戻る


note.063 SIDE:G

 うぅ……戦闘が終わったのはいいけど、マンドラゴラのせいで完全にグロッキーだ……。

「マンドラゴラ……ちょっといろいろエグすぎませんか……」
「ごめんなさいー。やっぱり、初めて聞くとみんなそうなんですよねー……」
「トラウマものですよ、アレ……」
「あの叫びは、フォトンそのものに対する共振周波数(・・・・・・・・・・・・・・・・・)ですー。なので、直に聞いてしまうとあぁして身体を構成するフォトンの結合が失われてエーテルに崩壊していくわけですねー。共振範囲外で聞いた時の恐怖感も、おそらく生命としての本能があの音を恐れるからでしょうねー。理論上、あの叫びに耐えられる物質があったら、それはもはやこの世の理を外れた存在ですー」
「……説明を聞いてもやっぱりエグい……」

 聞いたら即死確定……しかも、生きたままあんな土くれみたいにグズグズに崩れて死んでいくとか、間違ってもくらいたくない死に方だ……。
 それにしても……と、ここで一つ疑問が浮かんでくる。

「でも、マンドラゴラ自身も自壊しちゃいましたけど、あれじゃあ素材として引き抜く時はどうするんですか?」

 叫ばれたらマンドラゴラそのものも崩れて消滅しちゃうんだから、抜いたらみんな全滅ということでは……?

「あの威力が出せるのは自分で動き回れるぐらいまで成長してからなのですー。植わっている段階のものを素材として引き抜く分には自壊まではしないのですよー。ただ、ちょっと聞くと発狂して死ぬぐらいですー」
「聞いたら即死は何も変わってないんですが!?」

 なんでもない風な口調ですっごいさらっと言ったけど、何も「ちょっと」ではないよ!?

「えーっと、そんなのどうやって引き抜くんです?」

 リアルでの伝承だと、犬に紐括りつけて遠くから呼んで、犬を犠牲にするみたいな話だったような……。

「それはですねー。このお薬を使うのですー」

 と、マリーさんは、ポーチから何か明らかに危ない色の黒い液体の入った試験管を取り出して見せる。

「なんかすごいヤバそうな色してるんですけど……」
「これは、エーテル固着剤というものでしてー。これを撒くと、名前の通り、撒いた周りのエーテルがしばらくの間完全に固着してしまうのですー。音を伝える空気を形作っているのも、結局のところエーテルですからねー。空間エーテルが固着してしまえば、その空間は疑似的な真空状態になって、音も伝わらなくなってしまうのですー。なので、これをマンドラゴラの周りに撒いてから引き抜けば安全、というわけですねー」
「なるほど……よくできてますね」

 空間を構成するエーテルそのものを固めてしまうことで、音の伝達をなくしてしまえばいいってことだね。
 伝承通りじゃなくてほっとしたけど、解決方法はさすがファンタジーだね。

「では、進みましょうー。もう少し行くとまた泉があるはずなので、そこでまた少し休憩しましょうかー」
「はい、助かります」

 速度的にはマリーさんに追いつけるようになってきたとは言え、今のところは常に意識的に重心移動に気を使わなきゃいけないことには変わりないからね。歩くだけでもなかなかに集中力を使わされていて、そろそろ息抜きが欲しいところだ。
 その辺り、僕の歩みがキツそうなのを察してくれるマリーさんの気遣いが本当にありがたい。
 無意識でこれをできるようになれればだいぶ楽になってくるんだろうけど……。

 ともあれ、まずはその次の泉を目指して進もう。
 途中、カスフィモンキーの、さっきよりは小さい群れを1集団殲滅しつつ、進んでいく。
 そうして、しばらく歩けば、どうやらそれらしい水面のきらめきが茂みの合間に見えてくる。
 これで一息つけるかな、と安心しきって最後の茂みを抜けると――

「あらー」
「えっ」
「……ふぇ?」

「わああああぁぁぁあああああごめんなさいいいいいいぃぃぃぃ!?」

 裸で水浴びをしている少女がいた。

 ――

「うぅ……本当に申し訳ございませんでした……」

 と、そんなわけで、事故とは言え、見てしまったものは見てしまったので……未だにその裸のままの少女の方を見ないようにする意味も兼ねて、土下座で謝っているわけなんだけど……。

「あっははははははっ! あははははっ、クスクス……あなた、運がよかったわね〜、私が妖精で」

 少女の方はと言えば、僕の反応がそんなに可笑しかったのか、ケラケラと笑い転げて……って、妖精……?

「あぁ、そう言えば、人間の男の子にはこの格好じゃダメなんだっけ。……ほら、いいわよ、顔を上げなさいな」

 言われて、恐る恐る顔を上げれば、少女は空中に浮いていて、ほとんど白に近い薄淡い緑色の薄絹のような生地の、ノースリーブのワンピーススカートを纏ったその背中には、トンボのものが近いかな、細長い楕円形をした大小2対の羽が浮いていた。
 ただ、そのワンピースの背中側は、羽を通すため……にしてもちょっと開きすぎな、所謂「例のセーター」的な大胆な開け方をしてるし、その生地自体もほとんどシフォン生地みたいな、光が当たると身体のシルエットが色味まで透けて見えるぐらいの薄衣だしで、少し目のやり場に困る……。
 ……と、ともかく、その羽の方は、身体から直接生えているわけでもなく、見た目には背中の後ろに薄羽だけが浮いているみたいな状態なんだけど、それでもその羽自体は常に羽ばたいているし、服の背中をわざわざ開けている通り、どうやってか背中にきちんと繋がっているようで、彼女が動けば羽の位置も合わせて移動していた。
 本当に妖精なんだね……。

 とは言え、外見的な差異はその薄羽で空を飛んでいることぐらいのもので、所々少し外はねした、この森の瑞々しい木々を体現したかのような緑色のストレートヘアに、同じ色の澄んだ瞳と、少し尖った耳の、よく整った少女の顔立ちは、羽の存在を見なければ、人間で言うところの14、5歳ぐらいの背格好のエルフの子供と言われても信じてしまいそうだ。

「ほ、ホントにすみません……」
「別に、謝ることじゃないわよ、フフッ。私たち妖精にとってはあれが一番自然な姿ですもの。別に、見られたからどうこうとかいう気持ちは欠片もないわ」
「は、はぁ……」
「も〜っ、いつまでもかしこまってないで、男の子なんだからしゃんとなさいな。これじゃ全然気にしてない私の方が対応に困るじゃない」
「は、はい……」

 まぁ……本人がそこまで言うなら、僕もあんまり気にしすぎない方がいいのかな。

「彼女たち妖精さんや精霊さんたちというのは、意思を持たない全ての物に自然発生的に宿る『意思の代弁者』ですからねー。彼女たちは彼女たちが最も自然と思う姿で存在して、彼女たちそれぞれの振る舞いが総体として『自然』を成すのですー」
「そっちのおねえさんはよくわかっているじゃない。うふふっ、さすがはエルフなのだわ」
「な、なる……ほど……わかったようなわからないような……」

 あれかな、日本の付喪神みたいなものだと思っておけばいいのかな?
 彼女たちそれぞれの振る舞いが総体として『自然』を成すっていうのは……?……う〜ん……?
 そう言えば、すごいうろ覚えだけど、人間の群衆としての心理とか行動パターンを空気分子の動きに例えて云々……みたいなSF文学があったみたいな話を聞いたことがある気がするけど、そういうような感じなのかなぁ……?
 ……なんか理解が違うような気がする……。
 まぁ、とりあえずは付喪神様みたいなものってことにしておけばよさそうか。

「ふふっ、これはエルフではない人にはちょっととっつきにくい概念かもしれませんねー」
「ま、理解できなくてもとりあえずそういうものだと思っておきなさい」
「は、はい」

 と、なんとなく話が一段落ついたところで、

「ではではー」

 唐突に、靴を脱いだマリーさんが、スカートをたくし上げて、太もも辺りの位置で軽く縛って固定して、生足を露わにする。

「マ、マリーさん、一体何を!?」
「何って、採集ですよー。この泉の水草もお薬になるのですー」

 そう答えて、マリーさんはじゃぶじゃぶと泉に入っていく。
 そうして、水の底から、何やら透明な粘液のようなものを纏った、葉なのか花なのかもよくわからない緑色の球体が枝分かれしたそれぞれの先端についた、謎の水草を採って、ストレージへと入れていく。
 その様子を、妖精の少女が興味深そうに、宙に浮いた上から覗き込んでいた。
 あ……そう言えば……

「そう言えば、僕たちってまだ自己紹介してない……えと、僕はマイスっていいます」
「そう言えばそうでしたねー。わたしはマリーですー」
「マイスに、マリーね。私は……そうねぇ、大妖精(グレーター・フェアリー)とでもしておいてちょうだい」
「え? あの、名前とかないんですか?」
「ないわ。私たち妖精はそういうものだもの」

 まぁ……そういうもの、と言われれば、そう思っておくしかないんだけど……。

「う〜ん……でも、何か名前がないと不便だし、ん〜っと……」

 と思って、とりあえずで思いついた名前を口に出そうとしたんだけど……

「ぁん、ダメよ。私たち妖精に安易に名前を付けちゃ」

 その前に、本人から人差し指でで口を塞がれて止められてしまう。

「そ・れ・と・も……私と一生添い遂げるつもりがあるのなら止めはしないけれど?」
「そ、添い……っ!?」

 添い遂げるって、け、結婚ってこと!?へ!?えっ!?
 突然の展開に、目を白黒させるばかりになってしまった僕を見て、妖精の少女はまた笑い転げる。

「ぷっ、あははははははっ! 冗談よ、冗談……半分ね」
「は、半分……?」
「そ、半分。いーい? 覚えておきなさい? 私たち妖精に、そもそも『個』という概念はないのよ。さっきマリーも言っていたでしょう? 私たち妖精や精霊といった存在は、私たち全部の総体で以て『自然』を成すの。妖精に名前を付ける、と言うのは、その個体を『自然』から切り離して『個』の概念を与えて、それが宿る依代を自らの所有物とする、ということよ。だから、添い遂げる……って言い方は冗談だけど、あなたに本気で私と召喚契約を結ぶつもりがあるのなら、名前を受け入れてあげてもいい、という意味よ。
 ま、とは言っても、どのみち今のあなたでは私と契約するには全然力が足りないけれどね」
「あー……なるほど、理解できました。確かに、僕はまだ上位職ですらないただのマジシャンですからね。別にサマナーになるとも決めてないですし……ごめんなさい、少し迂闊でした」
「いいのよ、気にしないで。あなた、妖精と会うのは初めてでしょう? 知らなくても当たり前だわ」
「は、はい」

 そっか、今度こそ理解した……と、思う。
 妖精や精霊が個々の存在や概念に宿る付喪神っていうのは間違ってなくて、彼女たち自身は独立した存在だけど、同時に、彼女たち全部が作る集団意識とか群集心理みたいなものが、この世界での自然現象――概念的な意味での「自然」を形作っている……って感じかな。
 それで、例えば「パンジー」っていう花の種類としての名前はあっても、野に咲くパンジーの一つ一つに人間みたいに個体名がついているわけじゃないように、彼女たちも、「自然」の概念の中にあって、「パンジーに宿った妖精」みたいな枠組みはあるけど、その妖精一人一人に個体名があるわけじゃない、だから彼女たちに「個」としての明確な名前っていうのは存在しない。そして、彼女たちに名前を付けるっていうのは、野に咲くパンジーの中から一つを選んでそれを自分のものとして鉢植えに植え替えて育てる、みたいなこと……ということかな?
 ちょっと僕も、これで上手く説明できたかはわからないけど……。

「なんというか……上手く言葉にできないですけど、妖精とか精霊ってものについて、僕の中でどういうものか理解はできた……と思います」
「それはよかったのだわ。私たちって、存在というか、概念からして曖昧な存在だから、エルフ以外の人たちにはあんまり正しく理解されなくって」

 確かに、これはなんというか、八百万の神だとか付喪神みたいな、日本的な考え方への理解がないと、ちょっと全部を理解するのは難しいかもしれないね。

 ふぅ……なんとなく、今形になった僕の中での彼女たちに対する理解というのを反芻して整理してみてたんだけど……なんだか、だいぶ頭を使った気分で、歩きの分の疲れも合わせて、結構な疲労感を感じる……。
 頭を使いすぎたのか、なんとなく思考がボーっとしてきちゃったし、泉の水でも飲んで一息つこうかな……。

 と、特に考えずに泉から水を一掬いして口をつけると――

「どう? 美味しい? 私のエキスた〜っぷりのお・み・ず♪」
「ぶふぅっ!?」

 なんて耳元で囁かれて、思わず飲みかけた水を吹き出してしまう。

「けほっけほっ……ちょ、な、何を言って――」
「あっははははははっ! 冗談冗談♪」

 僕の反応に、妖精の少女が笑い転げる。

「あらー、なら、わたしのエキスも入ってますねー?」
「マ、マリーさんまで!? 何を言ってるんですか!?」
「ほらほらー、いいお出汁出てますよー? うふふふふっ♪」

 と、片足で水面をぱしゃぱしゃとかき乱すマリーさん。
 くっ……太もも辺りまでスカートを裾上げしてるその状態の生足で片足上げてるからいろいろ見えちゃいそうで目のやり場が……!
 少女の方は、あちこちふらふらに飛び回りながらまだ笑い転げてるし……。
 うぅ……自分の顔が真っ赤になっているのがわかる……。
 とりあえず、水も結局飲む前に吹いちゃったし、この火照りを静めるためにも……自分のポーションを飲もう、うん。

「あらー、飲んでくれないんですかー?」
「この状況で泉から飲む度胸は僕にはないですよっ!?」
「それは残念ですー」
「あははははっ、あっはははははははははははっ!」

 何本気で残念そうな顔をしてるんですかねマリーさん!?
 妖精少女の方はまだツボにハマってるみたいだし……。
 うぅ……なんだろう、今日、女難の相でも出てるのかな……厄日……?


戻る