note.114 SIDE:G

「そこまでだ」
「マイス!」

 ――パンパン、という拍手と共に、ミスティスと、もう一人知らない声が響いて、戦闘……とも呼べない騒動は終わりを告げる。
 書架の向こう側から、まずミスティスが飛び込んできて、僕の肩を掴んで全身を見回しながら、

「大丈夫!? ケガとかしてない?」
「わ、ミスティス! うん、そういうのはないから大丈夫、ありがとう」

 割と本気で心配してくれてたみたいなので、ひとまずお礼を言って落ち着かせる。

 その後ろからもう一人、現れた知らない声の主は、恰幅のいい、なんというか、優しげなお父さん、というような第一印象の中年の男性だった。
 彼を振り返った衛兵が、

「館長!」
「彼らが禁書庫破りです!」

 と、U字型になってしまった槍をそれでも拾い上げて敬礼してみせたので、つまりはそういうことなのだろう。

「うむ。一旦下がっていたまえ。私が対応しよう」

 そう落ち着き払って衛兵を控えさせた館長は、僕たちの前に進み出ると、僕と、続いて僕を守ってくれた少女を、思いの外鋭い視線で射抜く。
 果たしてどういう沙汰が下るやら、思わず身を強張らせる僕だったけど……どういうわけか、次の瞬間には、館長はふっと雰囲気を緩めて、その第一印象通りに柔らかく微笑んでみせた。

「まぁ、そう身構えずとも良い。何、状況は一目見れば大体察しが付く。安心したまえ。君たちのことはすぐにでもここから出してあげよう」
「えっ?」
「なっ!?」
「どういうことです、館長!?」

 まさかのお咎めなしに、僕も後ろの衛兵も同時に驚く。

「まぁまぁ、落ち着きたまえ。まずは自己紹介から入ろう。私はエミール。この図書館の館長を任されている」
「ど、どうも。えっと、マイスです」
「ミスティスです」
「うむ、そして――」

 お互い名乗った僕たちに頷いてから、館長は唯一名乗らなかった僕の傍らの少女に視線を移して続ける。

「――君は魔導書だね?」
「えっ?」

 本当に一目見ただけで少女の正体を見抜いていた館長に、今度は衛兵だけが驚く。
 そしてその問いに、初めて少女が口を開く。

「そう。私は魔導書」『ずっとこの場所に、閉じ込められてた』

 言いながら、少女の身体がカッと眩く光を放つと、一瞬の内にその姿は消えて、そこには声に合わせてわずかに光を放ちながら、一冊の本だけが浮いていた。
 目の前で起きた出来事に、衛兵が目を丸くする。

 まぁ、梯子から落ちた手を掴んでくれた瞬間からほとんど確信はしてたけど、やっぱりそうだよね。
 僕をここまで導いた声の正体が彼女……つまりはたった今目の前に浮いているこの本だ。

 少女……もとい、魔導書は、僕の右肩の上辺りに移動して、言う。

『今まで、ずっと長い間ここにいて……誰も気付いてくれなかった。だけど、ようやく見つけた。私の声に気付いてくれる人。だから、私が呼んだの』

 ふわりと僕の前に下りてきた本に、何ともなく手を差し出せば、本はその手の中にすとんと収まり、再び光に包まれて――瞬きの後、そこには僕と手を繋ぐ形で、少女が静かに微笑みを湛えていた。

「ずっと、この日を待っていました……。私を、連れていってくれますか? 親愛なる私のマスター」

 もちろん、答えは決まっている。

「いいよ。一緒に行こう」

 改めて、彼女の手を握り返す。
 瞬間、少女は一際眩い、だけど不思議とどこか優しい光に包まれて、僕の手の中で本の姿に戻る。
 同時に僕の中に、魔力に似た何か暖かい感覚が流れ込んでくる。
 この感覚、前にどこかで……あ、そうだ、この間のカスフィ森での大妖精の少女との疑似契約状態……あの時の感覚に似てるんだ。
 つまり、これでこの魔導書と僕の間に何かしら正式な契約と呼べるものが結ばれたということなのだろう。

『ありがとう……。それから、よろしく、私のマスター』
「こちらこそ、これからよろしくね」

 そうして、お互い改めて挨拶を済ませたところで、館長が頷いた。

「やはり、そうか。意思を持つまでに至った魔道具が、持ち主を自ら選ぶというのはままあることだ。君は彼女の意思に選ばれたということだね。これでその書は正式に君の物となった。それに――」

 パチン、と館長が指を鳴らすと、彼からこの部屋全体に何か魔力の波が発されたのがなんとなく感じられた。

「――うむ。他の書にかかっている盗難防止の追跡術式にも反応はないようだ。これなら、君たちに咎はないと言える。これでこの件はおしまいだ」

 館長は笑みを浮かべて、大きく一つ頷いた。
 どうやら無事にお咎めなしで帰してもらえそうで何よりだね。
 肩の荷が降りた気分で胸をなでおろす。

 なるほどね、彼女が本に触れちゃダメって言ってたのは追跡術式とやらがかけられてたからってことだね。
 ここでこの術式に引っかかっていたなら、また事態がややこしくなっていたかもしれない。

「う〜む、しかし、少し困ったね」

 これで一件落着と思いきや、館長が本当に困ったという顔をして言う。

「君たちを無事に帰してあげたいのは山々なのだが、既に外がそれなりの騒ぎになってしまっているのだよ。今回はかなり特殊なケースでもあるから、真実を話したとて受け入れられるかわからないしな。それに、君たちとて罪状もなしにあまり悪目立ちはしたくなかろう」
「それはそうですね……」
「どうにか対外的にも丸く収めておきたいところなのだが……うむむ」

 う〜ん……それもそうか……。
 結果と真実がどうあれ、あれだけ堂々と真正面から禁書庫の封印を破っちゃったわけだもんね。
 騒ぎになるのも当然だし、何も知らない野次馬からすれば、何かこう、犯人が捕まるとかの納得できる結末は欲しいだろう。
 さて、どうしたものか……と思ったところで、名乗りを上げたのは魔導書の少女だった。

『ん。そういうことなら、案がある。任せて欲しい』

 魔導書が本の姿のまま浮き上がると、開かれたページとその目の前の床面に何やら魔法陣が展開されて、フォトンが集まって……これは、幻影……?
 あっという間に、一見した程度では全く違和感のない、顔が見えないぐらいにフードを目深に被ったローブ姿のいかにもな不審人物、といった風貌の幻影が出現する。
 次いで、U字に曲がってしまっていた衛兵たちの槍が、ひとりでに元通り真っ直ぐ伸びた。

『これなら、見た目も魔力も違和感はないはず。あと、武器も直しておく。あなたたちはこれを連れていくといい』
「お、おぉ、槍が……」
「おぉ、一瞬でこれほど自然な幻影を作り出すとは、流石だね。私もこの禁書庫を含めた図書館を管理してきた者として、それなりに魔法的な隠蔽といったものを見る目は鍛えてきたつもりだが、この幻影は私でも見破るのは難しいだろうね」

 なるほど、この幻影を捕まえたことにして連行すれば、ひとまずの対外的な示しはつけられそうだね。

『それから、私たちは隠れる』

 と続けて、今度は魔導書を中心に魔力のドームみたいなものが一瞬発生して、僕とミスティスを包み込むと、すぐに見えなくなる。
 すると、

「あ、あれ? あの、館長、彼らはどこに消えたのです?」

 途端に衛兵がが目を瞬かせて、驚いた表情で辺りを見回し始める。
 僕たちの姿が館長以外には見えなくなった?みたいだね。

「ほほぅ、君たちにはそう見えているのかね。隠蔽……いや、認識阻害かな。こちらも上手くいっているということだね。よろしい。では、君たちは先にその幻影を連行する体で先に行きたまえ。そちらに注目が集まっている隙に私たちも脱出しよう」
「はっ!」

 というわけで、衛兵たちが本当に捕縛したかのようにローブ姿の幻影の両脇を固めつつ首元に槍を交差させて連行しながら、一足先に戻っていく。
 先行する衛兵たちを一旦見送って、少し間を置くためを兼ねて、疑問に思ったことを聞いてみた。

「あの、館長さん、少し質問してもいいですか?」
「何かな」
「どうやってこの子が魔導書だと見抜いたんですか?」
「あぁ、そのことか。何、そう難しいことではないよ。さっきも言ったが、意思を持つほどに強力になった魔道具が持ち主を自ら定めるというのは稀にある。加えてそもそも、この禁書庫の封印はかなり強力だ。外部からでは破るどころか存在を認識することすらそう簡単ではない。外部からは、ね」
「外部から……ということは、つまり……」
「そう、この封印が崩れるとすれば、内部からの干渉だ。彼女はずっと外に向かって呼びかけ続けていたのだろう。そして、呼びかけに共鳴できたのが君だったというわけだ。彼女と君の共鳴した魔力によって、内と外の両方から同時に干渉されたことで封印は簡単に破れた。そう考えるのが一番もっともらしい。もう一つ、報告では侵入者は一人とのことだったのに、現場に来てみれば二人いる。増えた一人はどこから来たのか。衛兵が報告を間違えたか、隠れて共に忍び込んだ仲間がいたか? どちらも考えにくい。だが、先程の推測と合わせて考えれば、自ずと答えは出る。もう一人は最初から中にいたのだ。君を呼び込み、内側から封印を解かせた存在が。つまりは、禁書庫に封じられていた書の一冊が彼女の正体だ、とね」
「な、なるほど」
「まぁ、人の姿をとれる程に強大な意思を持つ魔導書がうちの書庫に眠っていたことには正直驚いたがね、はは」

 そう館長は柔和な笑みを浮かべて話を締める。

「さて、そろそろいい頃合いだろう。私たちもここを出るとしようか」
「はい」

 というわけで、禁書庫を出るその道すがら。
 僕の横をふわふわと浮かびながらついてくる魔導書の少女に改めて目をやる。

 さらさらと艶めく、ふくらはぎぐらいまで届くストレートの銀髪に、銀目……とでも言えばいいのだろうか、わずかに青みがかった、光沢を放つ灰色の瞳。
 顔立ちも体型も、まるで完成された人形のように作り物めいて美しく整っている。
 白地に全身に太い黒いベルトが付けられた拘束衣と思われる衣装は、しかしそうとは思えないほどに金色と薄い青とで各所に装飾や魔術的な紋様が施されていて、胴体部分はぴっちりとその均整の取れた体型を浮かび上がらせながらも、四肢の部分はぶかぶかとも言えるぐらいにゆったりと広がって、各所にひらひらと揺れるベルトと合わせて、拘束衣特有の独特なシルエットを形作っている。

 僕の視線に気付いて、可愛らしくこちらに向けて首を傾げる彼女と目が合って。
 そこでふと、ミスティスが訊ねる。

「ねぇねぇ、ところでその子って名前はついてるの?」

 言われてみれば、まだ名前聞いてなかったね。

「そういえば聞いてなかったけど、君の名前ってあるのかな。なんて呼べばいい?」
「ん。名前……。わからない。長くここにいて、遠い昔に忘れた。いつからここにいたのか、どうしてここに閉じ込められたのか、そもそも私は一体何の魔法を封じていたのか……もう何も覚えてない」
「えぇー……」

 なんか最近僕の周りで記憶喪失が多すぎない……?
 いやまぁ、彼女の場合は単にずっと封印されっぱなしだったからってことだから、雫さんやユイリィさんとかとは少し事情が違うんだけどさ……。
 う〜ん……そうだ。

「館長なら何か知ってますか?」
「ふぅむ。彼女がいたのは、さっきの場所の梯子の上ということでいいのかな?」
「はい」
「なるほど。君、悪いが少し本の姿を私に見せてくれるかね?」
「ん……」『これでいい?』

 少女が元の本の姿になって、館長の手に収まる。
 館長は軽く一通り本の装丁や背表紙を見回して、

「うむ。ありがとう、もういいよ」

 一声かけると、少女は僕の隣に戻って再び人の姿に戻る。

「う〜む……この書は、この禁書庫の創設当初の目録にも既に記載があるものなのだが……何分、まだ記録の書式もろくに定まっていなかったような当時の曖昧な記述しか残っていなくてね。目録に残っているのは『魔導書、第一種分類につき封印指定』という一文だけなのだよ。一体何を分類して『第一種』なのか、その分類は何を意味しているのか、全く不明だ」
「そうですか……」
「すまないね。あまり力になれなくて」
「あ、いえいえ、少なくとも、ものすごい昔からあるってことがわかっただけでも十分ありがたいです。ありがとうございます」

 う〜ん……一体どれぐらい昔なのか知らないけど、この図書館ができるよりも前の話かぁ……。
 そりゃあ、そんな長い間一人で閉じ込められっぱなしじゃ、覚えてないのも仕方がないよねぇ。

「ん……でも、少しだけ、思い出したことがある。『ステラ』……多分、私が封じていた魔法……の、一部」

 ステラ……何だろう。
 少なくとも、既存のスキルツリーにあるような名前じゃないことは確かだね。
 まぁ、彼女に関する手がかりの一つであることは間違いないだろう。
 ともあれ、ひとまずの名前はこれで決まったね。

「それじゃあ、君の名前はステラ、でいいかな?」
「ステラ……。ん。私の、名前。ステラ。ありがとう、マスター」
「どういたしまして。それじゃあ、改めてよろしくね、ステラ」
「ん。よろしく、マスター」

 どこか嬉しげに微笑んだステラの横で、いつも通りミスティスが勝手に納得して頷く。

「うんうん、ステラ! いい名前だね! 私はミスティス! マイスのパーティーメンバーなんだ〜。基本的には一緒にいることになると思うから、これからよろしくねっ♪」
「マスターの、パーティーメンバー……。ん。なるほど、理解した。よろしく」

 こういう時に自分からぐいぐいいって、すぐにすんなり仲良くなれちゃうのはミスティスのすごいところだなぁ……と素直に思う。

 そんなこんなで、禁書庫の入り口に戻ってくる。
 結構な騒ぎになってると言ってたから、少し身構えてたところだったけど……あれ?誰もいない……?
 そこには野次馬の一人も残っておらず、元通りの静まり返った平穏な図書館そのものだ。
 あまりに拍子抜けで、禁書庫を出たところで思わずきょろきょろと辺りを見回してしまう。
 耳をすますと、外はまだ少しざわついてるみたいだけど、既に見かけ上は衛兵が「犯人」を連行していったこともあってか、それも収まりつつあるようだ。

「あれ? 結構な騒ぎになってるって話だったんじゃ……?」
「元々、封印とは別にこの禁書庫には強力な隠蔽魔法がかかっているからね。連行された『犯人』の方に注目が集まった時点で、この扉は彼らの認識から外れてしまったのさ」
「なるほど。目立たずにすんで助かりました」

 悪目立ちは避けられたから、実にありがたいね。

「さて、私はこれで執務に戻らせてもらうよ」
「はい。えぇっと、ありがとうございました」
「ありがとうございました」

 館長にお礼を言う。
 ミスティスもひとまず僕に倣うことにしたようだ。

「何、礼を言われるようなことはしていないよ。そうだ、ステラ君と言ったかな、彼女のことだが、人の姿を取れるとは言っても、やはり根源は書物だ。そのことを忘れずに、是非とも大切に扱ってやって欲しい」

 そう、最後に図書館長らしい忠告を頂く。

「はい、肝に銘じます」
「うむ。いい返事だ。それではね」

 僕の返事に人好きのしそうな笑みで一つ頷くと、館長は去っていったのだった。


戻る