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note.118 SIDE:N

「さて、んでだ。そろそろ嬢ちゃんのことをいろいろ教えてもらいてぇんだが……話せるかい?」
「はい、大丈夫です」

 真面目な表情に切り替えたカジマが切り出して、少女もそれに答える。

「あ、そう言えば僕たち、まだ君の名前も聞いてない……」
「そうだな。まずは自己紹介からといくか。まぁ、坊主が何度か呼んでっからもうわかってっかもしんねぇが、オレはカジマってんだ。よろしくな、嬢ちゃん」
「僕の名前はマイス。改めて、よろしくね」
「あ、はい。私はユイリィと言います。マイスさん、カジマさん、改めて、よろしくお願いします」

 二人の自己紹介に、少女も応えて、行儀よくお辞儀をする。

「んで、マイスの坊主とぶつかったところからは寝てる間に坊主に聞いたんだが、何でまたトラッシュエリアなんかで追われてたんだ?」
「それが……よくわからないんです……。レイヤード接続だったはずなのに、いつの間にか周りから人とか車とか消えてて……それで、不安になって誰かいないか探してたら、いきなりあの人に襲われて……」

 そこまで思い出したところで、そこから先の出来事を連鎖的に思い出してしまったのだろう。
 俯いて頭を抱えたユイリィの顔がみるみる蒼褪めて、呼吸は荒く、目の焦点が合わなくなっていく。

「それで、マイスさんと会って、一緒に逃げて死にそうになってでもマイスさんがたすけてくれようとしてあのひとがそれでわたし……わ、わた、し……あの人を、あ……ああああああああ! 私はっ、わたしがっ消しっ……てっ……わた、し……あの人……ころっ、し……ぅっぷ……!」
「お、おい嬢ちゃん! 落ち着け! しっかりしろ!」
「大丈夫!? 落ち着いて!」

 パニック状態で捲し立てて、過呼吸とフラッシュバックで胃液を戻しそうになったユイリィを、慌ててマイスとカジマは落ち着かせようとする。
 吐き戻しそうになるのをなんとか堪えたのは、彼女なりの最後の意地だったのか、上を向いて口元を抑えたユイリィは、息も絶え絶えに、

「す、みませ……ッ……あの、トイッ……レ……」
「あぁ、そこの奥の扉だ」

 カジマが指差した扉に、ユイリィは必死の表情で駆け込んだ。

「……まぁ、無理もねぇ。ラクトグレイスでのデリートじゃ、実質殺しちまったようなもんだ。それを不可抗力とは言え、あんな嬢ちゃんがやっちまったんだ、正気でいられるわけがねぇ」
「……ユイリィさん、大丈夫でしょうか……」
「さぁな……。だが、こればっかりは自分で乗り越えるしかねぇ。はっきり言っちまえば、こいつはラクトグレイスに覚醒した者の宿命だ」
「……」

 今度こそ本気の、真剣な顔を見せるカジマに、マイスはそれ以上何も言うことができなかった。

「『施錠による祝福(ラクトグレイス)』……『祝福』なんて誰が名付けたのか知らねぇけどよ。こいつぁ祝福なんかじゃねぇ。『呪い』だよ。覚醒した人間を終わりのない戦いへ向かわせるだけの、な」

 やり切れない表情でカジマが俯いたところで、ようやくユイリィがトイレを出てくる。
 しかし、その視線は未だに焦点が合わず、表情からは完全に生気が抜け落ちてしまっていた。
 ふらついた足取りのユイリィに、マイスは駆け寄って出迎えると、ひとまずベッドに腰掛けさせて、背中をさすってやる。

「大丈夫? ユイリィさん」
「……あ……マイスさん……。はい、なんとか……ごめんなさい……」
「ユイリィさんが謝ることじゃないよ。むしろ、ちゃんと助けてあげられなかった僕が悪いんだ。僕がきちんと出口まで連れていってあげられたら、ユイリィさんがあんな事する必要もなかったんだから……」
「そ、そんな! マイスさんは何も悪くないですっ!」

 まさか謝り返されるとは思っていなかったユイリィは、少し生気の戻った目で反論した。
 そこに、カジマが諭すような声音で告げる。

「辛いこと思い出させちまって、すまねぇな、嬢ちゃん。
 だけどな、ユイリィ。ラクトグレイスに覚醒しちまった時点で、遅かれ早かれこうなっちまうことは宿命だ。そんで、もう起きちまった過去は、どう足掻いても変えられねぇ。例えお前のその、『過去のデータを呼び戻す』能力を使ったとしても、だ」

 それまで「嬢ちゃん」としか呼ばれなかったカジマに名前で呼ばれて、ユイリィは思わず真剣な表情のカジマと目を合わせた。
 その言葉の意味は、理解できたのだろう。彼女なりに自分のした事に折り合いをつけようとしているのか、怯えた表情こそ見せたものの、カジマの視線から目を逸らすことはなかった。
 そんな彼女に、カジマはもう一度名前を呼んで語りかける。

「だけどな、ユイリィ。お前のやったことのおかげで助かった命が、今ここには二つある。それがお前自身と、マイスだ。お前が行動したからこそ、お前たちは今生き延びてるんだ。お前は確かに、人の命を救った。その事だけは確かな事実だ。だから、お前はそれを誇っていい。お前にはその権利と義務がある」

 言われて、ユイリィはマイスの方に顔を向ける。
 それに応えて、マイスは優しく微笑みかけながら言う。

「そうだね。僕が今こうしていられるのは、ユイリィさんのおかげだよ。それは間違いない。だから、僕は君にお礼を言わなきゃね。ありがとう、ユイリィさん」

 その言葉に、ユイリィはまだ少しぎこちないながらも、つい先程までとは見違えるような笑顔を浮かべて、カジマと、もう一度マイスの方に向き直って、

「……はい! どういたしましてっ」

 と、精一杯の元気で返事をした。

「まぁ、そういうこった。わかったな?」
「はい。まだ、気持ちの整理は…………ふぅ……ついてないかもですけど……。理解は、しました。納得も……出来たと思います」

 さすがにまだ完全には吹っ切れないのか、途中、胸に手を当てて深呼吸を挟みつつも、しっかりとカジマの目を見返して、ユイリィは答えた。

「なら、今はそれでよし。この話はおしまいだ」

 その様子に、カジマもそう言って、ようやく安堵した顔を見せた。

「でー、んじゃあ、話変えるけどよ。そもそもにして嬢ちゃん、一体どっから来たぃ? オレぁこれでも情報屋の真似事みてぇな仕事してっからよ、ここらじゃ見ねぇ顔だって事ぐれぇはわかるんだが……」
「それはえーっと……あれ……?」

 そこまで言いかけて、ユイリィは再び、先程までとは別種の混乱を見せる。

「どう、して……? 思い……出せない……!?」
「えぇっ!?」
「おいおいおい、こりゃまた難儀しそうだなぁ」

 頭を抱えるユイリィに、反応に詰まるマイスと、思わず額に手をやって(かぶり)を振るカジマ。

「えっと……無理に思い出そうとするより、まずは落ち着いた方がいいんじゃないかな。ほら、深呼吸深呼吸」
「あ、えっと、はい。すー……はー……」

 マイスに促されて、数回深呼吸。
 なんとか、ユイリィは落ち着きを取り戻す。

「とりあえず……そうだな、思い出せない事を無理に思い出そうとしなくていい。まずは、覚えてる事と忘れちまった事を整理してみよう。覚えてる事の記憶から何か思い出せるかもしれねぇからな」
「はい……。えっと、アバターネームはユイリィで……本名は思い出せません……。歳は……多分16だと思います」
「ふぅむ……じゃあ、思い出せる最初の記憶は何だ?」
「えーっと……」

 ユイリィは、人差し指を唇に当てて、上を見るようにして記憶を掘り起こす。

「思い出せる限りで最初は、自分がログアウトできないって気が付いた時です。その時いた場所の風景にはなんとなく見覚えがあるので、きっとそこが私の住所なんだと思います」
「その場所ってのはどんな感じかは思い出せるか?」
「えっと……どこか……ここではない町……だったと思います。あとは多分、自分の部屋……。けど、具体的に何処かわかるようなものは何も……すみません」
「いや、謝るこっちゃねぇ。が、さすがにヒントもねぇんじゃどうしょうもねぇな……」
「他に思い出せることはない?」
「最初のそれは覚えてるんですけど……どうしてでしょう、そこから先がなんだか曖昧で……。いつから、どこを、どうやってここまで来たのか……。気付いたらこの街にいて、気付いた時には周りに人の気配がなくて……後はお話した通りです」

 それ以上の事は思い出せないらしく、ユイリィは俯いてしまう。

「あー……医学的な事なんかはオレもよくわからんが、ともかく、ラクターになった時に何かよほどの事があったってことかもな。それこそ前後の記憶が全部吹っ飛んじまうような『何か』が。あるいは、それがつまり、嬢ちゃんに宿ったラクトグレイス、ってことなのかもしれねぇが」

 ほとんどお手上げといった様子で、カジマは腕組みをして唸る。

「わからねぇ事はまだある。あー……ちっとまだ思い出すのは辛いかもしんねぇけど……襲われた男ってのは、完全に初対面なんだな?」
「はい、それは絶対にです。忘れてるだけとかでもないと思います」
「そんで、最初追われてた段階では、嬢ちゃんはまだ自分のラクトグレイスを把握していなかった」
「はい……」
「そこなんだよな。おそらくだが、マイスの坊主と嬢ちゃんの話を聞く限り、ソイツは(よこしま)な目的とかじゃなく、何か意味があって嬢ちゃんを追っていた、ように見える」

 そこで、カジマは一旦言葉を切って、深く唸ってから先を続ける。

「だが、嬢ちゃんがソイツとは初対面だってなら、『そういう目的』以外で、嬢ちゃんを狙って殺さなきゃならない程の理由、っつーと……どう考えても、嬢ちゃんのそのラクトグレイス以外にあり得ねぇんだよな」
「でも、私、マイスさんを助けようとするまで、自分にラクトグレイスが使えるなんて知りませんでした……」
「それに、最初にユイリィさんがラクトグレイスを発動した時、あの人もすごく驚いているようでした。『なんでこの土壇場でそんな力を』って。多分、あの人自身はユイリィさんの能力については何も知らなかったと思います」

 ユイリィの主張と一部始終を客観的に見ていたマイスの補足を受けて、カジマは更に推論を重ねていく。

「そうなると、おそらくは組織的な犯行だろう、それもかなりでけぇ組織だ。その男は上からの命令で何も知らないまま動いてたってだけ、と考えるのが一番自然だ。だが、それにしたって問題は、その背後の組織とやらは、嬢ちゃんとその能力の存在を、嬢ちゃん本人ですら気が付くよりも前に、どうやって知ってたのか、っつー話になる」
「うーん……」

 情報を整理する程に深まっていく謎に、誰も答えを見つけられずに、しばらくの間沈黙が流れる。

「あー……ヤメだヤメだ。情報が少なすぎて、これ以上は考えようがねぇ」

 思考の泥沼にハマりかけていた場の空気を、カジマは一度切り上げた。


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