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note.072 SIDE:G

「あらー、これはー……」

 と、ふとマリーさんが何やら見つけたようで。
 2mぐらいのちょっとした段差の端に巨木が生えたせいで、その巨大な根にドームのように覆われて、真っ暗に見えなくなっている中に入っていく。

「あら、よく気が付いたわね」
「わぁ……なんですか、これ?」

 そこにあったのは、一輪の白い百合の花だった。
 ただ、普通じゃないのは、その百合が茎や葉っぱまで含めて全てが花と同じ、わずかに透き通った真っ白な色をしていること。
 巨木の根っこのドームと、それによって崖にできた洞に囲まれて真っ暗になった中にひっそりと、それでいて凛と佇む純白の姿は、神秘的という言葉がぴったりだね。

「エンジェルズリリー……別名『夜露の白百合』ですー。全体が真っ白なのは、葉緑素がなくて代わりに周囲のエーテルを直接取り込むように進化したからですねー。なので、この森の中でも、こういう特に濃いエーテル溜まりでしか咲きませんー。構成成分の9割は固形フォトンと言われていますねー。調合でいろいろな霊薬が作れる、錬金術師垂涎の貴重な素材なのですよー」
「それはすごいですね……」
「夜露の白百合って呼ばれるのは、大体夜の間かこういう暗くて湿った場所で露に濡れながら咲いてるから、って話だったわね」
「その通りですー」
「なるほど」

 こう言っちゃうのもなんだけど……キュウリみたいなものか。あれは確か9割が水分だったよね。

「では、採集しますよー」

 そう言ってマリーさんが取り出したのは、ストレージから長い筒状の透明なカプセルがついた、かなり深い植木鉢?のような謎の容器だった。

「植木鉢……? にしては物々しいですね……」
「この子のような、ダンジョン内の高エーテル環境が必要な植物の採集用ポットですねー。下のここに魔石をセットすることで、カプセル内部のエーテル濃度と魔力濃度を一定に保ってくれますー」

 マリーさんが鉢部分の下側についたカバーを開くと、ソケットのようなものがあって、黄緑色の魔石がセットされていた。
 なるほど、そういう魔道具もあるんだね。

「黄緑……結構お高かったのでは?」
「そうでもないですよー。これが必要になるようなダンジョンであれば、黄緑ぐらいまでなら探せば落ちていますからねー」
「あー……なるほど」

 フォトンの澱みがフォトンクラスターなら、魔力の澱みが魔石に当たる。
 エーテルが物質として意味のある形を成すための「繋げる力」が魔力。それが澱んで一点に集まると、特に形のないまま空間中のエーテルにとりあえず結合することで「魔力そのものの物質化」と言える結晶が生成される。これが魔石というわけだね。
 魔石の色は紫から始まって、時間経過でゆっくりと成長しつつ、赤に近づくにつれて魔力含有量と希少性が上がっていく。紫から藍、青、空ぐらいまでならフィールドにも落ちているから、刻印魔石として消耗品扱いだったりギルドでも常設依頼になっているぐらいには普遍的なものなんだけど、青緑以上となると、基本ダンジョン内でしか生成されない、それこそフォトンクラスターに近い存在になるから、一気に価値が跳ね上がるんだよね。
 大概のダンジョンでは緑ぐらいまで、深い場所や魔力濃度の特に濃い場所で黄緑、黄色以上となるともうブーステッド並のレア物だ。
 そんなわけで、黄緑色の魔石となると結構なお値段になったりするんだけど……そっか、これを使わなきゃいけないような高濃度ダンジョンなら、まぁ緑とかぐらいは探せば見つかりそうだねぇ。

「ちなみに、この容器でどれぐらい保つんですか?」
「この黄緑色で大体7日ぐらいですかねー」
「うへ……さすがにコスパ悪くないですか?」
「このポット自体、そもそも必要な機会もそこまで多くないですしー。あくまでも然るべき場所や方法で保管なり使用するまでの輸送用ですからー。適当にダンジョンから魔石を拾って、必要な人の手元に届くまで保たせられれば十分なのですよー」
「あー、そういうことですか」

 なるほど、頻繁に使うものでもないし、魔石は現地調達してしまえばコストも0か。

「いつか採集の機会もあると思うので、解説しておきますねー。
 この子を採集する時は、絶対に直接触れてはいけませんー。構成成分のほとんどが固形化したフォトンですからねー。
 こう言うと少し語弊がありますがー。わかりやすく言えば、フォトンの過冷却状態ですー。あの状態で衝撃を加えたりすると一気に凍ってしまいますよねー? あれと一緒ですー。下手に他のフォトン……つまり、何かしらの物質に接触すると一気に普通のフォトンに戻って蒸発してしまうのですー」

 ふむふむ……まぁ、現象としては同じものだけど、フォトンの性質的には過冷却と言うより過熱からの突沸の方がイメージには近いかな?
 相転移温度を超えているのに元の相のまま変化していない状態――この場合は、本来はエーテルに蒸発していなきゃいけない状態のフォトンが、この花によってフォトンのまま閉じ込められているわけだ。
 当然、そこに触れてしまえば、一気に本来のフォトンの形に戻って、花そのものが蒸発してしまう、と。

「なので、この子の採集は土ごと掘り起こしましょうー。わたしは魔力操作でやってしまいますがー。普通はスコップとかを使うことになると思いますのでー。根に触れないようにするには、直径も深さも20センチぐらいになるように掘れば確実ですねー」

 この世界の長さや重さの単位は、「メートル」が「メトロン」、「グラム」が「グラーマ」に名前が変わっただけで、リアルと同じ表記法が使えるようになっている。温度も普通に摂氏度が使えるね。
 まぁこの辺りはゲームでそこまで細かいところをややこしくしてもしょうがないってことなんだろうね。

 説明しながらマリーさんが手をかざすと、花の周りの土が、自分から場所を空けるようにひとりでに動いて、花を囲んで穴を作っていく。
 それが終わると、掘り出された土の塊ごとそっと持ち上げて、慎重にポットに移すと、花に触れてしまわないようにこれまた慎重にカプセルを被せて閉じる。

「……ふぅ……。ここまでできれば一安心ですねー。この子は基本、この森の高エーテル環境でしか生きられませんー。エーテル濃度が低いと存在が希釈されて消失しますー。魔力濃度が低いと萎れてしまいますー。なので、このポットでエーテルと魔力の濃度を維持してあげないといけないのですよー」

 一息ついて肩の力を抜いたマリーさんは、無事に採集できたポットをストレージに仕舞った。

「勉強になります」
「ちなみに、もし同じような高エーテル環境生物の採集依頼を受けることになった時には是非わたしのお店へどうぞー。店頭には並べていませんが、さっきのポットも取り扱っていますのでー。言ってくれればお売りしますー」
「その時はお世話になります」

 ちゃっかりお店の宣伝に繋げてくるのは、マリーさんもなんだかんだ商売人だね。

「実はあの花、採集依頼が掲示板にあったので取ってきてみたのですがー。今日受けた中では唯一、見つかるかどうか微妙な代物だったのですよねー。うふふっ、いつもだったら、さっきの場所でエーテル草とマナ草が採れたら帰る時間でしたのでー。マイスさんがいなかったら、ここまで来ることもなかったわけでしてー。こうして見つけられたのはマイスさんのおかげですねー。ありがとうございますー」
「い、いえいえ、僕は感謝されるようなことは何もしてませんよ」
「そんなことはないのですよー。戦闘も採集も、随分助けていただいてますしー。こうして余裕を持ってお散歩できる時間を作れたのも、全部マイスさんのおかげですー。今朝お誘いして正解でしたー」
「そ、そう言ってもらえるなら嬉しいです。僕の方こそ、薬草のこともいろいろ知れましたし、ここでの戦いはかなりいい経験になってるので、誘ってくれて本当にありがとうございます」
「いえいえー、どういたしまして、なのですよー」
「それから……」

 傍らに浮かぶ妖精の少女。彼女との出会いこそ、今日一番の奇跡なのだろう。
 もし、僕が今日1人じゃなければ、今朝ログアウト休憩を選んでいれば、マリーさんの外出が今日じゃなければ、マリーさんに誘ってもらえなければ、その誘いを断っていれば、あの泉までの道のりがズレていれば……この出会いは決してなかったはずだ。
 そんないくつもの偶然の先で僕たちは出会い、そのおかげで僕はこの世界の妖精というものについて知り、いろいろ加護をもらったりもして、今がある……。
 まぁ、出会いの最初はちょっと……アレだったけど……。……それはともかくとして。

 彼女に向き直り、胸に手を置いて、目を閉じて……思った通りに口に出す。

「この出会いにも、感謝を」

 続けて、マリーさんも。

「そうですねー。運命の女神フォルトゥナ様の名の下に、今日のこの日の出会いにも、感謝を捧げましょうー」

 少女の身体が、またふわりと光に包まれる。

「うふふっ、今日一番のいい『信仰』をもらったのだわ。そうね。私からも、この出会いに感謝するのだわ」

 胸の前に両手を添えて、妖精の少女もまた、祈るように目を閉じる。
 すると、僕たちの身体も、同じように優しい光に包まれていた。同時に、胸の奥からじわりと、暖かな温もりのようなものが感じられて、心地よく全身に広がっていく。
 これも加護?……いや、根拠はないけど、なんとなく理解できる。これがきっと、彼女の言う「信仰」をもらう、ってことなんだね。

 胸の奥に広がる暖かさの余韻に浸っていると、不意に、何か大きな反応が気配探知に引っかかってくる。
 この気配は――


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