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note.120 SIDE:N

「……何をしに来たの、カジマ……と、高坂 大樹」

 敵意……というよりは、あからさまな鬱陶しさが多分に籠った少女の第一声。

「あはは……こんにちは、ミノリさん」
「よぅ、ミノリ。すまんな、ちっと厄介な頼み事が出来ちまってよ」
「断るわ」

 間髪入れずの即答。

「おぉぅ、わかっちゃいたが即答だな……。だが、すまねぇがもう既に半分ぐらいは確定事項なんだわ、おそらくはな」
「はぁ? 何よそれ。あまりふざけたこと言うようなら……」
「まぁ、待て待て! とりあえず説明すっから、まずは話だけでも聞いてくれや」

 一瞬、少女の苛立ちに連動するようにして、明らかに肌で感じられる程に周囲の気温が下がる。
 カジマがなんとか「ミノリ」と呼ばれた少女を宥めすかしたところで、マイスの背中から恐る恐るといった様子でユイリィが顔を出す。

「あ、あの……こ、こんにちは……」

 おずおずと挨拶するユイリィを見て、少女は少し驚いたように、怪訝そうに片眉を吊り上げた。

「……この子は何? 説明して」
「話ぐれぇは聞く気になったか。まぁ、頼み事ってなぁこの嬢ちゃんのことなんだがな」

 と、ひとまず話を進められそうなことに安堵して、やれやれと頭の後ろを掻くカジマに、マイスが話を引き継ぐ。

「とりあえず、紹介するね。この子はユイリィさん。ちょっと訳あって、僕が助けたというか、実質僕が助けられたというか……まぁ、詳しい事は後で話すよ。えっと、それで、この人はミノリさん。一応、僕の同級生で……このジッパチでラクトグレイスを持ってる二人の内のもう一人なんだ」

 ミノリ――こと、本名「柏木 実里」は、所属上はマイスと同じクラスの同級生になる。
 しかし、元々素行不良気味であったことに加えて、高校入学のほぼ直後にラクトグレイスを発現し、ラクターとなってからは完全に不登校となっていた。
 その後はラクトグレイスを使ってジッパチの「西」の支配者となって引き籠っていたため、当初は行方もわからず、そのまま不登校で退学かと思われたが、ジッパチに迷い込んだマイスをカジマが引き合わせたことにより、渋々ながら彼を通じて学校の課題データ等を受け取ることとなり、なんだかんだで渡された課題は一通りこなしているらしく、成績自体は学年トップを取り続ける優秀さで進級試験にも無事合格、現在も不登校ではあるものの、所属上は南高の2年生に在学中になっている。

「えと、は、はじめましてっ! ユイリィって言います! よろしくお願いします!」
「……フン……ミノリよ」

 完全に萎縮して、深々と頭を下げるユイリィに、ミノリは、そっぽを向いて煙を吐き捨てつつながらも、最低限名乗ることにはしたようだった。

「それで? この子があたしと何の関係があるわけ?」
「あー……どっから説明すっかな……あー……この嬢ちゃんな、どうにも厄介なラクトグレイスを抱えちまったみたいでな。それでどっかの組織に追われてるらしいんだわ。んで、追い回されてたところにちょうどマイスの坊主が通りがかったみてぇでな、成り行きで助けてここまで連れてきたんだ」
「ふぅん。で? 何でそれをあたしに持ってきたわけ?」

 ミノリはほとんど興味なさげに、煙草を燻らせながら先を促す。

「まぁ言っちまえば、オレの代わりに嬢ちゃんをしばらく預かってやって欲しいんだわ。嬢ちゃんを追ってるのが、どうもかなりでけぇ組織みたいでな。嬢ちゃんには、また追手がかかる可能性が高ぇ。んで、嬢ちゃんも嬢ちゃんで行くアテもねぇっつぅもんで、どっかに匿ってやらなきゃならねぇんだが、オレが預かるよりかは女の子同士の方が嬢ちゃんも安心だろうと思ってな」
「断るわ」
「ミノリさん、少しは話を……」

 全く態度を変えずに即断で断るミノリに、マイスが抗議しようとするも、

「嫌よ。何であたしがこんな見ず知らずの子なんか……。それに、ラクトグレイス持ってるんでしょ? ラクトグレイス持ちの身の安全はまず自衛が鉄則。まさか今更忘れたわけでもないでしょう?」

 と、取り付く島もなく、ミノリの姿勢は変わらなかった。

「そう……ですよね、やっぱりダメですよね……ごめんなさい、私みたいなのが初対面でいきなりこんな……」
「あぁ、待て待て嬢ちゃん、落ち込むにゃあまだ早ぇ」

 事情を聞いた上ですげなく断られて、落ち込むユイリィにカジマが待ったをかける。

「まぁ、普通なら確かに自衛が一番だ。普通なら、な」
「……どういうこと?」

 そこで一旦、カジマは声を潜めてミノリに耳打ちする。

「嬢ちゃんのラクトグレイスをこのまま外に放り出しちまうのはいろいろとマズい」
「……はぁ?」

 怪訝な顔になるミノリだったが、カジマは声のトーンを戻してユイリィに尋ねる。

「嬢ちゃん、例のラクトグレイス、今見せてやれるか?」
「えっと……」

 ユイリィは、一度考え込むように目を閉じて、見開き、

「やれますっ!」

 頷いて、ユイリィは、ミノリが作っていた雪だるまに歩み寄る。

「すみません、少しお借りしますね」
「……? 何を……」

 と、ミノリが確認する前に、ユイリィは雪だるまの腕に使われていたモップを引き抜いてしまう。

「ちょっ、何を……!」
「見ててください」

 それなりに労力をかけて形になってきていたものを壊されそうになって、止めに入ろうとするミノリ。
 しかしそれを押し留めて、ユイリィは自身もモップを抱えたまま、雪だるまから一歩下がる。

「えっと……こうして……ここの……これっ!」

 モップが刺さっていた位置を軽く指差してから、再び考え込むように目を閉じたユイリィが、その目を開いた瞬間――

 [ログ取得:空間情報]のARウィンドウがユイリィの前に浮かび、同時に、モップが刺さっていた空間がワイヤーフレームで囲まれる。
 次の瞬間には、元のモップはユイリィが手にしたままにも関わらず、雪だるまには引き抜く前と全く同じようにモップが差し込まれた状態が復元されていた。

「は……? えっ、何、どういうこと!?」
「こりゃあ……すげぇな、オレも坊主と嬢ちゃんから話を聞いただけだったが、実際見るとやっぱり、規格外にすぎる」

 あっけにとられて咥えていた煙草を落とすミノリと、話には聞いていても信じきれない様子で目を丸くするしかないカジマ。

「えっと、ごめん、今のもう1回、見せてくれる?」
「はい。じゃあ、えっと……こう!」

 せがまれて、ユイリィがもう一度指差すと、また[ログ取得:空間情報]のウィンドウと共に、今度は復元前の状態に、モップが再び消去される。

「なんだかちょっとだけ、使い方がわかってきました。今なら……えいっ!」

 ユイリィの掛け声に合わせて、今度は彼女がその手に持ったままだったモップが、ワイヤーフレームのポリゴンデータに変換される。
 そうして一瞬後には、[ログ取得:位置情報 オブジェクトID:――]の文字と共に、対応するオブジェクトIDらしき英数コードが表示されたウィンドウが現れて、ユイリィの手からモップが消える。
 消えたモップは、一瞬のワイヤーフレーム表示と共に、元通り雪だるまの腕として差し込まれた位置に戻っていた。

「これは……驚いたわね……。ログの取得……? 仮想空間の構成データそのものへの直接干渉……そんなラクトグレイス、聞いたことがないわ」

 驚愕の表情を浮かべるミノリに、カジマの顔も真剣なものに戻る。

「あぁ。そんで、こいつを下手に外に出すのはマズいってのぁ、考えなくてもわかるだろ」
「……そう、ね……この子が……というよりは、この子の力が、渡るところに渡ったら、それこそ世界のパワーバランスがひっくり返るわ。ラクトグレイス同士の戦いで趨勢が決まる、今の裏世界では特に、ね」
「そういうこった。むしろ、今ここにこうして嬢ちゃんが無傷でいてくれてるっつぅ奇跡に、オレたちゃ感謝しなきゃいけねぇかもしれねぇぞ」
「全く、厄介なモノを持ってきてくれたものね、高坂 大樹」
「前から言ってるけど、せめて他の人がいる時にはマイスって呼んで欲しいなぁ……」
「あはは……私は聞かなかったことにしておきますから……」

 フン、と鼻を鳴らして聞く耳持たずのミノリに、がっくりと項垂れるマイスを慰めようとするユイリィ。
 ユイリィはおずおずとミノリに尋ねる。

「あの……私、まだラクトグレイスそのものについてもよくわかってないのですが……私のラクトグレイスって、やっぱり何かおかしいんでしょうか……」
「そうね、規格外もいいところだわ。少なくとも、あなたをこのジッパチから放り出すわけにはいかない程度には」

 そう告げたミノリの言葉に――

「その通り。その力は異端だ――」

 突然、あらぬ方向から男の声が割り込んだ。


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