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note.022 SIDE:R

 玄関の引き戸を開けると、まず目に飛び込んできたのは、一番奥で左に折れる形のL字型の、広々とした土間だった。
 すぐ左手には、奥へ続く廊下と、L字の内側に沿った廊下に、囲まれる形で障子仕切りの客間が設えられていて、左に折れた先は台所になっているようだった。

「すごい……」

 何かに導かれるように土間を進んで、奥の台所を覗くと、全体としては現代風のシステムキッチンでありながらも、AR操作可能な今時の家電に混じって、ところどころに昔ながらの日本式の調度が絶妙な調和で配置されていて、特にコンロの隣の、土で固められた伝統的な竈が目を引いた。

「今の時代に、こんな竈が残ってる家がまだあったんだね……」
「すげぇだろ? たま〜に昼飯におにぎりなんかも作ってもらってたんだけどよ、この竈で炊いた飯がまた美味ぇんだわ」
「最近の炊飯器はかなり頑張ってると思うけど、この竈には負けるね」
「うんうん」
「そ、そんなに……?」
「まぁ、ありゃあ、おばさんの炊き方も上手かったんだろうけどな」
「昔に、お爺ちゃんの奥さんだったお婆様に徹底的に仕込まれたんだーって言ってたよね」

 なるほど……竈と一緒に、そういう技術も連綿と受け継がれてきたってわけだね。
 なんとも歴史を感じる話だ。

「客間もすげぇぞ」

 と、靴を脱いで上がっていく九条君に続いて、客間に入ると、

「わぁ、客間でこんなに広いんだ」

 客間には、長机に8人分の座布団が設えてあり、奥には立派な床の間まであった。
 床の間には、菊の花の一輪挿しの花瓶と、幻想的な雰囲気の山から滝が流れ落ちて川を作る様子が描かれた、水墨画の掛け軸が飾られていた。
 一見すると、どれもそれほど華美な装飾というわけではなく、シンプルなデザインだけど、床の間の細かな装飾や、花瓶、掛け軸、どれ一つ取っても、積み重ねてきた年月を感じさせるような、どことなく壮麗な雰囲気を纏っていた。

「懐かしいね〜、本当にあの頃のまんま」
「だな」

 と、塚本さんに九条君が応えて、小倉君もそれに頷く。

「書斎の方も見に行ってみようぜ」
「さんせ〜い!」

 九条君の提案に乗って、次は奥まった場所にある書斎へ。

 書斎は、他の部屋よりは狭かったものの、それでもそこらの一軒家ならリビングと言われても不思議はないぐらいのゆったりとしたスペースはあった。
 けど、四方の壁は全て、ぎっしりと本が詰まった本棚になっていて、スペースの割には圧迫感がある。
 部屋に入ると、古い本に特有の、独特な香りが鼻を突く。
 AR技術全盛のこの時代、「本」と言えばサーキットラインを応用したAR情報を埋め込める特殊繊維樹脂紙を使ったスマートブックがほとんどで、純粋な紙媒体に触れる機会なんてもはやあんまりないけど、僕はこの匂いが割と嫌いじゃない。

「ここもまた、なかなかすごいね」
「だろ?」
「AR化されてないただの紙の本なんて、今やそれだけでもかなり貴重だからね。ここにある本たちが、改築されてリアルで今どうなってるかは知らないけど、もし売りに出されたのだとしたら、相当な値段になっているだろうね」

 小倉君に言われて、試しに本棚から適当に1冊手に取って開いてみると、中身は物凄い達筆の草書体で書かれた、いかにも古文書、といった風情の文章が並んでいて、全く読める気がしなかった。
 確かに、今時はこういう普通の紙媒体の書籍も、有名なものだったり、学術資料として保管されているようなものだと、ほとんどがAR化されていて、外国語はもちろん、こういう達筆すぎる日本の古文書も、本を開くだけできちんと読みやすい現代語訳に直してくれたりするんだけど、この本はそういう処理が一切されてないようで、原文そのままが普通に書かれているだけだった。

 僕が開いたページを後ろから覗き込んだ九条君が、思わずといった様子で吹き出して、

「ふっ、ははは! 爺ちゃん普通に読んでたし書いてたから、俺も大人になったらこんな風に書けんのかなーとかあの頃は思ってたけど、ダメだこりゃ。ははっ、今見ても全然読める気がしねぇや」

 それを聞いて、同じように覗き込んできた小倉君も、

「なるほど、これはお手上げだ」

 と、肩をすくめる。
 そこで、横から覗いた塚本さんが、

「ん〜……これって日誌かな? ほら、一行目のこれ、日付じゃない? 十月二十九日って」

 言われてみるとそんな気もするし、一行目はそこで改行されて、次からしばらく文が続いた後に、一行空けてまた同じように短い一文、本文らしき部分、と続く形式は確かに日誌のようにも見える。
 早々に諦めて他の本を物色していた九条君たちも戻ってきて、どうやら日誌の類らしいことをヒントに、なんとなく解読してみようとしたんだけど……

「ってことはこれは、えーっと……本……日……かな?」
「その下は……『晴』れるって字?」
「間はなんかカタカナっぽいね。本日ー……ハ……晴天ナル……モ……かな?」
「っぽい気はするけど……ダメだな、その先はやっぱ読めねぇや」
「……だね」

 今度こそ全員でお手上げのポーズで軽く笑い合ってから、本は諦めて元の場所に戻す。

「さてと、後は、高坂に『アレ』を見せてやらないとな」
「あぁ、『アレ』ね〜」
「『アレ』って?」
「まぁ、見ればわかるさ。こっちだ」

 何やら意味ありげに顔を見合わせて部屋を出て行こうとする三人。
 よくわからないまま、僕も書斎を出て廊下を戻っていくみんなの後ろをついていく。

 書斎へ続く廊下を少し戻って、右に曲がる。
 その廊下を少し進んだ左手にあった障子を開けると、そこは一角が押入れになった、寝室らしき襖仕切りの部屋。
 かと思えば、目的はこの部屋ではないようで、そこから更に、隣の部屋と繋がった襖を九条君が開け放つ。
 その先にあったのは――

「すごい、囲炉裏がある」

 中央に大きな囲炉裏を備えた、この家でおそらく一番広い大部屋だった。
 更にその奥は縁側になっていて、外からも少し見えた西側の日本庭園のちょうど正面になっていた。

 囲炉裏の実物なんてまず目にする機会のなかった僕は、天井から吊るされた自在鉤や、一段掘り下げられて灰を敷き詰めてある内側の様子を思わずしげしげと眺める。

「実物の囲炉裏なんて、見たの初めてだ」
「庭もすごいぜ。こっち来てみろよ」

 九条君に促されて、縁側に出る。

「わぁ……」

 これは、何というべきか……僕は、それ以上の言葉を出すことが出来なかった。
 手前側は、大小の岩と一面の白砂で表現された、本格的な枯山水。
 奥には、築山や苔むした大岩、いくつかの低木が緻密に配置されている。
 それらを縁取る額縁のように、両側には松の木が植えられ、最奥の壁際に沿って全体を囲むように配置された紅葉は、秋頃の環境データを使ったのだろう、見事な紅葉で景観に彩りを加えていた。

「ここも懐かしいな〜。ねぇ、覚えてる? あたしがここで、お爺ちゃんがいつも飲んでる緑茶を飲んでみたい〜って言い出して、いざ飲んでみたらもう、熱いし苦いしで湯呑放り投げちゃって……」
「あぁ〜、あったあった! あん時ゃ大変だったよなぁ、お茶盛大にぶちまけて、周りはびっしゃびしゃだわ、湯呑は割れちまうわ、お前は服ダメにしちゃうわで。あん時のリナ、大泣きだったよな」
「んもぅ、それは言わなくていいの!」

 九条君の余計な一言で塚本さんが赤面して、そうして一頻りみんなで笑う。

「あはは、それはまた大変だったね」
「そりゃあもう、横で見てた僕らはてんやわんやさ。あの時は、これは怒られるかと思って平謝りでビクビクしてたら、お爺さん、大爆笑してたよね」
「あぁ、そうだったな」
「結局、あの時はしばらく佳苗お姉ちゃんのお下がりを借りたんだっけ。懐かしいな〜、佳苗お姉ちゃん元気かなぁ」
「佳苗お姉ちゃんって?」

 聞いてみると、佳苗さんというのはお爺さんの孫娘に当たる人で、リアルではもう結婚して子供もいて、改築されたこの家に今も現当主のおじさん夫婦と一緒に家族で住んでいるはずとのことだった。

「佳苗姉かー。思えば、佳苗姉にも結構世話んなったもんだ。そういやぁもうしばらく会ってねぇよなぁ」
「工事が長かったのもあって、改築された頃には僕らも学校通いで、ほとんど遊びにいかなくなっちゃったしね」
「小学校じゃ、学年変わっちゃうとほとんど交流なかったしね〜」
「俺らとじゃ4つも離れてたもんなぁ。小学校入っちゃうと、1年生と5年生じゃ完全に雲の上だったもんな」
「あー、確かに、小学校だと学年が離れるとなんかそういうところあるよね」

 小学校の上の学年の人に対する雲の上感は、なんとなくわかる気がするなぁ。
 1年生と5年生じゃ、確かにちょっと敬遠しちゃうよね。

「今度、久々に遊びに行ってみっか」
「そうだね」
「うんうん、久しぶりにおばさんのおにぎりが食べたいよ」
「食い意地張ってんなぁ、リナ」
「う、うるさいわね、いいでしょ!」
「あはは」

 と、そんな昔話が一段落したところで、

「あぁ、そう言えば……」

 と、小倉君が何かを思い出したように、囲炉裏のところまで戻ってから腰を下ろす。

「どうした?」
「いやね、この庭はこうして囲炉裏から座って見た時に一番綺麗に見えるんだ、みたいな話をお爺さんがしてた気がしたのを、なんとなく思い出してね」
「そういやぁそんな話もあった気がするなぁ」

 試しにと、僕らもそれに倣って、囲炉裏を囲んで腰を落ち着けて、改めて庭を眺めてみる。

「なるほどな? あん時ゃいまいち意味がわからなくて、『まだ早いかのう』なんて爺ちゃんには笑われたけど、今ならちったぁわかる気がするな?」

 そう言いながら九条君は、片目をつぶって両手の人差し指と親指でファインダーを作って前後させながら覗き込む。

「そうだね。ここから見ると、家の間取りそのもので切り取られて、まるで額に嵌った絵画でも見ているかのようだ」
「奥の紅葉も、なんだか夕暮れ時の空みたい」
「あ〜……なんとなくわかるかも」

 確かに、言われて見れば、家の間取りを額縁として、両側を松の装飾で縁取られて、紅葉の紅は空の色、奥の築山や低木なんかはおそらく遠景の山々を表現しているのだろう、夕暮れ時の野山と流れる川、という構図に見えなくもない。
 なるほど……そうやって見ると、日本庭園、奥が深いなぁ……。
 ……うん、ちょっとこの、日本情緒的な侘び寂びとやらを完全に理解しきるには、僕にはまだ早いらしい。

「つぅか夕暮れ時で思い出した、そろそろ本題の境橋見にいかねぇと、マジで日が落ちちまう」
「っと、そうだね」

 西に面する縁側にもう一度出てみると、まだ赤く染まってこそいないものの、だいぶ日は落ちて、既に太陽は塀より少し上、真正面に見えるような位置まで降りてきていた。

「懐かしすぎて長居しちまったけど、そろそろ真面目に本題といきますか!」
「お〜!」

 というわけで、お屋敷に別れを告げた僕たちは、今回の本題であるトワイライトゾーンへと歩を進めたのだった。


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