭遇せずに済みそうかな……。
 誰がいるのかは知ってるんだけど、正直言うとちょっとだけあの人のことは苦手なんだよねぇ……。
 嫌いと言うほどではないし、会えば普通に世間話ぐらいは交わせる程度の仲ではあるけど、特別理由がない限りは自分から会いに行こうとは思わない相手だ。

「んで? まぁ、あの雪降ってるところはヤバいとして……他の区画はどうなんだ? こっからあそこまで安全に進めるのかよ?」
「聞いた話だと、危ない人たちが集まってるのは、駅の周りの夜になってる場所で、学園区を越えなければ西側の住宅区はあの雪の場所のせいで、あそこにさえ近づかなければ逆に安全なんだってさ。山を越えた北側はちょっとまた人がいるみたいだけど」
「つまり、逆に言うと、このアングラの元々の住人でさえ近づけない程、あの雪のエリアは危険、というわけだ」
「うん、そういうことだね」
「うへぇ……どんだけだよ、あの雪の場所……」

 小倉君の指摘に、さすがの九条君も若干引き気味になっていた。
 実際、ジッパチの勢力図は大体三分されていて、最初に出来た区画故に昔からの住人が多くて人口も一番多い、駅を中心とした「南」と、ジッパチ内では比較的新興の勢力が集まっていて、南の住人とは仲が悪いらしいと噂の「北」、そして、問題の雪エリアの主が実質一人で支配していて基本誰も近寄ろうとすらしない「西」に分かれている。
 ちなみに、僕の普段の活動エリアも「南」がメインなので、「北」のことは僕も詳しくは知らなかったりする。
 「南」と「北」を行き来しようと思うと、山を越えない限りは必然「西」を通らないといけないしね。
 その意味では、「西」の存在が「北」と「南」の緩衝区域みたいになってて、おかげで仲が悪いらしいとはされつつも、「北」と「南」はそれほど露骨に争っているわけではない、っていう、これはこれでなかなか微妙なパワーバランスが形成されているんだよね。
 とは言え、「西」がそもそも崩せないこともあって、現状のジッパチはアングラとしては稀に見る平穏さを保っているらしい。
 まぁ、さすがに僕もここ以外のアングラには行ったことがないから、「他と比べれば平穏らしい」っていう又聞きのレベルでしか知らないんだけどね。

「でもよ、っつーことは、あの雪の場所に近づき過ぎなければ、ちょっと住宅区を探検するぐらいなら安全ってことか?」

 あー……九条君、「西」に行くこと自体は諦めてなかったのね……。
 う〜ん……これは……どうかなー、微妙なラインかなぁ……。
 あの人がどこまで許してくれるか……。

「う〜ん……少しぐらいなら平気……じゃないかなぁ……」
「おぉ! じゃあちょっとだけ行ってみようぜ、ちょっとだけ!」
「えぇ〜……やめようよ、怖いよ」
「平気だって、要はあの雪の近くにさえ行かなきゃいいんだろ? あんなわかりやすいところ、避けて通るぐらいできんだろ」

 多分みんな気づいてないだろうけど、そもそも、あそこに雪が降ってるのは環境データの固定じゃなくて、あの人のせい(・・・・・・)なんだよねぇ……。
 でもまぁ……あの人でもさすがに警告なしで仕掛けてくるってことは多分ない……はず……。

「全く……どうしても危ない橋を渡らないと気が済まないその癖は、死んでも治らなそうだね」
「だって気になるだろ、あのツギハギのとことか更地んなってるら辺とかさ」

 小倉君は両手を広げて肩をすくめて、完全に諦めモードといった感じだ。
 しょうがないなぁ……。

「はぁ……。まぁ、ちょっと僕も完全には保証しきれないから……僕たちの誰か一人でも、ちょっとでも危ないと思ったらすぐ引き返す、っていうのだけは約束だよ?」
「了解。流石に俺だって死にたかねぇからな、引き際はわかってるつもりだぜ」
「ホントに? ホントよね!? 約束だからね!?」
「わーかってるって、リナ、ビビりすぎ」
「アンタが命知らずすぎるのよ!」

 塚本さんはまだ少し震え気味だったけど、なんだかんだで九条君から離れるつもりはないらしい。

「やれやれ……ともかく、まずはそろそろ移動しようか。とりあえずはここから降りよう。えーっと……やっぱりロープウェイが早いのかな?」

 話がまとまったところで、小倉君が辺りを見回して提案してくる。

「あー……うん、それはまぁ、そうなんだけどね……」
「……?」
「ハハ……いや、なんでもないよ。まぁ……じゃあ、行こうか……」

 あぁ……ついにこの時がきちゃったか……。


戻る