note.018 SIDE:R
あぁ……ついにこの時がきちゃったか……。
ここに来る前の路地裏で、溜息を吐いた理由をまた思い出して、僕は思わず肩を落とす。
うん、しょうがないよね、このルートを選んだ時点で「アレ」は避けて通れないからね……。
がっくりと項垂れる僕に、三人は怪訝な顔をしつつ、僕たちはロープウェー乗り場へと歩き始めた。
遠堺市の東側を南北に分断する標高200m程度の「境山」はこの街の最大の観光資源だ。
山脈の最西端を形成しているので、東側には山脈を形作る山々が連なる。
頂上の南側には今僕たちがいる展望台があって、展望台へのルートとして、西側の斜面にはロープウェーと簡単なハイキングコースが整備されている。
展望台には食事処の他に、小さいながらも天文台も併設されていて、「星空の街」を標榜するこの遠堺独特の「ちょっとした仕掛け」のおかげで、ベッドタウンの真っ只中でありながら、夜には天体観測も楽しめる。
ロープウェー乗り場の入り口をくぐると、特にリアルと変わらない、見慣れた乗り場の光景が広がる。
ただし、当然ながら観光客や係員などは誰もおらず、リアルであれば今この瞬間も市内随一の観光スポットとして賑わっているはずの構内は、しんと静まり返っていた。
「あー、あー! はは、すげぇな。誰もいないから声がめっちゃ響くぜ」
「ホントだ、すごいね。人が誰もいないってだけで、こんなに違うんだ」
「こうして見ると、見慣れた光景のはずだけど……なかなかどうして、新鮮だね」
周囲を見回しながら三人が口々に感想を言う。
そうして一頻り眺め回したところで、改めて乗り場へと歩を進める。
もちろん、リアルではないので切符を買う必要もない、というか券売機そのものがまず機能していないので、寄り道することなく改札口へと直行する。
「なんか、こういうのってワクワクしてくるな! ガキの頃に近所のいろんなところに忍び込んでた時を思い出すぜ」
「あー、わかるかも!」
「フフ、そうだね。そう思うと、随分と久しぶりの感覚だ」
やっぱりみんな、そういう気持ちになるんだね。
僕は小さい頃は大人しい子供だったから、どこかに忍び込んだりなんてやんちゃはしなかったけど……多分、今この場所に感じている気持ちは僕も一緒だと思う。
この「普段見慣れたはずの光景なのに人が誰もいない」不思議な感覚とか、「入っちゃいけない場所にいる」スリルとかワクワク感が、リアルの廃墟とはまた少し違う、トラッシュエリア独特の魅力だと僕は思っている。
「うんうん、やっぱりいいものだよねぇ、トラッシュエリアって」
「あたしもちょっと楽しくなってきたかも」
「でしょ? ハマると結構楽しいよ、廃墟探索。リアルの廃墟はまた少し違うんだけどね」
「なるほど、君の趣味の一端が少し見えた気がするよ」
「ヤッベ、俺、これ始めたらハマっちゃうかもしれん……」
なんて会話を交わしつつ、改札を抜けていよいよ乗り場のホームへと出る。
と、最初に声を上げたのは塚本さんだった。
「えぇー!? ゴンドラがないよ!?」
「あ? マジだ、ロープは一応かかってるけど、どうすんだよこれ!?」
「はぁー……これがあるから、このルートは嫌なんだよねぇ……」
そう、これが僕が散々溜息を吐いていた最大の理由だ。
このジッパチの境山ロープウェーには、ロープは通されていても、肝心のゴンドラが通っていないのだ。
本来あるべき、ゴンドラが留まるためのスペースもなく、一面平らな床の上にロープだけが一本張られている状態だ。
これを見て、小倉君は察してくれたらしい。
「なるほど、これがさっきから君が妙に項垂れていた理由と言うわけかい? 高坂君」
「そういうこと……」
「で、その様子だと何か知っているんだろうけど、ここからどうするんだい?」
「えっとね……」
と、僕は一旦言葉を切って、徐にホームを山頂側に上る。
そのホームの端の壁に、無造作に立てかけられている器具の束から、四本を取り出して、みんなのところへと戻って言葉を続ける。
「あそこ、ほら、下のホーム、丸い印があるのわかる?」
「あぁ、あるな」
僕が指差した先、斜面に沿ってざっと180mぐらい下った麓のホームは、こちらのホーム同様に乗り場全体が普通の平らな床で、代わりにロープの先を塞ぐように、弓道で使う的のような、外側から青、白、赤と三重に塗り分けられた丸い印が描かれたネットが張られていた。
「これを使ってね……」
さっき持ってきた器具を一本ずつみんなに渡す。
その器具は長さ2m半ぐらいの細い棒状で、一方の端にはゴンドラ用のロープに引っ掛けるためのフックが、もう一方の端には、足を乗せるための平たい棒が左右に突き出ていた。
「は? え、これって……」
「まさか……」
「嘘でしょ……」
うん、まぁ、ここまで説明すれば、みんな大体察するよね。
「……うん、そのまさかなんだ」
「こいつでジップラインみたいに滑り降りろと、そういうことか!」
「ハハ……これはまた、随分とイカれてるね」
「でも、これはこれで面白そうね」
口ではドン引きしつつも完全にノリノリの九条君と小倉君はともかく、塚本さんも意外と乗り気だ!?
さっきまでの感じからして、これも怖がりそうかなーと思ってたけど……案外、肝が太いね……。
あー……いや、そうか、さっきのトラッシュエリアの話に対する反応といい、結局のところ塚本さんもこの二人と幼馴染だけあって、怖がりではあるけど、根はこういう冒険じみたことを楽しめちゃう人ってことなのかな。
そう考えると、そうだね。本気で怖くて嫌なら、学校で話し合ってた時点で、ここまで来ること自体、自分だけパスするって選択肢も十分あったはずだ。
それでもそうせずに、なんだかんだここまでついてきているからには……まぁ多分、九条君の存在もある程度大きい感じはするけど――それを抜きにしても、少なからず怖いもの見たさ的な部分はあるんだろうね。
「うぅ……これを楽しめるみんなが羨ましいよ」
「なんだ高坂、怖いのか?」
「うん、こういう、絶叫マシン系は苦手でね……」
「なぁに、こんなの大したことねぇよ。目ぇつぶったり、下手に下とか見るから怖いんだ。これなんかちょうど、いい『的』があるんだから、あの丸だけ見てりゃなんてこたないぜ。あとー、あれだ、怖いのを我慢しちゃダメだ。思いっきり叫んじまえ。それだけでも結構違うぞ」
「う、うん……ありがとう、九条君」
軽く背中を叩いて励ましつつ、アドバイスをくれる九条君にお礼を言う。
「よっしゃ、どのみちこんなところでウジウジしててもしょうがねぇ、俺から行くぜ!」
言うが早いか、九条君は上から助走をつけるつもりらしく、ホームを駆け上がっていく。
そして、ロープの一番端にフックを引っ掛けて、そこから更にリフトを後ろに引いた状態から、勢いをつけて全力でダッシュ。
「イィィィ……ヤッホオオオオオオォォォォウ!!!」
ホームの半分を過ぎた辺りでリフトに飛び乗って、ノリノリの雄叫びで飛び出していく。
うわぁ……なんかもう、見てるだけで怖いんだけど……。
そう思ったのも束の間、あっという間に麓まで滑り降りた九条君は、完璧なタイミングでリフトを飛び降りて、飛び降りる慣性で反転、背中からネットに飛び込んで、ネットの反動を使って綺麗に着地すると、こちらに向けて大きく手を振ってきた。
一瞬遅れて、「お〜い!」と呼びかける九条君の声が届いたのと、ほぼ同時に僕たちのすぐ近くに九条君の顔を映したARウィンドウが展開された。
『はははっ! これすっげぇ楽しいぞ! お前らも早く来いよ!』
「じゃあ、次は僕が行こう」
と、名乗りを上げたのは小倉君。
それに、
『おう、待ってるぜ!』
とだけ言い残して、ARウィンドウはすぐに消えた。
小倉君も上から加速をつけるつもりのようで、落ち着いた足取りでホームを上がっていく。
上まで着くと、九条君と同様に、勢いをつけながら、
「それじゃ、お先に失礼!」
と、こちらも全力で加速をつけて滑り降りていく。
うぅ……僕もそろそろ覚悟を決めないと……。
深呼吸深呼吸……。
「高坂君、大丈夫?」
「う、うん……ごめん、もうちょっと待ってて」
「あたし、先行くね?」
「うん」
まだ踏み出しきれない僕を尻目に、塚本さんもホームを上がっていく。
あー……これは完全に塚本さんも加速する気だね。
よくやるなぁ……。
「じゃ、いっくよ〜〜〜!」
先の二人と同じく、塚本さんも一番上から全力加速でリフトに飛び乗る。
「ッキャアァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
……なんて悲鳴をあげてるけど、あれはどう見ても怖くて叫んでるんじゃなくて、完全に絶叫マシンでテンション上がってる時のノリだね、うん。
っていうか、言わなかった僕も僕だし今更だけど、何で塚本さん学校の制服のまま来たのうちの制服スカートふわっふわでそんな格好でそんな全力で加速つけたら後ろがいろいろ見えちゃいけないライムグリーンだ可愛いやったー。
……コホン。
し、しょうがないじゃん、見えたら見ちゃうよ僕だって男だよ!
……はぁ……まぁ、うん、もう誰も残ってないのに一人でわたふたしてても虚しいだけだね。
さて、そろそろいい加減、僕も覚悟を決めよう。
さすがにみんなみたいに上から助走をつける勇気はないので、とりあえず目の前の位置でフックを引っ掛ける。
一応、初動の勢いをつけるために少し下がって……もう一度深呼吸。
……ふぅ。
うん、よし、もう行くしかない!
意を決して飛び乗ると、思ったよりも速い速度でリフトが滑り出す。
ちょっ、速い速い速いって!!
「うわぁぁぁあああああぁぁぁぁぁぁあああああ!?」
風を受けて必死にリフトにしがみつきながら、さっきの九条君のアドバイスを思い出そうとする。
目はつぶらない、下も見ない、前の丸だけ見る、丸だけ見る丸だけ見る丸だけ見る……!
時間にすれば一瞬のこと。
だけど、この時の僕にとっては、一体どれだけの体感だったか……もはや時間の感覚自体、曖昧になっていた。
気付いた時には、最初は目測で3cmぐらいの大きさにしか見えなかったネットの丸印は、中心の赤色だけが目の前一杯に広がっていて。
「わぁああぁぁぁあああふぎゅ!?」
リフトがロープの端に達したことで、ガクンッと急ブレーキされて、慣性で僕の身体は思いっきり振り子運動を起こしてリフトから放り出されて、大の字になってネットに頭から突っ込む。
必然、振り子運動の軌道のまま、下から上に抉り込むようにネットに飛び込んだ僕の身体は、そのままネットの反動によって、背中から床に放り出された。
「ふぎゃっ!?」
「お、おい、高坂!?」
「高坂君!?」
「大丈夫かい、高坂君?」
「うぅ……ん……」
思いっきり床面に叩きつけられた僕に、すぐさま慌てた様子で三人が駆け寄ってきてくれた。
と言っても、ここはアングラの仮想空間。
リアルだったらこれだと、頭を打って一大事ともなりかねないけど、レイヤード、ワイヤードを問わず、基本的には仮想空間上ではこういう不慮の事故では身体は傷つかないようになっているし、痛覚もある程度は抑制されてるから、この程度は大したことでもないんだよね。
無論、いくつか例外はあるんだけど。
「ごめんね、大丈夫。ちょっと目が回っただけ」
軽く頭を振って、ふらつきを治めてから、九条君が差し出してくれた手を取って立ち上がる。
ちなみにリフト本体は、手が離れた時点で消失して、自動的に元の山頂側ホームのリフトの束の中に戻るようになっているから、振り子運動で戻ってきたリフトが後頭部を……なんてことにはならないので安心だ。
この辺は仮想空間ならではって感じだよね。
「ありがとう」
「ったく、驚かせやがるぜ」
「ごめんごめん、もう大丈夫だよ」
「よかったぁ」
「ネット上とは言え、痛覚は0じゃない。リアルの身体に直接の影響は早々ないけど、ショック症状が出ることもある。気を付けた方がいいよ」
「うん、ありがとう」
そうなんだよね、かなり抑制されているとは言え、身体からの危険信号である痛覚を完全に切ってしまうのは問題があるということで、ネット上と言えど痛覚は完全な0にはされていない。
だけど、これはこれで、過剰な痛覚刺激を受けると、脳が実際にそのダメージを受けたと勘違いして、リアルの身体にショック症状が出てしまうことがあるんだよね。
ゼウスギアはあくまでも身体制御と五感の信号に割り込んでるだけで、その結果として生じる脳内物質の分泌と伝達にまで干渉できるわけじゃないからね。
相応の刺激を受ければ、脳はそれを実際に発生したものとして受け取るし、対応して実際に反応を起こすのは結局のところリアルの身体なわけで。
これは例外の一つとして本当に気を付けないといけないところだ。
一応、心拍血圧だとか脳波だとかは常時監視されていて、一定の閾値を超えて異常があると判断される、もしくは、そうなると予測される程の強い感覚情報が生成されたことを検知された時には、強制ログアウトとか過剰な感覚信号のカットとかの安全策もある程度は用意されてるんだけど。
ともあれ、これで最大の難所は無事に過ぎたかな。
あと残る懸念は、九条君が「西」にあんまり深入りしなければいいけど……。
「とりあえず、進もうか。後はもう、境橋まで安全に行けるはずだよ」
「よっしゃ、んじゃちょっと町中の方も見て行こうぜ! あの雪の場所に近寄らなきゃいいなら、川沿いぐらいは大丈夫だろ」
あー……一応、九条君なりに安全圏を探ろうとはしてるんだね。
「そうだね、川沿いからあんまり踏み込みすぎなければ、ちょっと見に行くぐらいはできるんじゃないかな。ただ……」
「わーってるよ、ヤバげな気配があったら即撤退、だろ?」
「うん、そこがわかってれば大丈夫、のはず」
「ホントに大丈夫かしら……」
塚本さんはまだ不安げだけど……さっきみたいにやめようとは言わないんだよね。
やっぱり、どこか根本的なところで、この三人は似た者同士な感じがする。
軽く住宅区を見て回るぐらいなら、多分大丈夫だとは思うんだけどねー……。
場合によっては、直接あの人に話をつけなきゃいけない……かも……?