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note.019 SIDE:R

 そんなわけで、まずはともかく山道を降りて平地に出ると、程なくして正面に川と、そこを渡す橋が見えてくる。

「んじゃ、試しにまずは向こう側に渡るだけ渡ってみようぜ」
「な、なんかドキドキしてくるわね……」

 塚本さんは既に恐る恐るといった感じだったけど、ひとまず一旦橋を渡って、「西」の領域である住宅区に入る。
 まぁ、この辺りはまだ、例のエリアとは全然離れてるから、なんてことはないって感じかな。
 どこかの区画との境目ってわけでもないから、特段変わったところもなく、リアルそのままの光景が広がっている。

「確か、ちょっと北西に入った先に、更地になってるとこがあったよな。あそこがとりあえず気になったから、行ってみよう」

 現在地から見ると、件の雪エリアは、南西寄りの西側奥の方、九条君が行こうとしている更地区画はそれよりずっと手前の北西側、トワイライトゾーンは川に沿って山を回り込んだ先、少しだけ東寄りのほぼ真南、という感じだ。
 方向としては、山を降りた最初からいきなりの寄り道って感じだけど、多分まだ大丈夫な領域ではある……はず……。
 今のところリアルと変わらない景色なこともあって、勝手知ったるなんとやら、と言わんばかりにずんずんと進んでいく九条君に、一応警戒はしつつもついていく。
 そうして、4、5軒ほどの民家を通り過ぎると、唐突に視界が開ける。
 そこには、区画整備だけは施されて、とりあえず網目状に道路が通っているだけ、という状態で、たっぷり10軒分ほどに区分けされた更地が広がっていた。

「おぉ……ホントに更地になっちまってる。というよりこれは、ここに家が建つ前って感じか?」
「そのようだね」

 見れば、完全な真っ新というわけでもなく、まだ更地のところもあれば、基礎のコンクリートが打ち込まれていたり、はたまたその作業の途中だったり、既に柱が組まれていて大雑把に家の形の枠ぐらいは出来上がっていたりして、普段間近で見ることはまずないだろう、家の基礎工事の様子が手順の段階ごとに確認できるような状態になっていた。

「おー、すげぇな、こんな風に木枠でコンクリを流し込んでるのか」
「見て見て! どうなってるのかわかんないけど、隙間がほとんどわかんないぐらい、梁と柱でピッタリ組み合ってる」
「へぇ、ケイオスサーバーって、この段階で既に床下に埋め込まれるものなのか。これはなかなかに興味をそそられるね」
「うん、こんなに間近で見たのは初めてだよ」
「すげーなー……!」

 思わず時間も忘れて、しばしの間、普段絶対に見る機会のない工程に見入ってしまっていた。

 ケイオスサーバーとは、建物1軒、部屋1つ単位でのクラウドサーバー化によるオリュンポスネットワークを構築するための自立型汎用量子コンピューター複合体の通称で、正式名称はComplex of Hyper Augmented-reality Operating System(拡張現実オペレーティングシステム複合体)
 自己診断機能とナノマシンによる自律メンテナンスにより、電力の供給がある限り半永久的な動作が可能な量子コンピューターによるIoTネットワークホスティングサーバーと、そのメンテナンス用自己複製型ナノマシン、オペレーティングシステムのソフトウェアまでを含めた総称だね。
 ちなみに、正式名称の「Hyper」は旧世代インターネットの根幹である「Hyper Text」からの借用で特に深い意味はないみたい。

「あ、見て、あそこ!」

 と、塚本さんが指差した先には、別の区画データとの境目らしい、こちら側の更地区画とで半ばから真っ二つにされた家が何軒か並んでいた。

「おぉ、ハハハ! こりゃすげぇや! お前らももうちょっとこっち来てみろよ!」

 いち早く駆け寄った九条君が、少し興奮気味に手招きする。

「これはまた……なかなか見られるものではないね」
「すげぇよなぁ。誰ん家だか知らねえけど、こんなにちゃんと内装までデータに残ってるもんなんだなぁ」

 九条君が目を付けた1軒の2階建ては、1階にはシンクの真ん中から真っ二つにされたキッチンと、その隣のダイニングと思われる、同様に、半ばから真っ二つにされて片側が完全に宙に浮いた状態ながらも何事もないかのように直立しているテーブル、その奥のリビングらしきスペースや、壁にかけられた風景画らしき額縁まで、完全に内装の形が残されていた。
 2階の方も、ベッドが2つ並んだ寝室らしき部屋や、そこから廊下と思われる狭いスペースを挟んで区切られた、書斎らしき机と本棚がある部屋などが見て取れた。
 こういうところから個人情報なんかが盗まれたりするからこそ、トラッシュエリアの侵入って基本的には犯罪行為とされてるんだよねぇ……。
 まぁ、現状はこうして入って外から眺めてるだけなら、取り締まられることはないんだけどさ。

「なんだか、横スクロールの2Dゲームみたい」
「あはは、確かにね」

 ポツリと漏れた塚本さんの感想に、みんなで一頻り笑い合う。

「そういやこれ、俺らん家とかどうなってんだろうな?」
「あ、ちょっと見てみたいかも!」
「待った、それは却下だよ」

 なるほど、確かにこういう光景を見るとちょっと気になる疑問だったけど、小倉君が異議を唱える。

「ここから僕らの家付近まで行くのはさすがに不味い」
「みんなの家ってどこなの?」

 僕の質問に、ふと空を確認した九条君は、落胆した様子で額を叩いて頭を抱えた。

「あー……マジか……。俺ら三人とも、あの雪の場所からちょい下った真南ぐらいなんだよな……。こりゃこっからじゃ近寄れねーわ……」
「あぁ……なるほどね……」
「あー、気になるなー! あれだ、こう、ぐるっと大回りとかして、近くじゃなくても、せめて見えるような距離までぐらいとかいけねぇかなー!?」
「ふむ……僕は厳しいと思うけどね」
「あたしもやめといた方がいいと思うなー……」
「やっぱきちぃかなー……しゃーねぇ」

 僕は正確なみんなの住所を知らないから何とも言えないけど、どうやら三人の中では自分たちの家周辺は満場一致で「アウト」と判断されたらしい。
 ……九条君が素直に諦めるぐらいってことは、まぁ多分、実際アウトだね。

「ちなみに聞くけど、高坂君の家は……?」
「近づくどころか、完全に雪降ってる範囲内だね」
「そりゃ残念」

 うん、僕の家ちょうどあの辺なんだよねぇ……。
 と言っても、僕は普段の僕一人なら普通にあの人にも会うし、ジッパチの自宅自体も自分でバックドアを作って日常的に拠点として使ってるんだけどね。

「あー、じゃあ、代わりにあそこ行ってみようぜ、あの『お屋敷』!」
「いいね、あの当時のままのデータが残ってるとしたら、僕も少し興味がある」
「あそこなら、雪のとことは全然方向も違うもんね」

 「お屋敷」というのは多分、九条君が山頂で見つけた、もう10年以上前の改築前の状態で存在している、この街の住宅区で一番広い面積を占めている屋敷のことだろう。
 確か、元々は大昔にこの遠堺や隣の市の一部まで含めた一帯を管理していた地主の家系の人の屋敷らしく、改築前はいかにもといった感じの、木造平屋の古めかしい日本家屋だったはずだ。
 10年ぐらい前に、当時の当主だったお爺さんが亡くなったのを機に、建物自体もだいぶ老朽化が進んでいたこともあって、改築。
 今はもう少しモダンな雰囲気の木造二階建てになって、お爺さんの子供に当たる人の老夫婦が、娘家族と一緒に住んでいるらしい。
 位置的にはトワイライトゾーンから少し南東、住宅区と学園区との境目辺りになる。
 学園が「西」と「南」の境目になっていて、学園区を越えなければジッパチの勢力図としてはまだ「西」の範囲だから、見に行く分に問題はないはずだ。

「じゃあ、行ってみようか」
「おう!」
「うん」
「おっけー」

 移動を開始しようとした瞬間――視界の端に何かが一瞬光った気がして、僕はふとそちらを確認する。
 あー……今のが見間違いじゃなければ多分、あの人にバレたかなー……。
 お屋敷に直行すれば、進行方向的には大丈夫だと思うけど……さて、一筋縄でいくかな……?

「どうした、高坂」
「あ、ううん、なんでもないよ、行こう」

 まぁ、多分何事もない……はず……。


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