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note.116 SIDE:N

 男が光弾を射出すると同時に、マイスの意識は引き延ばされていく。

 少女に向かうはずの光弾を受け止めるつもりで立ちはだかり、しかし突然、横から突き飛ばされる。
 尻餅をつかされてゆっくりと下に下がっていく視界の中、今まで自分が立っていた位置に新たに立ち塞がったのは、ほんの数瞬前まで自分が守ろうとしていた少女の姿で――

「ダメェーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 少女の渾身の叫びで、引き延ばされていた時間が急速に戻ってくる。
 そこからの一瞬の出来事は、あまりにも劇的すぎて、何が起こったのかしばらく理解ができなかった。
 光弾が少女に接触する寸前、目の前で、突然現れたポリゴンのワイヤーフレームのような立方体に囲まれる。
 次の瞬間、フレームは光弾ごと、ディスプレイの電源を無理矢理切断した時のような、プツンと切れるエフェクトを残して完全に消滅。同時に、少女の目の前には[ログ取得:空間情報]の文字と、フレーム出現の3秒前の時刻を示すシステムウィンドウが数秒の間表示されて、フレーム同様に唐突に消えた。

「……ハ?」
「え……?」
「へ……?」

 少女自身も含めて、誰も何が起きたのか理解しきれず、しばしその場にポカンと固まる以外の反応を返すことができなかった。
 その場から、最初に再起動して乾いた笑いをあげたのは男だった。

「ハ……ハハハ……何だ……何だよ……何だって? ラクトグレイス? 覚醒したってのか。この土壇場で? ハハ……オメェ、漫画じゃねぇんだぞ……。しかも、何だ今のは。ログの取得? 空間情報だと……? 仮想空間上の構成データに直接干渉して、過去のログを取ってきたってのか!? 馬鹿げてる……」

 男もおそらく、何が起こったのか理解できずに、一度思考が冷静になったのだろう。奇妙に落ち着いた様子で、今し方発生した現象への推論を口にする。
 が、その理解で確信を得たのか、男の言葉尻に再び怒気が籠り始める。

「ふざけるなよ!? そんな……それがラクトグレイスだと!? そんなもん、もはやラクトグレイスの域を超えてるじゃねぇか!! 貴様、貴様一体、何者だ!?」

 男は半ば気圧されたように、少女に指を突き付けて喚き散らす。
 少女はと言えば、まだ自分の身に何が起きたのか理解しきれず、混乱するばかりだった。

「ハハ……ハハハ……馬鹿な……そんな馬鹿なことがあってたまるか!! 死ねェ、このクソガキがァ!!!」

 勝手に自己完結に至ったらしい男は、突如激昂して、自分の周囲に無数の光弾を一瞬で生み出す。

「ハハハハハハハハッ! 死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねええぇぇぇッ!!」

 ほとんど男の姿を埋め尽くすほどの量で発生した光弾が、少女に向けて殺到する。

「嫌ーーーーーーーーーーーーっ!!」

 目の前に広がる絶望的な光景に、少女はただ目をつぶって身を縮めることしかできなかった。
 しかして、まるで少女を守ろうとするかのように、現象は再び発生した。

 光弾が一つ一つ、少女に当たりそうな位置から順に、次々にワイヤーフレームに囲まれて、少女の周囲に現れる数秒前を示すウィンドウと共に消滅する。
 その光景に男も目を見開いて、追加の光弾を生み出して射出していく。
 だが、フレームの生成ペースの方が明らかに目に見えて速く、最初のうちは少女の目の前付近で消失していた光弾の波は、段々と男の方に押し返されるようにして、その飛距離を縮めていく。

「クソッ! クソッ! クソクソクソクソクソクソクソクソクソクソォォオオオーーーーーーーーーーーーァ!!! 畜生! 畜生め!!」

 ついに、光弾が男の目の前、ほとんど射出と同時に進む間もなく消されるようになった段階で、もはや発狂に近い叫びを上げた男は、両手を頭上に掲げて残った光弾を全て一つの巨大な光弾に収束させる。

「こんのクソッタレがァァァ!! 死ねぇぇぇええええええぇぇぇぇぇ――」

 だが、男の叫びは最後まで続かなかった。
 頭上の光弾ごと、男の立っている空間が全て、ワイヤーフレームで囲まれる。
 男もどうやら、それを認識したのだろう、最期は驚愕の表情を浮かべて――

 ――消失。

 同時に少女の目の前に現れた、一際大きなウィンドウに映されたログの取得日時は、15分前の時刻を示していた。

 15分前……どう考えても、男がいた位置には誰もいない。
 つまり、先程の男の推測が正しければ、男のいた位置の空間情報は、男の存在ごと「15分前の誰もいなかった状態の空間情報」で上書きされてしまった、と言うことなのだろう。
 男のリアルの意識がどうなったかなど、もはや知る由もない。
 ラクトグレイスを使っていた以上、男もラクターであったことは間違いなく。そこから考えれば、よくて「デリート」といったところだろうか。

 あまりにも怒涛の展開の連続で全く追い付いていなかった思考がようやく戻ってきたマイスは、冷静になった頭でそんな推論を立てつつも、呆然とした面持ちのまま、ふらふらと立ち上がる。
 それと入れ替わるようにして、男のいた空間を見つめたまま、肩で息をしていた少女が急にふらりと倒れた。
 慌ててマイスが駆け寄り、なんとか地面に頭を打ちつける前に抱き留める事には成功するものの、少女は完全に気を失ってしまっているようだった。

「大丈夫!? えぇー……ど、どうしよう……」

 思わず辺りをキョロキョロと見回してしまうが、当然ながらトラッシュエリアのど真ん中であるこの場所に、助けを求められる人などいるはずもなく、マイスは途方に暮れる。
 そもそも、最初の出会いからしてあまりにも咄嗟の事すぎて、マイスは少女の名前すら聞いていなかったことに、今更ながら気が付いた。

 こういう状況でラクター絡みとなると、普通であれば、警察か病院に引き渡して、ラクター患者のリストや本人の口から身元の確認なり事情聴取なり、というのが一般的ではある。
 だが、ラクトグレイスが絡むとなると、また話が別になる。
 一度ラクトグレイスを発現してしまったラクターは、多かれ少なかれその能力を巡って争いに巻き込まれることも多く、また、ラクトグレイスを用いたネット上での犯罪行為も増加の一途を辿っているため、警察でも専門の部隊が立てられている。
 そして、その専門部隊の任務には、そういった争いを嫌うラクターや能力者の保護も含まれてはいる。
 しかしながら現状においては、その部隊が抑止力、あるいは保護として機能できているとは言い難いというのが実状だ
 結果として、ラクトグレイス能力者の身の安全の確保手段は能力による自衛が確実とされていて、能力者が警察に助けを求めることはほとんど意味がないというのが共通認識だった。

 その辺の事情を抜きにしても、彼女に発現したラクトグレイス――と呼んでいいのかどうかもわからない能力は、マイスの知るそれと比べても、あまりにも異質すぎる。
 確かに、ラクトグレイスは超常の力ではあるが、マイスが知る限りそれはあくまでも、火や水を操るだとか決められた条件下で特定の現象を起こすだとか――仮想空間上の物理演算の範囲内で使える、一種の魔法のようなものだった。
 しかし、今し方少女が起こしたのは、仮想空間を構成するデータそのものへの干渉。
 過去を参照し、現在に上書きする、仮想空間そのものの再構築(システムロールバック)
 完全に、マイスの知るラクトグレイスの能力で実現可能な範疇を超えている。
 おいそれと警察に駆け込んだりして、彼女の存在を表沙汰にするべきではない、とマイスの直感が告げていた。

 そうなると、この状況で頼れる相手は極端に限られる。
 だが、マイスにとって、それは幸いにも0ではなかった。
 問題は、気絶してしまった少女をどうするか、ということだが……。

「……おぶっていくしかないよねぇ、これ……」

 思わず、ため息交じりに呟くも、それで状況が変わるわけもなく。
 完全に気絶した状態の仰向けの人間を、頭や首筋を安静に保つよう気を付けながら、背負えるようにうつ伏せの状態にひっくり返して、背中に乗せる、という作業に思いの外四苦八苦して、無駄に体力を消耗すること5分。
 どうにか少女の身体が背中にしっかりと乗ったことを確認して、既にへとへとになりながらも、マイスはようやくその場を立ち上がる。

「よし、と……。とにかく、まずはジッパチ、かな」

 そう、誰にともなく呟いて、マイスは独り、静寂の戻ったトラッシュエリアを歩き出した。


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