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note.119 SIDE:N

「この話は一旦置いとくとして……」

 これ以上は情報不足と見て、カジマは一旦ユイリィの記憶の話を脇に置く。

「問題は、嬢ちゃんをこれからどうするか、ってことだ。一応聞いとくが、嬢ちゃん、これから行くアテなんてのは……ねぇよな」
「はい……この街も初めてですし、他に行くところなんて……」
「それに、相手が組織的だとすると、今後も嬢ちゃんは狙われる可能性が高ぇってことになる。どっかに匿ってやらなきゃなんねぇが……一応オレがラクトグレイスを使えるったって、ここで寝泊まりさせちまうってのもあんまりよかぁねぇよなぁ。嬢ちゃんもこんなむさっ苦しいおっさんと一緒じゃあ、息苦しくってしょうがねぇだろ」
「あ、いえ、そんなっ、私は全然……」
「いやいや、遠慮すんな。嬢ちゃんを預けるのに、オレなんかよりよっぽど適任がこの街にゃもう一人いるからよ」

 「もう一人の適任」と聞いて、マイスの脳裏にはその答えであろう一人の人物が思い浮かんでいた。

「あー……『あそこ』に行くんですか」
「おう、そりゃー『あそこ』しかねぇだろうよ。こんなおっさんと一つ屋根の下よりも、女の子は女の子同士でいられる方が、嬢ちゃんも安心できるだろうしな」

 という、カジマの台詞を聞いて、ユイリィが興味を示し始める。

「あの、その適任の人っていうのは、女の人なんですか?」
「あぁ、嬢ちゃんと似たような歳の女の子だ。そいつもラクトグレイス持ってっから、何かあっても安心だぜ。っつぅか、能力だけなら間違いなくオレよりアイツのが強ぇしな」

 とは言うものの、マイスには別の懸念が拭いきれなかった。

「う〜ん……『あの人』、素直に受け入れてくれるでしょうか……」
「そりゃーオメェ……あれだ、オレらで頑張って説得するしかねぇだろうよ」
「……なんとも気の重い話ですね……」

 と、マイスの懸念に、思わずカジマも若干歯切れが悪くなる。
 その様子に、ユイリィが不安気に、

「えっと……その人ってその、怖い人なんですか?」
「いやー……オレが思うに、根はいい奴だとは思うんだけどな……。なんつぅか、アイツもいろいろ抱えてるみたいで、まぁ、ちょっと拗らせちまっててな……」
「そうなんですか……」
「まぁ、心配すんな。しばらく匿ってもらえるように、オレたちがなんとかすっからよ」
「は、はぁ……」

 少しまだ不安が残る様子のユイリィだったが、

「まぁ、ちゃんと話せばわかってくれる人だとは思うから、そんなに心配しないで」

 というマイスの励ましで、ひとまずは納得したようだった。

「ま、ともかくまずは行ってみっか」
「あ、あの、その前に……」

 早速出発と席を立とうとしたカジマだったが、ユイリィに引き留められる。

「その、お礼のお部屋掃除を……」
「あー……その話、忘れてなかったのか。っつぅか、ホントにやってくれるつもりなのか」
「はいっ。いろいろお世話になったので、せめてそれぐらいはお礼させてください!」

 頭の後ろに手をやるカジマに、力強く頷くユイリィ。

「なら、僕も手伝いますよ」
「そこまで言われちゃあ、家主が他人任せにするわけにもいかねぇな。んじゃ、手分けしてやっちまうか!」
「はいっ!」

 元々がIoTネットワークとAR技術からの派生である現用仮想空間は、必然的に人間の生活空間は一通り再現されており、特に「レイヤード」はある程度リアルに重ね合わせて同期させる前提のものとして作られている。
 加えて、コンソールからの単純操作だけでの「リロード」による衣服や食器等のデータの再利用が感覚的に気持ち悪いという、五感の完全再現がなされている故の人間的な欲求による需要も一部に存在することもあって、独立した仮想空間上でのデータの話と言っても、不要になったものはコンソールから削除コマンドでおしまい、というわけにもいかないようになっている。
 一応、そういった要素を気にしない人のための「オブジェクトリロード」や、所定の「ゴミ箱」に放り込むことで、前時代のGUIコンソール同様に、オブジェクトとしては削除された状態の「一時削除」、そこからARウィンドウによるコンソールからの「ゴミ箱を空にする」の操作で完全削除等、ある程度の簡略化はなされている。それでも、いずれにせよある程度の形式的な「炊事洗濯」の作業は必要であり、また、仮想空間上であっても日常生活としてそれらは行う、という人が実際多いのもまた確かなのが現状だ。

 というわけで、事務所内の大掃除が始まったのだったが。
 最初の内は三人で手分けしてやっていたものの、

 掃除――

「もう! ゴミ箱に入れて『空にす』れば終わるものを、どうしてここまで溜め込めるんですか!」

 洗い物――

「洗い物もこんなに溜まって……そもそも、普段からこまめにやらないから数が増えて余計にめんどくさくなるのです! 大体、食器洗い機に入れてオブジェクトリロードすれば一瞬なんですから、それぐらいやってくださいっ!」

 洗濯――

「お洗濯もこの際一気にやってしまうのです! 洗濯機かけておきますから、終わったらせめて干すぐらいは自分でやってくださいねっ?」

 と、不慣れな男二人を差し置いて、結局ほとんどユイリィが一人でテキパキと片付けてしまったのだった。

 そうして――

「はいっ、これで全部おしまいですっ!」
「おぉ……すげぇ、見違えたなこりゃ」

 全ての作業が終わった時には、仮想空間であるが故に細かな埃の類がそもそも存在していないこともあって、部屋はほとんど新築のような輝きすら見せるまでになっていた。
 それを成し遂げたのがほとんどユイリィ一人であったことに、マイスはつい申し訳なさげに謝ってしまったのだが、

「ごめんね、結局僕たちほとんど手伝えなくて……」
「いえいえ、元々私がお礼としてやるつもりだったんですから、これでいいんです」
「ありがとな、嬢ちゃん。ここまで綺麗んなったのなんか、下手すりゃ最初に入居した時以来だぜ」
「はいっ! どういたしまして、ですっ!」

 と、ユイリィはやり切った笑顔で顔を綻ばせた。

「いやしかし、ホントに見違えたなぁ。こりゃあ嬢ちゃん、きっと将来はいい嫁さんになるぞ。なぁ、マイス」
「いや、あの、その点は同意しますけどなんでその話今僕に振ったんですか。本人に言ってあげてくださいよ」

 という、男二人のやり取りに、

「そ、そんな、お嫁さんだなんて私まだそんな……」

 ユイリィは一人、何を想像したのか耳まで顔を真っ赤にして、頭から湯気が出そうな勢いで両頬を抑えて縮こまっていた。

 そんな調子で収拾がつかなくなってきたところで、カジマが手を叩いて切り上げる。

「あー……よし、んじゃ、今度こそ出発といくか」

 と、勝手口に向かうカジマに「はい」とそれぞれ答えて、マイスとユイリィもその後を追った。

 カジマを先頭に、裏口から事務所を出たマイスたちは、ジッパチ内の住宅区を進んでいた。
 その後ろをついていきながら、ユイリィはキョロキョロと辺りを見回す。

「あの……この街は一体……? 昼だったり夜だったり夕方だったり……あっちこっちツギハギだらけです」
「そっか、来る時は寝てる間に僕が運んだから、此処をきちんと見るのは初めてだっけ」
「面白れぇだろ? この街は遠堺(とおさかい)市っつぅんだけどよ。此処はその遠堺で唯一のアングラ、『遠堺パッチワークス』ってんだ。ま、オレたちゃ大体、遠堺の『遠』を数字の『10』の『とう』に読み替えて、『ジッパチ』って略してんだけどな」

 そうして、しばらく辺りを見回していたユイリィだったが、ふと前方の一画、季節外れの雪が降るエリアに気が付いて指差す。

「もしかして、あの雪の降ってるところに向かってるんですか?」
「おうよ。見ての通り、普通に雪降ってる程度には寒ぃから、何だったら冬服用意しといた方がいいぞ」
「わ、わかりました」

 カジマに言われて、ユイリィは幾分緊張した面持ちで、いそいそとARコンソールから冬用のコートを手元に呼び出す。
 そのまま歩いていくと、程なくして肌でも感じられる程に気温が下がり始める。

「わぁ……本当に雪が降る寒さなんですね。は〜っ! ……ほら、もう息が白いです」

 と、コートを着込んだユイリィがはしゃぐ。
 そのユイリィの鼻先に、何か冷たいものが触れて、

「ひゃっ!? わぁ……! 雪……すごいですっ! あははっ」

 暦の上ではとっくに夏であるこの時期にはあり得ない光景に、ユイリィは思わず童心で駆け出した。
 気がつけば足元はすっかり雪で覆われて、真っ新な新雪のキャンバスに、彼女の足跡だけが刻まれていく。

「すごいです! こんなに雪が積もってるの、初めてです!」

 一通り駆け回って満足したのか、ユイリィはくるりと二人の方に向き直って、目をキラキラと輝かせる。
 心底から楽しそうに笑顔を振りまく少女の姿に、思わず見惚れそうになったマイスだったが、カジマの台詞が意識を引き戻した。

「ハハハ。まぁ、はしゃぐのもいいが、そろそろ到着だぜ。こっちだ」
「あ、はいっ!」

 ユイリィの走った場所より一つ手前の角を曲がるカジマに、マイスと、再び少し緊張した面持ちで駆け戻ったユイリィが続く。

 角を曲がった先は、少し歩いた突き当りがT字路になっていて、そこにちょうど正門を構える形で、周囲よりも少しだけ大きめの、2階建ての一軒家があった。
 その正門の右側では、学校の制服姿と思しき黒い長髪の少女が、雪だるまを作っているらしい姿が見えた。

「えっと、あの人がもしかして……?」
「うん。これからユイリィさんを匿ってもらおうと思ってる人」

 マイスの後ろから覗き込むようにして、少女のことを確認しようとするユイリィに、マイスは肯定で返す。

 近づくにつれて、少女の容姿がはっきりとしてくる。
 下腕部3分の2ぐらいまでスリットが刻まれて袖口の広がった、青みの強い紺色に臙脂色の返し袖がついたブレザーと、同じく両側面にスリットが切り込まれて、その下の白地とレース地との三重構造になった赤いタータンチェックのフレアスカートの組み合わせは「南高」の冬服。
 首元には深緑色のマフラーが巻かれ、ブレザーの下は指定のブラウスの上にクリームイエローのセーターを着込んでいるようで、スリットと袖口からは、掌が少し隠れる程度の丈の、淡い黄色が見え隠れしている。
 腰まで伸びたストレートの黒髪に、少しつり目気味の大きな蒼い瞳は黒猫を思わせ、整った目鼻立ちもあって、成熟した猫の凛とした怜悧さと、仔猫のような年相応のあどけなさが不思議と同居していた。

「綺麗な人……」

 それが、ユイリィから少女への、率直な第一印象だった。

 少女の顔立ちがはっきりとわかる距離になったところで、彼女の方も来客に気が付いたようで、こちらに顔を向ける――と同時に、その表情は明らかに不機嫌の色が強くなり、氷を思わせるほどに怜悧さを増した。
 少女はブレザーの内ポケットから煙草らしきものを取り出すと、慣れた手つきで火をつけて煙を吸う。

「……何をしに来たの、カジマ……と、高坂 大樹」

 敵意……というよりは、あからさまな鬱陶しさが多分に籠ったその一言が、少女の第一声だった。


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