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note.123 SIDE:N

 全ての襲撃者がデリートされ、辺りに束の間の静寂が戻る。
 ようやく一息つけるかと安堵しかけるマイスとユイリィ。
 しかし、そこへ突如あらぬ方向から巨大な鉄塊が飛び込んでくる。

「わぁ!?」

 反射的に身を引いて身構える二人だったが、それが何であるかを正確に認識していたミノリだけは呆れ顔だった。

「ちょっとー、カ〜ジマ〜? あんた、あんだけ大口叩いておいて、いつまで遊んでるわけぇ?」
「ぐぅ……すまん、面目ねぇ……」

 言われて、もぞもぞと起き上がった鉄塊ことカジマは、バツ悪げに片手を頭の後ろに回して頭を振った。
 そこに、もう一つ、宗教家じみた声が響く。

「全くだね。いやはや、口ほどにもない」

 声の方へと目を向ければ、無傷のままのカタギリが、悠々とこちらに歩を進めていた。

「おや? ところで、ここにもう百人ぐらい、ボクの配下に下った使徒たちがいたはずだけど、どこへ行ったかな?」

 過剰に演技がかった調子で不思議そうに周囲を見回すカタギリに、相変わらず呆れ顔のミノリは不機嫌に返した。

「とっくの昔に全員デリートしてやったわよ」
「……よもや、あれだけの数がいて3分すら持たずに全滅とは……使えない連中だ」

 少し苛立ったように舌打ちするカタギリだったが、すぐに宗教家めいた余裕を取り戻して、

「まぁ、いいさ。君たちの力でこのボクのラクトグレイスに勝てるわけがない。まとめて相手をしてやるとしよう」

 両手を軽く広げて、見下し気味にそう宣言した。

「……《氷蒼雪華》」

 腰元に生まれた氷の刀を、ミノリは静かに抜き放つ。
 その背後で、マイスたちを守る位置についたカジマから警告が飛んだ。

「気を付けろ。アイツ、見かけによらずとんでもねぇ怪力だ。この状態のオレの拳を片手で受け止めやがる」
「ふぅん。まぁ、打撃は止められても、刀までは止められないわ」

 と、特に意にも介さず、ミノリは刀を正眼に構えた。

「さっきから随分と余裕ぶってるみたいだけど、その態度がどこまで続くか……試してあげるわ!」

 言うが早いか、ほとんど一瞬の速さで、ミノリは距離を詰める。
 対するカタギリは、それを避けようとすらせず、

「試す? このボクを? 面白いことを言うね」

 刀の軌道に沿わせるように、指を一本差し出しただけだった。

「事によれば、試されるのはむしろ、君の方かもしれないよ?」
「なっ――!?」

 氷の刃は、狙い違わず差し出されたカタギリの指先に触れて――しかして、その指先の皮一枚すら傷つけることはできなかった。
 逆に、接触した点を起点に、刀の側に亀裂が刻まれ、次の瞬間にはその刀身は真っ二つに折られていた。

「あたしの《氷華操相(アイス・ナイン)》が……!?」

 驚愕に目を見開くミノリ。
 その一瞬の迷いを、カタギリは見逃さなかった。

「おやおや、驚いている暇はあるのかな?」

 バク宙で背後の壁を捉えたカタギリは、壁を足場に蹴り出して、一気に加速する。
 その速度は先程のミノリの踏み込みよりも遥かに速く、もはや常人の視覚で認識できる速度を超えていた。

 音速を超えた破裂音と共に、ミノリの鳩尾に拳が叩き込まれる。

「ごっ……は……!」

 体内の空気を無理やりに押し出され、悲鳴を上げることもままならずに、ミノリの華奢な身体が吹き飛ばされる。
 その身体は10m程を飛ばされて、その背後にあったブロック塀を粉々に砕き、更にその奥の民家の外壁に叩きつけられたところでようやく動きを止めた。

「ミノリさんっ!!」

 ブロック塀が壊されたことによる土煙が立ち込めて、ミノリの姿をかき消す中、マイスは思わず叫んでいた。

「言ったはずだよ。君たちではボクのラクトグレイスには勝てないと」

 自らの勝利を確信した表情で、カタギリはマイスと、その後ろのユイリィへと向き直りかけて、

「さぁ、異端の魔女に神罰を――……うん?」

 背後の気配に気付いて、収まりつつあった土煙の向こう側へと目を凝らした。

 土煙が晴れた先にいたのは、ほとんど無傷の状態で瓦礫を抜け出したミノリの姿だった。

「な……に……!?」

 ゆらりと立ち上がったミノリの視線は、しっかりとカタギリを捉えていた。
 土煙が完全に収まり、明確に視認できるようになった、その背中からはパキパキと音を立てて氷の塊が崩れ落ち、身体の表側にも、腹部を中心に、全身にガラスが割れたような罅割れが走っていた。

「《氷層絶華》」

 ミノリの台詞と共に、背後の氷塊は完全に崩れ落ちて、同時に腹部の罅割れは見る間に隙間を埋めるようにして凍り付いて、その氷も一瞬にして見えなくなる。

「なるほどね、氷の鎧と言うわけか。体表全体に常に薄く氷の幕を張って障壁にしてるわけだ。加えて、咄嗟に背中側の氷を分厚くしてダメージを分散した、か」

 笑みを消したカタギリは、改めてミノリに対峙する。

「面白いね。まぁ確かに、これであっさりお仕舞いというのも少々興醒めだったところだ。君なら、少しは楽しませてくれそうだね?」

 対するミノリも、その身に纏った冷気を体現するかのような、より一層鋭利な光をその瞳に宿す。

「あんたの方こそ、まさかこんな程度で終わりなんて言わないでしょうね? この程度じゃ、あたしの方が興醒めだわ」

 しかしてその視線を受けて尚、カタギリは宗教家ぶった余裕を崩さない。

「はは、いくら強がったところで、目の前の事実は変えられないよ。君の氷はボクのラクトグレイスには通用しない。我らが神より授かりし祝福の前にひれ伏すがいい」
「それはどうかしら? その余裕がどこまで続くか見物ね。《氷槍閃華》!」

 ミノリの振り出した腕の動きに合わせて、一瞬にして六本もの氷の槍が生み出されて、一斉に撃ち出される。
 それにも、カタギリは不敵な笑みを崩すことなく、むしろ自ら撃ち出された槍全てに当たりに行くように両手を広げて迎えた。
 槍は狙い通りにカタギリの全身を貫いた――かに見えた。
 が、次の瞬間には全ての槍が先端から粉砕される。
 貫いたように見えたのは彼の服だけで、体表に接触した瞬間には槍は残らず粉々に砕け散っていた。

「やれやれ、酷いことをするね。この服、気に入っていたのに」

 と、台詞とは裏腹に、さして気にした様子もなく、カタギリはボロボロになった服を見直して嘆息する。

「オレのことも忘れてもらっちゃあ、困るぜ!!」

 服に気を取られていると見た背後から、カジマが不意打ちをかける。
 だが、直前で反応したカタギリは、バク宙でその拳を回避する。

「おっと、忘れてはいないさ」

 それどころか、空中でその拳を足掛かりに着地、再び先程の急加速を見せて、拳の勢いをすら利用した速度でミノリに向かって飛び込んだ。

「――!! 《絶華》!」

 ほとんど反射的に、ミノリは両手を翳して前方に氷塊の盾を生み出す。
 反応が間に合ったこと自体、半ば偶然ですらあったが、音速を超えた空隙を伴った一撃は、あっさりと防御を粉砕した。

「ぐぅ……っ!」

 ミノリの身体は再び宙を舞い、壁面へと叩きつけられる。
 先程同様になんとかダメージの分散には成功するものの、状況の打開策は見出せなかった。
 氷の鎧を修復しつつ、ミノリは思考する。

(速い……! それに、あたしの氷とカジマの拳……斬、突、打、物理攻撃がどれも全く通用しない。とにかく奴のラクトグレイスの正体を突き止めないと、奴の言う通り対処のしようがない……)

「《氷蒼雪華》!」

 もう一度、刀を生成して、正眼に構え直す。

(違和感があったのは、今の二度目の突撃……。あたしは間違いなく回避を選択したはず。あたしの反応が遅かった? ……いいえ、後から出した《氷層絶華》は間に合ってる。あの瞬間、まるで脚だけが地面に縫い付けられたみたいに動けなかった。……確かめてみる必要があるわね)

 構え直した一瞬で、思考をまとめたミノリは、柄を固く握り直してカタギリを見据えた。


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